第六章

01 メリーさん、小さくなる

 海に浮かんだ羊は、他の昆布やワカメと一緒に海流に乗ってワイルダー大陸の浜辺に漂着した。浜辺に打ち寄せられた羊は「ぷしゅー」と風船から空気の抜けるような音と共に小さくなる。小さくなって、どんどん小さくなって……


「メリーさん?!」


 なんと手のひら大まで小さくなった。

 リヒトは砂浜から羊のメリーさんを拾い上げる。


「なんでこんなに小さく……そうだ、タコを拾い食いしてお腹を壊した?!」

「お腹を壊したら小型化するものなのでしょうか」


 今のメリーさんは人間の頭よりちょっと小さいくらいだ。

 リヒトはメリーさんを抱えて首をひねったが、そこは最初から謎の羊メリーさん、巨大化したり空に浮いたり疑問は尽きないので、小型化についても深く考えるのは無駄というものだろう。リヒトの手の中でメリーさんは元気そうにメエメエ鳴いている。どうやら小型化は健康に影響していないらしい。


「さて、ここがワイルダー大陸だと仮定して、コンアーラ帝国でなければ良いのですが」

「コンアーラ帝国……」


 小型化したメリーさんについて考えるのは諦めて、リヒトは羊を抱えて砂浜をペタペタ歩いた。

 昨夜のダイビングで服は海水で濡れて、装備は海の藻屑になっている。濡れた服は自然乾燥して、今は概ね乾いた状態だった。荷物が無いのは痛いが、靴を履いていないのはもっと痛い。素足で地面を歩いたら、足が傷だらけになる。

 ソラリアも素足なので同様に考えているらしく、二人は何となく海岸に沿って砂浜を歩いた。


「コンアーラ帝国は、天魔の能力者にとって厳しい国です。聖骸教会が唯一影響力を持たない国であり、天魔を嫌っているので、聖骸教会と関係のある国と国交がありません。私達が元いたカーム大陸に戻りたいと思っても、帝国は船を出していないのです。帰るには、南下してプラティパスを経由しなければ」


 彼女の説明を聞きながら、リヒトは両親に教わった地理や世界情勢を思い起こす。

 海峡によって隔てられたワイルダー大陸とカーム大陸、二つの大陸は聖骸教の影響下にあるかないかで、文化的にも大きな隔たりがある。教会は天魔の能力者を勇者として採用する。聖骸教会の影響下にある地方は、天魔の能力者にとって比較的住みやすい文化になっているのだ。

 コンアーラ帝国は、天魔の能力者を排斥して弾劾してきた国として有名である。


「ここが何処なのか、人がいる場所に行って聞いてみないといけませんね……あ、私の鳥達が靴を拾ってきてくれたようです。ご苦労様」


 ソラリアの伸ばした腕に、空から舞い降りた首の長い白い鳥がとまった。

 鳥は長い嘴にくわえていた二足の靴をぽいと地面に落とすと、再び空に舞い上がる。

 リヒトとソラリアは鳥が持ってきてくれた靴を履いた。サイズが大きくて少し歩きにくいが、仕方ない。


「人里は、あっちみたいだよ」


 リヒトは内陸の方向を指した。

 絆を感じ取る天魔のスキルのおかげで、人がいる場所は何となく分かる。

 靴を履いたソラリアは、その場でぴょんぴょん跳ねて動きを試しているようだ。リヒトの示した方向を確認すると、ニヤリと笑みを浮かべた。


「リヒト、どっちが先に人の住む場所に着くか、競争しましょうか?」

「ええ?! 競争?」

「よーいドンで、走るのです! ほら、よーい、ドン……」

「何言ってるんだよ、もう」


 本気で走り出したソラリアに、リヒトは困りながら羊を小脇に抱えて追いかけた。

 瞳の色は変わっていないが天魔の力を使っているのだろう。尋常でない速度で走る彼女に追いつくために、リヒトは仕方なく自分も天魔の力を使う。

 淡い金髪を風になびかせて軽快に走りながら、ソラリアは楽しそうに笑った。


「ふふっ、前から気になっていたのですが、リヒトあなた、天魔の能力を使いこなしていますね!」

「使いこなすっていうの、これ。僕は他の能力者を知らないから、分からないけど」

「天魔の能力者は少ないですが、自分の能力をコントロールできる者はもっと少ないです。リヒトなら教会の最高レベルの勇者とも、渡り合えるかもしれませんね!」

「そんな保証は要りません」


 雑談しながら走ること一時間と少し。

 人里らしい街の姿が遠く見えてきた。

 遠目に建物の形がリヒトの知るものと異なっている。黒光りする瓦が乗った三角形の屋根に、土で出来た壁、木製の扉が特徴的な建物の造りだ。

 街は不穏な気配に包まれていて、ところどころから煙が立ち上っている。


「火事? それとも、何か焚火でもしているのかな」


 街に入る直前でリヒトは足を止める。

 隣のソラリアも立ち止まって街の様子を観察している。

 何か事件でも起こっているのか、慌てた様子で逃げていく人とすれ違った。


「中に入りましょう」

「うう、トラブルに巻き込まれる予感」


 ソラリアはひとつ頷くと、堂々と街の大通りに向かって歩き始める。

 平穏な日常が恋しいとリヒトは嘆いたが、大人しくソラリアの後を追った。財布も装備も無くして、ここがどこかも分からない状態で、彼女と別行動を取るのは不安だった。

 通りを進むと武装した兵士の集団が見えた。

 広場の中央の高台に立つ、大将らしき黒い鎧を着た男が演説している。


「今日、革命は成功した! 貴様らの皇帝は既に降伏した! このコンアーラ帝国は我々、天魔を持つ者の国となる!」


 やっぱり厄介事が起きてるじゃないか。

 リヒトは頭を抱えた。


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