06 本命の勇者登場

 流れで勇者の役割を演じることになったリヒトの幼馴染、アニスは、教会に戻って体を休めていた。彼女は記憶の混乱もあって、まだ完全に自分を取り巻く状況を把握している訳ではない。

 ただ、記憶はなくても自分が家族や故郷に未練はないのは感じていた。

 だから教会のベッドが多少固くとも問題ない。

 帰りたいと思う場所は無いのだから。


 夜明けまでの短い時間、寝台に横たわった少女は、夢を見ていた。

 赤、黄色、ピンク……。

 色とりどりの薔薇が庭園に咲き誇っている。

 その庭園の中に彼女は立っている。


 楽園のように美しい庭園の中央にある噴水に近づき、波打つ水面をのぞきこむ。

 水面に映ったのは赤金の長い髪を持つ美少女。

 単なる村娘であるアニスには到底、着こなせないような、豪奢できらびやかなドレスを平然と着こなし、磨き上げられた玉の肌には傷一つない。


 これは、アニスに宿る天魔、薔薇吸血姫ロゼリウムの記憶だ。


 アニスは薔薇吸血姫と呼ばれた天魔の生まれ変わりという訳ではない。ただ彼女と相性がよくて、彼女の欠片を受け継いだだけの別人。薔薇吸血姫の記憶も人格も、天魔の力に付属する断片的なものに過ぎない。


 薔薇吸血姫と呼ばれた天魔は、魔とは正反対の天使の娘だったらしい。

 誇り高き天使である彼女の親は自分の娘が血を飲む化け物だと恥じて、彼女を薔薇の庭園に幽閉した。長い長い間、名前も呼ばれずに彼女は薔薇の園にこもり、花と共に生きていた。

 自分が幽閉されていることも意識しないまま、孤独が何かも知らないまま生きてきた少女の元に、ある日、旅人が訪れる。

 偶然、庭園に訪れた旅人は少女に外の世界について語り聞かせた。


「そう、外の世界には恐ろしいものや楽しいものが、私の見たことがないものが沢山あるのね。私……見てみたいわ」

「見たいなら外に行けばいいじゃないか」


 旅人は事もなげに言う。


「私はここを出られないの。旅人さん、私を連れだしてくれる?」

「嫌だね。僕は君の行動の責任を負うつもりはない。出たければ自分で出ていけばいいんだ」

「意地悪な旅人さんね!」


 無責任な事を言う彼に腹を立てた。

 誰かが連れ出してくれるまで、彼女はずっと待つつもりだったからだ。


「君の心は自由だ。僕らは心に翼があれば、どこへだって行ける」


 旅人は謎めいたことを言って、去っていこうとする。


「待って!」


 アニス/少女は手を伸ばした。

 去っていく男の背中が幼馴染の少年と重なる。





 空中に手を伸ばしたアニスは、目覚めて朝になったことに気付いた。

 布団から起き上がってカーテン越しの陽の光を浴びる。

 

「リヒト……私、寂しいよ」


 どうして一緒に来てくれないんだろう。

 本当に薄情な幼馴染だ。

 溜息をつくと、用意された服に着替えて部屋を出る。

 神官服に似た白と紺を基調とした服で、下がスカートになっている。村娘のアニスは今までこんな上等で華やかな服を着たことがないので、ヒラヒラのスカートには少々戸惑っていた。


 階下に降りていくと、女性神官のイアンナが誰かと話している。

 相手は淡い金髪の髪を腰まで伸ばした水色の瞳の、涼しげな印象の少女だった。年の頃はアニスより少しだけ年上だろうか。落ち着いた物腰で、アニスが着ているのに似た神官服に旅用のコートを羽織っている。


「あ、起きてきたんだね、アニスちゃん! 紹介するよ!」


 イアンナはアニスを見て手招きした。

 訳の分からないまま知らない少女と引き合わされる。


「今朝、ようやく本命の勇者様が到着したんだよ。彼女はソラリア。教主国ジラフから来た勇者の資格を持つ聖女さ」

「え?!」


 本物の勇者を前に、アニスは吃驚して居心地の悪さを感じた。

 構わずイアンナは驚くアニスをソラリアに紹介する。


「ソラリア、彼女はアニス。最近、天魔に覚醒したばかりだけど、かなり上級の魔なのに制御できてるみたいだったんで、私の判断で手伝ってもらっていたんだ。大目に見てやってくれ」

「そうですか。道に迷って到着が遅れたのは私の怠慢です。仕方ありませんね」


 ソラリアは冷厳とした声で言った。


「けれど、私が来た以上、遊びは終わりです。速やかにゴブリンロードを討伐し、街の平穏を取り戻しましょう」

「速やかに、って、ゴブリンロードの潜伏している場所は調査中だよ」

「調査は必要ありません。私には優秀な目が付いていますから」


 手を上げたソラリアのもとへ、開いた窓の外から黒いカラスが舞い降りる。

 カラスは彼女の肩にとまった。


「ゴブリンロードの居場所は分かりました。準備を整え次第、討伐に向かいましょう。アニス、怖くないなら付いてきなさい。上級の天魔の使い方を見せてあげましょう」


 聖女と呼ばれる少女に不似合いな黒いカラスに見つめられ、アニスは何となく不吉な予感をおぼえた。


 

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