02 逃げるが勝ち

 案内してくれた初老の男性神官が出ていくと、執務室には赤毛の女性神官と学生風の男とリヒト達だけになった。

 女性神官が腕を腰にあてて言う。


「さあて、勇者ちゃんの正体を聞かせてくれ。教主国ジラフから来た私の知らない勇者なんて、いる筈がないからね」


 ジラフは小国ながら聖骸教会の総本山であり、勇者を派遣する本部でもある。女性はジラフから出向して、この街の教会に勤めているようだ。

 聖骸教会は聖女シエルウィータを創始者として【名前の無い神】を奉じる一神教の集団だ。この世界でもっとも信仰者が多い宗教団体である。

 雰囲気的に、女性神官はリヒト達を糾弾するつもりは無さそうだ。で、あるなら嘘をつき通す必要はないように思える。

 リヒトは腹をくくった。


「……彼女はアニス。つい最近、天魔に覚醒したので、教会に届け出しに来たところでした。聖剣はうちの村で預かっていたものです」

「ああ! そういえばそんな話が来ていたねえ。ゴブリン対応で忙しくて無視してたよ」


 アローリアの街の教会は、この近辺で一番大きい。

 なるほど、アニスの話はこの教会で止まっていたらしい。


「だいぶ上級の魔みたいだけど、制御できているようじゃないか。上等、上等。戦力になりそうだね」

「あのう」

「ああ、私はイアンナ、この教会の司祭だよ。彼はケイン、この街の書記官さ」


 赤毛の女性神官がイアンナ、眼鏡を掛けた学者風の男がケイン、と。

 脳内に名前をメモしながらリヒトは疑問を口にした。


「見ただけで分かるものなんですか? その、天魔が宿ってるって」

「私は鑑識眼というスキルを持ってるからね。大概の天魔は見ればどんなものか分かるよ」


 ということは、リヒトの天魔もバレてしまうのだろうか。

 冷や汗をかいていると、こちらをジロジロ見ていたイアンナがにっこり笑った。


「坊やは一般人だね。スキルも何も持っていないようだ。勇者ちゃんの付き添いかい」


 先ほどからスキルという言葉が出てきたが、スキルとは天魔から派生するものだ。アニスのように強力な天魔を有さなくても、スキルは持っているという可能性がある。例えば、正体も具体化できないほど非常に弱い天魔でスキルだけ持っている一般人は、大きい街に出れば意外といる計算だった。

 リヒトは隠蔽が効いていると分かって胸を撫で下ろした。


「はい。なのでゴブリン退治には同行できそうにありません」

「そうか……ここから先は一般人にはキツイかもしれないね。帰っていいよ」

「ありがとうございます。じゃあ僕はこれで」

「ちょっと待って!」


 イアンナの許可が出たので帰ろうと思ったリヒトだが、そうは問屋が卸さない。

 置いていかれると気付いたアニスが眉を逆立てて怒った。


「リヒト! ここまで来てそれはないんじゃない?!」

「えー? だって僕は付き添いで来ただけだよ」

「ほ、ほら私達、友達じゃない?! せめて落ち着くまで側にいるとか」


 食い下がるアニスに、リヒトは飄々と答えた。


「うん、ただの友達だよ。家族や恋人って訳じゃない。だから僕が君の人生に付き合う義理はないよね」


 正直過ぎる解答に、ショックを受けたアニスが絶句している。

 目の前で繰り広げられる愁嘆場に大人二人も恐れおののいていた。


「は、はっきり言う子だねー。最近の子は皆こうなのかい」

「いや、ないっしょ。この坊主が天然とみた」


 後ろでこしょこしょと話すイアンナとケイン。

 アニスは拳を握りしめて震えた。


「リヒトの馬鹿ーーっ!!」


 鞘に入ったままの聖剣を振りかぶったアニスに、リヒトは急いで回避行動を取る。


「それじゃ一般人の僕はこれで失礼しますね!」


 素早く部屋から出て小走りに教会から脱出する。

 背中に「覚えてなさーい!」という恨めしい叫びが聞こえたが、リヒトは忘れようと思った。




 教会を出たリヒトは街の大通りをゆっくり歩いた。

 来た時はまっすぐ教会に向かったので違和感の正体に気付かなかったが、注意深く見ると立ち並ぶ商店が軒並み開店休業状態になっている。

 露店に陳列された商品は少なく、店番の店員の顔も冴えない。

 全体的に不景気な様子だ。

 リヒトは足を止めた。

 どこへ行くのか決めていない。


「どうしようかな……」

「離して! 私は街の外に行くの!」


 少女が母親らしき人物の手を振り払ってこちらに突進してくる。


「ゴブリンは私が行かないから怒ってるのよ! 私がゴブリンの王様のところに行かないと!」


 転びそうになりながら走ってくる少女は、立ち止まったリヒトにぶつかりそうになる。


「きゃっ」

「っつ?!」


 その瞬間、意図していないのに急にリヒトの天魔が反応する。

 視界が蒼く染まり、少女を取り巻くえにしの糸が見えた。

 少女から伸びる糸の一本が儚く煌めきながら、街の外に向かって伸び、途中で空中に溶けている。他の糸と違い、明度が低く途切れそうなほど細い。

 慌ててリヒトは自分の天魔の発動を止める。

 こんな往来で目の色が変われば気付かれる可能性がある。

 幸い、ほんの瞬きほどの時間だったらしく、誰も気付いていないようだった。


「リリィ、おかしなことを言うのは止めて、戻ってきなさい! すいません、旅の方、ご迷惑をお掛けしました」


 リヒトにぶつかったせいで母親が追い付いた。

 母親はリリィというらしい娘を押さえてリヒトに謝る。


「いえ……ところでクリームパンってどこに売ってるか知ってます?」


 唐突な質問に、母親の腕の中でもがいていた少女が、きょとんとしてリヒトを見上げた。



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