08 羊を甘く見ないでよ!

 余裕ぶって敵の口上を聞いている場合ではなかった。ここは戦場で、生き延びるためには全力を尽くさなければならない。そのことをリヒトは今更ながら思い出したのだ。


「そこをどいてっ!」


 出血でふらつく身体を叱咤しながら、リヒトは魔王の剣を両手で持って、サザンカに斬りかかった。手加減なしで、相手の急所である喉を狙う。

 サザンカの顔に驚愕が走った。


「我が君、我等はあなたに愛を捧げていますのに!」

「何が愛だ! 相手の未来を奪うのは愛って言わない。それはただの自己満足だ!」


 武術の心得があるのか、サザンカは左右に身体を動かしてヒラヒラと剣を避ける。怪我をしていなければもっと狙いを定められるのだが。リヒトは思うようにいかない戦いに早々に見切りを付ける。

 フェイントを入れて踏み込んだ後に、勢いよく跳躍して、サザンカの背後に積み上げられた薪の上に着地した。


「しまった!」

「メエエエ(待ってました)」


 祭壇の上で鳴く羊の横に立って、彼女を拘束する縄を剣で断ち切る。羊は縄で幾重にも巻かれて芋虫のようになっていた。縄から解放された羊は空気が入った風船のようにモコモコ膨らむ。


「行こう、メリーさん!」

「メエー(その前に)」


 羊は後ろ脚で薪を蹴り飛ばすと、渦巻きの角が生えた頭を下げて唖然としているサザンカに突進した。


「メエエエ(羊を甘く見ないでよ!)」

「そんなっ……きゃあああっ」


 羊に吹き飛ばされてサザンカは近くの建物の壁に突っ込む。

 砂埃がもうもうと上がった。

 さすがメリーさん、謎の攻撃力だ。なぜその馬鹿力で縄を解かなかったのかとリヒトは一瞬疑問に思ったが、すぐに気持ちを切り替える。メリーさんに突っ込んではいけない。

 リヒトは薪から飛び降りると、怯えた表情のアニスと向かい合った。


「アニス、選んで。降参するか、戦うか」


 剣の切っ先を突きつけると、アニスは動揺する。


「そんなっ、私はリヒトの敵なんかじゃ……」

「僕を殺そうとした」

「……っ!」


 リヒトの指摘に、ようやくアニスは自分がしでかしたことの意味を悟ったらしい。がくがくと震えて膝から崩れ落ちた。

 その時、二人と一匹の上に影が落ちる。


「リヒト!」


 見上げるとそこには、先刻別れたばかりの竜のフェイがいた。彼は四枚の翼を広げて空から降りてくるところだった。竜の背中から、ひょっこり懐かしい人物が顔を覗かせる。

 白い髪に赤い瞳の青年。以前、死霊の館に引きこもっていた自称ネクロマンサーのカルマだ。旅の途中だったのか、麻のシャツの上に厚手のコートを羽織っている。風にコートの裾がひるがえった。


「乗れ!」


 声を掛けられたリヒトは剣を鞘に戻すと、走り寄ってアニスの腕を掴む。「え?」と戸惑う彼女を抱き上げると、地面を蹴って竜に飛び乗った。後を追って羊がひらりと跳躍する。

 全員乗ったことを確認すると、フェイは急上昇する。

 空を飛ぶ魔物が追いかけてくるが、四枚翼の竜は彼等を突っ切って逆走した。


「リヒト、お前、血だらけじゃないか!」


 自分の首筋から流れる血と、サザンカを切った際の返り血で、リヒトの服は散々に汚れている。アニスの天魔が影響しているのか、首筋の傷痕からは微量の血が流れ続けていた。

 貧血から目眩を覚えたリヒトは、竜の背に這いつくばるように倒れ込む。カルマが慌てて、リヒトの身体を支えた。


「ヤバい、血が足りないよ……カルマ、アニスを見張ってて。僕はもう、駄目……」

「リヒト!」


 気を失ったリヒトを抱えこんだカルマは、首筋の傷に気付いて止血を始めた。その様子を少し離れて、アニスは呆然と眺めていた。


「私、好きな人を殺そうとした……?」

「メエエー(人生そんなこともあるよ)」


 羊のメリーさんはふわふわの羊毛をアニスにくっつけて、彼女を慰めようとしていた。しかし、アニスは自分の耳を塞ぐようにうずくまる。羊の鳴き声は風に流れて空に虚しく消えた。




 リヒト達はフェイの案内により、コンアーラ帝国の南にある農村に避難した。魔物を恐れたのか、村人は全員逃げ出した後で人の姿は無い。空き家には水や食料が残っていて、畜舎に残された動物がのんびり草をはんでいる。

 傷を負ったリヒトは熱が出て寝込んでしまった。

 少なくとも丸二日は眠っていたと思う。

 目覚めた時、部屋の隅っこに体育座りをしているアニスを見つけて、リヒトはぎょっとした。


「アニス……? そんなとこに座り込んでると、お腹が冷えるよ」


 おそるおそる声を掛けると、アニスはのろのろ顔を上げた。

 リヒトは彼女の顔を見てブッと噴き出した。


「何その顔! おたふくみたいだ! あはは!」

「わ、笑わないでよ」


 どれだけ泣いたのか、まぶたが腫れ上がって、少女の顔はお化けのように膨張していた。お腹を抱えて笑うリヒトに、アニスは唇を尖らせる。

 リヒトは笑いを収めると、掛け布団を持ち上げて上半身を起こす。

 まだふらつく身体でベッドから降りて立ち上がった。

 ゆっくり歩いてアニスの前まで行くと、目を丸くしている彼女の前に座り込む。


「アニス、僕、前に恋人は羊さんだけって言ったけど、あれは嘘だよ。本当は――ソラリアが好きみたいだ」

「!!」


 アニスは泣き腫らした目を極限まで開いて、リヒトを凝視する。

 彼女に向かって、リヒトはふわりと笑った。


「それはそれとして、アニスは僕の大事な友達だよ。これから先も、ずっと」

「……うん。うん……」


 幼馴染みの少女の瞳に涙が溢れた。

 今、ひとつの恋が終わって、新しい関係きずなに生まれ変わったのだ。

 次から次へ零れおちる涙を拭わず、アニスは潤んだ瞳でリヒトを見つめる。リヒトは泣いている彼女に手を差し伸べずに、一歩引いて立ち上がった。

 

「邪魔するぞ」


 部屋の扉が開いて、カルマが入ってくる。

 彼は泣いているアニスをちらっと見て、気まずそうな顔をしたが、無視してリヒトに話し掛けた。


「西の草原に、教会が派遣した勇者パーティーが現れたらしい」

「え? 草原に? 海を渡ってきたんじゃなくて?」

「ああ。唐突に現れて噂になってると、さっき出会った旅の商人に聞いた。勇者パーティーの中には、歌鳥の勇者の名前もあった」


 歌鳥の勇者――ソラリアだ。

 病み上がりでぼんやりした意識が冴えてくる。同時に瘡蓋が痒くなってきて、リヒトは首筋に巻かれた包帯を剥がした。傷はもう塞がりつつある。

 カルマの後から、羊のメリーさんが部屋に入ってきた。


「メエエ(そろそろ行く?)」

「うん。ソラリアを迎えに行こう」


 包帯を床に投げ捨てて、リヒトは背伸びをした。

 

 

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