魔の手はそっと忍び寄る(2/5)

 新国立競技場のモニタールームに、不自然な着信音が鳴り響く。その音に真っ先に反応したのは、サイバー犯罪捜査官でもある晃一だった。良亮の隣で着信に応じると、急いでモニタールームから出て相手の声に耳を傾ける。


「五十嵐、報告だ。本日未明、ネット掲示板にて犯行予告があった。今から画像を送るが、口頭でも伝える。よく聞け。『ただちにオリンピックを中止せよ。中止しなければ、八月九日の閉会式にて、多くの死人が出ることになる。観客を死なせたくなければ、東京を死の国にしたくなければ、ただちにオリンピックを中止しろ』だそうだ」

「記録を辿り、犯人特定をお願いします」

「すでに始めている。結果がわかり次第報告するが、お前の方も気をつけろ。開会式の一件もあるし、ただの悪戯とは思えない」


 発信者は警視庁にいる晃一の上司にあたる人物。晃一を含む複数名のサイバー犯罪捜査官がサイバーテロ対策チームに所属していることもあり、オリンピック開催後はネット巡回に協力している。そんな警視庁の者達が見つけたのはオリンピックに関する妙な書き込みだった。


 犯行予告そのものはさほど珍しいものではない。面白半分、好奇心や悪戯心から殺害予告やテロ予告を書き込む者はそれなりにいる。悪質なものになると、サイバー犯罪捜査官が記録を調べて書き込み者を特定し、逮捕する。中には書き込み通りに犯行を起こして逮捕される者もいた。


 それらはオリンピックが始まる前から一定数いた。今競技場で起きている出来事に比べれば、脅迫文書の一つや二つなど大した問題ではない。しかし開会式でサイバーテロが起きた以上、ただの脅迫文書とはいえ見過ごすことが出来ない現実があった。


「連絡ありがとうございます。こちらの方でも警戒しつつ、開会式の二の舞にならないように対処します」


 電話を終えた晃一の顔がそれまでより一層暗くなる。モニタールームにいる良亮達の元へと戻ろうとする足は僅かではあるがふらついていた。モニタールームの扉を開くと、体が前のめりに倒れそうになる、なんとか転ばないように踏ん張ると、何事も無かったかのように作り笑いを浮かべた。


「疲れたとか言ってらんないよな。俺が頑張らないと」


 晃一の口から、誰の耳にも届かない言葉がこぼれ落ちる。ため息に混ざるようにして吐き出されたその言葉は、関係者の作り出す慌ただしい物音にかき消された。




 モニタールームでは、サイバーテロ対策チームがパソコン作業を続けている。そこに合流することになった晃一は、たった今報告された内容を語ることなく作業に戻ろうとする。そんな晃一の異変に気付いたのは、晃一のパソコンを借りている良亮だった。


「晃一さん、どうしたんスか? なにか良くない報告でもあったんスか?」

「ん? 別に大したことないから大丈夫だ。そんなことより、セキュリティシステムの確認は済んだのか?」

「大したこと無くても知りたいっスよ、チームリーダーとしては。セキュリティシステムの方は……話すより見てください。晃一さんならきっと、引っかかってるところにすぐ気付くっス」


 良亮に話を振られるもなんとか話題を変え、そのままセキュリティシステム確認の補佐にまわる。様々な攻撃に対応出来るような予防措置を講じ、事が起きた時に被害を軽くするのが狙いだ。だがそのプログラムに問題があった。


 晃一はパソコン上に表示されたセキュリティシステムのプログラム入力画面を見た。表示されているプログラム言語を読み取り、すぐさま良亮の構築したプログラムを修正していく。一目見てプログラムの問題点に気づいたのである。


「……こんなところだろ」

「晃一さん、何者っスか? プログラムに詳しすぎるっスよ。サイバー犯罪捜査官でしたっけ仕事のわりにプログラムに長けてる感じっス。日本語おかしいっスけど」

「俺はシステムエンジニアからサイバー犯罪捜査官に転職したからな。セキュリティシステムの設計とかは昔よくやってたし、プログラミングを担当したこともあるし。だから、俺がサイバーテロ対策チームに選ばれたんだよ」

「マジっすか。頼りにさせてもらうっス」

「頼るのは適度にしてくれ、頼むから」


 システムエンジニアは文字通りシステムの設計を行う仕事である。実際にセキュリティシステムの設計をしたことがあるからこそ、システムの穴やプログラムの問題に気付くことが出来るのだろう。晃一の経歴を知った良亮の目が、好奇心からかキラキラと輝いている。


 良亮の代わりにプログラミングを終えた晃一はプログラムの実行を行う。しかしプログラムを実行する間にその頭を支配するのは、目の前のことではなくネット掲示板に書かれた犯行予告のことばかり。そのせいか、彼の目は画面上に映る些細なミスに気付くことが出来なかった。


 プログラムが実行されるも、誰一人異変に気づかない。サイバーテロ対策チームの人々は誰一人気付かなかった。セキュリティシステムを構築するプログラムにおいてキーボードの打ち間違いがされ、システムの一部にバグが起きている。そのバグが引き起こすトラブルを、彼らはまだ知らない。

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