今宵、聖火の裏側で(3/6)

 新国立競技場ではいよいよ開会式が終わろうとしていた。予定されていたパフォーマンスが終了し、出場選手の入場や宣誓などを終え、最終聖火ランナーによってオリンピック聖火が点灯される。その裏側では、夜も遅くなってきたというのに関係者達が慌ただしく動いていた。


 モニタールームの一画にて各々のパソコンを広げているサイバーテロ対策チーム。開会式がいよいよ終わろうというのに、サイバーテロ対策チームの者達は落ち着かない。パソコンと向き合い、カタカタと音を立ててキーボードを叩いていく。


「良亮! オリンピック関連サイトのセキュリティシステムは大丈夫か?」

「一応セキュリティ設定は確認したんスけど、多分大丈夫っス。可能な限り脆弱性を排除したんで。あと、晃一さんに言われた通り、負荷を分散出来るようにしてあるっス」

「『多分』じゃ困るんだよ。念の為にもう一度確認しとけ。何が起こるかわからないし、サイトへの攻撃、大量の同時アクセスはよく知られている手口だからな。犯人の狙いがわからない以上、警戒するに越したことはない」

「えー。今からっスか? 俺、もう帰りたいっスよ。帰って寝たいっス」

「寝たいのはみんな同じだ。お前はチームリーダーだろ? しっかりしてくれ」


 開会式直前に起きたドローン墜落騒動。それをきっかけに、サイバーテロ対策チームは本格的に動き出していた。ドローン墜落騒動の犯人を探すことに加え、これから起きるであろうサイバー攻撃への対策、サイバー攻撃を受けた際の対処法の確認も行わなければならない。今は家に帰る時間はもちろんのこと、寝る時間すら惜しい状態だ。


 晃一はドローン墜落騒動について調べるのと並行して、チームリーダーである良亮を支える役目も担っている。時に励まし、時に叱り、可能な限りのサポートをしてその職務を支えるのだ。だが、やるべき事が増え始めたせいか、疲労の色が隠せない。加えて、良亮の言動が晃一をさらに疲弊させる。


「この状態でやっても、プログラム言語を打ち間違えるだけっスよ。セキュリティシステムは事前に調整したし、少しくらい寝ても大丈夫っス。ドローンの方は最初からハッキングが想定はされてたけど、こっちは晃一さんのお墨付きっスからね」

「……寝ないと思考が鈍るのは確かですが、事が起きた以上全て確認するのが最善です。では、今日は一時解散にして明日早くに集まりますか?」

「そうしましょ! みんな疲れてるし、今日はもう遅いし、明日の朝の方が頭が回るっスよ」


 パソコンに表示されたデジタル時計は「二十二時十五分」を示している。開会式が始まった二十時から二時間以上もの間、彼らはパソコンと向き合い、サイバー攻撃への対処を行っていた。幸いにも翌日に新国立競技場を使用する競技はなく、今日と同じスペースを利用して作業の続きを行うことは可能である。


 晃一の提案に良亮だけでなく他の関係者達も賛成の意を示す。ドローン墜落騒動の対処に終われていた関係者達は休む間もなく飲まず食わずで神経をすり減らすような作業を行っていた。疲弊する体を栄養ドリンクで騙しながらなんとか作業を続けていたがそれももう限界である。


「わかりました。では明日の午前十時に、このスペースに集まってください。セキュリティの強化、本日のドローン墜落騒動の対処、閉会式に向けた予防措置、を行います。今日は休んで、明日また頑張りましょう」


 良亮に代わって晃一が場を仕切り、一時解散をした。一時解散と言っても、新国立競技場からそう遠くない場所にあるホテルに戻るだけのこと。サイバーテロ対策チームは東京オリンピック・パラリンピック開催期間中、同じホテルで寝泊まりすることになっている。何故だろう、解散指示を出す瞬間、晃一の胸には吐き気に似た違和感が生じていた。



 オリンピック開会式当日の夜、サイバーテロ対策チームが一時解散となった後のこと。良亮はホテルの個室にてパソコンと向き合っていた。開いているのはパソコンのメール受信画面。受信フォルダを確認して必要のないメールは削除していく。


 良亮は普段、受信したメールの宛名と件名を確認して削除するかどうかを決める。そんな中、一件だけ気になるメールがあった。差出人はサイバーテロ対策チームの関係者。件名も仕事に関することで、ファイルが添付されているようだ。宛名と件名を確認し、疑うことなくメールの詳細を開く。


「えーっと……『持っているスケジュールが正しいか確認したい』か。しかも送られたの、今日の朝だし。もう少し早く気付いてたらよかったんだけどな。とりあえず、添付されたスケジュールのデータを見てみるか」


 文面の真偽を確認することは無い。受信した時刻が十二時間以上前ということもあり、失礼の無いように返事をしなければと焦っていた。深く考えずに添付ファイルを開き、そのデータを確認する。頭の中に叩き込んだスケジュールと添付ファイルの内容を照らし合わせ、間違いが無いかを素早く判断した。


 添付されていたのはさほど珍しくもない画像ファイル。その中身は、関係者しか知らない競技日程と使用する会場が一覧になったもの。良亮は画像ファイルの中身に間違いがないことを何度か確認すると、返信のためにメール作成画面を開く。


「あれ? そういや今日、この人にスケジュールについて聞かれたっけ? 聞かれてないな。きっと誰かに聞いて何とかした、はずだ、多分」


 ふと頭を過ぎるのは差出人の今日の行動だ。スケジュールがわからないらしいのに、今日のスケジュールについて訊ねてくる者はいなかった。もっとも開会式が始まってからはサイバー攻撃への対応やドローン墜落騒動への対処に追われ、スケジュールどころではなかったのだが。


「うわ、あとちょっとで日付変わっちゃう! 明日寝坊なんてしたら晃一さんに怒られるよな。とりあえず返信だけしといて、誤字とかあったら明日謝ればいっか。明日に影響出る方がやばいもんな」


 睡魔に襲われて閉じそうになる瞳を無理やり開き、なんとか本文を書ききる。この時点でパソコンのデジタル時計は「二十三時二十八分」を示していた。メールを送信すると、とりあえずとパソコンをスリープモードにする。可能ならシャットダウンまでしたかったが、幾度となく襲ってくる眠気には勝てなかった。


 メールを送信した良亮は、着替えることもシャワーを浴びることも忘れてベッドに体を埋める。程よい弾力と柔らかい枕の感触を最後に、あっという間に意識が遠のいた。クーラーの効いた室内でスリープモードに入ったパソコンが微かに音を立てている……。

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