04 親子の絆

 天魔を宿している者は教会に連れていかれる。

 天使の類を宿していれば神官として採用され、魔物の類を宿していて災厄になりそうなら処分される。羊さんとのんびり山を散歩する毎日が気に入っているリヒトにとっては、どちらも面倒な結末だった。

 だからリヒトは己が天魔を宿していることを、誰にも、幼馴染にさえ、言ったことがない。


「リヒト、あなた……?!」


 アニスは雰囲気の変わったリヒトに驚いたようだった。

 きっと彼女が見ている自分の瞳は、普段の濃紺から妖しく輝く蒼に変わっていることだろう。


「そう、同じだったんだ。だから、リヒトは私に優しかったのね」

「違う」


 同じように天魔を宿していたから、他の村人が遠巻きにしていた少女にも平気で話しかけたのかと、アニスは思った。

 しかしリヒトは否定する。


「僕はアニスが天魔を宿していたことなんて、知らなかった。どっちにしても僕にとって、アニスはアニスだよ。変わらない」

「……さらりと嬉しいことを言ってくれるよね、リヒトって」


 束の間、少女らしく慎ましい微笑みを見せたアニスは、長剣をリヒトに向かって持ち上げた。


「だけど私は止まらない。もう止められないの。リヒト、止められるものなら、止めてみなさい!」


 少女は身長の半分ほどもある剣をふりかぶって、身軽にリヒトに向かって踏み込む。

 リヒトは地面に倒れている友人のレイル少年を巻き込まないようにしながら、寸前で剣を避けた。天魔を発動して反射神経や動体視力が上がっているからできる芸当だ。

 すぐ近くで大地をえぐる剣の一撃に、内心、冷や汗をかく。

 リヒトが宿す天魔は彼女のように激しい性質を持っていない。どちらかといえば特殊で弱い部類に入る。だからこそ隠蔽できたのだが。


 今、蒼く染まったリヒトの視界には、空中に張り巡らされた白く光る糸が見えている。

 リヒトとアニスの間、アニスとレイルの間にも糸が張られていて、光る糸によって互いに繋がっていた。

 これは人と人との繋がり。

 どんなに遠く離れていても、人は目に見えないえにしによって繋がっている。


「……そこだ!」


 リヒトは剣を振り回す少女の背後に回り込むと、空中でナイフを振るった。


「どこを狙ってるのよ、何も無いところ……で……」


 アニスの嘲笑が途中で切れる。

 他の誰にも見えていない、アニスと父親を結ぶ縁の糸を、リヒトは断ち切る。その糸は禍々しい赤黒い色に染まっていた。親子の絆が取り返しの付かないほど病んでいた証拠だった。

 プツン、と……。

 空中で断ちきられた糸は淡い光を残して消失する。


「あ……ああ……!!」


 剣が地面に落ちた音がした。

 少女を取り巻いていた禍々しい魔力の放出が収まっていく。

 辺り一帯の地面をおおっていた赤い光の紋様が消えた。

 少女は剣を放り出して呆然とする。


「私……私、なんでこんなことをしてるんだろ。クソ親父を……お父さんって、ダレ……?」


 絆の消失と共に、その人物に関する記憶は失われる。

 今、少女を駆け巡る走馬灯のような思い出は、通りすぎる端から消えていく。絆を断ち切ったリヒトも一瞬、その形の無い痛みを共有する。

 粉々になっていく記憶の欠片を抱えて少女は慟哭どうこくした。


「うああああああっ!」


 意味を失った叫びを最後に、少女は崩れ落ちて気を失う。

 その姿を見届けてリヒトはナイフをポケットに戻した。絆は簡単に切っていいものではない。後味の悪い気分を噛みしめながら、血の海に沈んだアニスの父親のもとに歩み寄る。


「あれ? 生きてる? 丈夫な人だなー」


 呼吸にあわせて上下する胸を確かめて、リヒトは眉を上げた。

 彼にとっては死んだほうが楽だったろうが、父親を殺した罪悪をアニスが背負うのは酷なので、生きていてくれて良かったのかもしれない。

 アニスの力で村中の人々は皆、地面に倒れている。静かになった村を見渡して、耳を澄ませたリヒトは近付いてくる足音に気付いた。もともとアニスの行動は噂話になっていたくらいだし、誰か屈強な大人を近隣の街や村から呼んでいたのかもしれない。


「……気を失ったフリをするか」


 このまま突っ立っていると質問責めされるのは目に見えている。

 リヒトは冷たい地面に寝そべって目を閉じた。

 アニスを止めるために天魔の力を使ったが、当のアニスは絆を切られた影響で今日の記憶は曖昧になってしまっているはずだ。つまり、うまくいけばリヒトが天魔を持っていることは誰にもバレずに済む。

 無事に今日という日が終わることを願って、リヒトは成り行きに身を任せた。





 結論から言えばバレなかった。

 村に駆けつけたのが親切で優しい神官で、怪我人の救助を優先して事件の調査は後回しになったのだ。


 天魔を宿していると判明したアニスは、物置小屋に閉じ込められた。

 大人達は下手に彼女を刺激して暴れられると厄介だと困り果てた。上級の魔を宿した彼女を止められる者は、近隣の村にはいないからだ。

 しかし当の本人はここ数日の記憶が飛んでいる上に、生活の大部分を占めていた父親の記憶が無くなったので大人しくなっていた。

 彼女が覚えていたのは、親しくしていた数少ない同じ村の子供、リヒトのことくらいだった。


「ねえリヒト、私なんで閉じ込められてるのかしら?」

「うーん」


 無邪気に聞かれたリヒトは返答に困った。

 リヒトは彼女に食事を持っていく係に命じられた。

 村人達は天魔を恐れて、誰も彼女に近付きたがらなかった。

 アニスの方は閉じ込められて不安になるかと思いきや、意外にも楽観的な反応だった。


「なんだか、胸がすっきりしたというか。身体が軽くなったというか。今すごく気持ちがいいの。ここは狭いけど、食事はリヒトが持って来てくれるし、何の不自由もないわ」

「そっか」


 事情を知るリヒトは彼女が大丈夫そうなのにホッと安心した。

 腕を伸ばして、アニスの紅茶色の癖っ毛が跳ねた頭をポンポンと軽く撫でる。記憶を失った影響で幼児のように純心になった彼女には、構ってあげたくなるような雰囲気があった。


「あ……」

「どうしたの?」


 頭を撫でると、アニスは不意に声を上げた。


「誰か……ずっと昔に誰か、こんな風に頭を撫でてくれたの。あれは、誰だったんだろう……」

「……」


 きっと、最初は傷付けるつもりなんて無かったのだ。

 時と共にいつの間にか、最初に思っていたのと違う風になってしまった。そして、時間は決して巻き戻せない。傷付けあった過去は無かったことにはできない。それでも。


「アニスには……優しいお父さんがいたんだよ。きっと」


 不思議そうにする彼女にそう言って、リヒトは静かに微笑んだ。



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