第13話 歌神の劇場2

 アルフォス劇場の客席とアリーナの上には天井がなく、陽光が差し込んでいる。

 天幕を広げれば雨でも公演が可能らしいが、今は必要ない。

 アリーナには劇団ロバの耳の団員が稽古をしている真っ最中である。

 その様子は、チユキ達のいる観客席から見る事ができる。


「そんなの無理だよ! チユキさん! 絶対無理ッ!!!」


 シロネはチユキに向かって力いっぱい言う。

 シロネはミダスから劇の主役の代役を頼まれたのである。

 頼まれたシロネは嫌がった。

 しかし、入り口で立ち話もどうかと思うで観客席に移動したのである。

 チユキ達がいるのは観客席でも、特に身分が高い者のみが座る事できる貴賓席で舞台が良く見える。

 そのため貴賓席は舞台からも良く見えるようで、団員達が何事かとチユキ達を見ている。

 

「そうかなあ? シロネさんだったら、いけると思うけどなあ~」

「もう無理だよ! リノちゃん! 私に劇の主役なんて!!」


 リノの言葉にシロネは首をぶんぶんと横に振る。

 シロネが嫌がっている劇の名は『アルフェリア』。

 魔女にさらわれた王子様を助けに行くお姫様の物語である。

 シロネは劇団長のミダスからアルフェリア役をやってくれと頼まれた。

 主人公のアルフェリアは姫であると同時に騎士で、剣の達人でもある。

 確かにシロネに合いそうなキャラだとチユキは思う。


「そうかな? シロネにピッタリな役だと思うぜ」


 レイジはにやにやしながら言う。

 完全に面白がっているのがバレバレである。


「無理だよ! そうだ!!それよりもリノちゃんの方が向いているんじゃない?!!」

「う~ん、リノのキャラじゃないと思うな。このお姫様は」


 リノは首を振って答える。

 リノもレイジと同じように笑っている。

 この2人のこういう所は似ていた。


「お願いしますわ! シロネ様!!」


 ミダスがシロネに詰め寄る。

 暑苦しい顔のミダスに詰め寄られてシロネが困った顔をする。

 シロネは何だかんだと言われても、困っている人を見捨てられない所がある。

 そのため、心が揺らいでいるのが誰の目にも明らかであった。


「ミダス団長、あまり無理強いしてはいけませんわ」


 シロネとミダスがやり取りをしている中、稽古をしている団員の中から1人の女性が貴賓席に近づいて来る。

 2人の声が大きく、舞台まで話し声が聞こえていたようであった。

 近付いて来た女性は一見20代半ばぐらいに見えたが、チユキはその姿が嘘である事に気付く。

 その女性は魔法で姿を少し変えていた。

 実際の年齢は30歳後半、いや40代かもしれない。

 普通の人なら気付かないかもしれないが、強い魔力を持つチユキの目はごまかせない。

 チユキが横を見るとレイジにサホコにシロネにナオもリノも気付いている様子である。

 気付いていないのはミダスとデキウスぐらいだろう。


(一体何者なの?)


 チユキは突然現れた女性を見る。


「アイノエ~。そんな事を言っても、延期もそんなに続けられるわけがないわ。ここはシロネ様にお願いするべきよ」

「ですが、無理強いはできませんよ。ミダス団長、シェンナがいないと言うのなら、ここは前のように私が姫役をやるわ」


 2人がチユキ達の前でやりとりをする。

 そして、ミダスが口にしたその名にチユキは聞き覚えがあった。


「もしかして、あなたが大女優のアイノエさん?」


 チユキは2人の間に割って入る。

 するとアイノエと呼ばれた女性がチユキを見る。

 大女優アイノエはアリアディア共和国の有名人物であった。

 上流階級のおじ様達にファンが多いとチユキは聞いている。

 そして昨年までは彼女がアルフェリア姫役をやっていた。

 しかし、今回はデキウスの妹のシェンナがその役をやる事になったのである。


「はい、勇者様方。私はアイノエと申しますわ。ところでかの有名な光の勇者様がどうしてこのような所にいらしたのでしょうか?」


 アイノエは不思議そうにチユキ達を見る。


「お久しぶりですアイノエ殿。妹がお世話になっています」


 デキウスが前に出て挨拶をする。


「あら? まさかデキウス様までいらしているなんて。お久しぶりですわね。以前に会ったのはいつだったかしら? 確かシェンナが入団した頃かしらねえ? それにしても、今日は何の御用事ですか?何か事件でも?」


 アイノエが妖しく笑いながら言う。


「実はその事なのですが……。ご存じと思いますがシェンナが失踪しました。そして、シェンナが失踪した事に魔王崇拝者が関わっているようなのです。そして、その者はこの劇団の中にいます」


 デキウスが厳しい口調でそう言うとアイノエの表情が変わる。


「魔王崇拝者が? どうしてそんな事がわかるのですか?」

「それは、この笛が事件の起きた現場に有ったからです。この笛を見て下さい。ここに黒山羊の紋章が付いているでしょう?」


 デキウスは笛を取り出す。

 その笛を見た時、アイノエの目が大きく開かれる。


「この笛はシェンナが事件が起こったその時に私に預けてくれました。この笛はサテュロスに扮した男が吹くと聞いています。そして、事件の時にこの笛を吹いていたのはここの劇団員のようなのです。アイノエ殿、劇団員に何か心当たりはありませんか?」

「マルシャスウウウウウウウウウウウウウウウウ!!!!!!」


 突然アイノエは大声を出す。

 その声があまりにも大きかったので劇団員も含めて全員がアイノエを見る。


「アイノエ殿?」


 デキウスは恐る恐るアイノエを見る。


「ごめんなさい、デキウス様。何でもございませんわ」


 アイノエは「ほほほ」と笑う。

 しかし、チユキは聞き逃さなかった。


(なぜ突然その名前を叫んだのだろう?)


 チユキが覚えている限り、マルシャスは事件の起きた時に溺れたサテュロスの名前だったはずだ。

 その名を突然アイノエが叫んだ。

 当然チユキは怪しむ。


「横からごめんなさい、アイノエさん。もしかしてこの笛の持ち主を知っているのではありませんか? 確かサテュロスに扮した人でマルシャスって名前の人がいたはずなのですが?」

「……いえ、知りませんわ」


 アイノエは首を振る。


「そういえばマルシャスがいないわね。ねえ誰かマルシャスを知らない?」


 そう言って、ミダスは劇団員達の方へ行く。


「マルシャスか……。そいつが一番怪しいんじゃないか?」


 レイジが言うと全員が頷く。

 正直アイノエも怪しいとチユキは思うが本人を前にそれを顔に出す訳にはいかない。

 しばらくするとミダスが戻って来る。


「どうやら昨晩出かけたきり戻って来ていないみたいですわ」


 そう言うミダスの顔が渋面になっている。


「どうかされたのですか? ミダス殿?」

「いえ……。実はマルシャスが出かけた時にシェンナが後を付けるのを見た者がいるらしいのですわ」


 その言葉にチユキ達は顔を見合わせる。


「そうですか……。ちなみにそのマルシャスさんがどこに行ったかわかりますか?」


 チユキの言葉にミダスは首を振る。


「いえ、知っている者はいませんでしたわ」

「それでは、彼が行きそうな場所に心あたりはありますか?」

「よく、西側の城壁の外の街に飲みに行っているようですが……。詳しい者がいないか聞いて来ましょうか?」

「そうですね、お願いします。それから、ちょっと私達だけで話をしたいので、失礼しますね」

「はい……」


 ミダスが不安そうに頷くとチユキはみんなを連れてミダスとアイノエから離れる。


「さてと、今後の事だけど。とりあえずリノさん。彼女は嘘を吐いていたかわかる?」


 チユキが聞くとリノは頷く。


「アイノエさんは嘘を吐いていたよ。笛の事を知っているみたい」

「はい、私もそう感じました」


 リノに続いて、そう答えたのはデキウスだ。


「デキウス卿、あなたも嘘を感知する能力があるのですか?」

「はい賢者殿、私は天使スルシャ様の加護を受けていますから」


 デキウスは笑って答える。

 スルシャは神王オーディスの耳と呼ばれる大天使だ。別名を監察天使と言う。

 この天使は地上で起きた事を監察してオーディスに報告する役目を持っている。

 そして、人間達が規則正しく生きるように干渉する事もあるようだ。

 その時に有望なオーディスの信徒に加護を与えるらしい。

 デキウスも大天使スルシャに認められて加護を与えられたようであった。


「ところで怪しいのが2人いるっすけど、どうするっすかチユキさん?」

「そうねえ、ナオさん。ここは2手に別れましょうか? アイノエさんを監視する者とマルシャスって人を探す者で。そういうわけだからシロネさん」


 チユキはシロネを見る。


「何、チユキさん?」

「ミダス団長の主役の話を受けてくれないかしら」


 チユキが言うとシロネが首を振る。


「えっ? なんで?」

「アイノエさんに怪しまれないためよ。おそらく彼女の背後には何者かがいるわ。泳がせて突き止める必要があるわね。そして、怪しまれずに近づくにはシロネさんが主役を受けるのが一番だと思うの」


 アイノエは魔法で姿を変化させていた。そして、おそらく彼女は魔術師ではない。

 よって彼女に魔法をかけた者がいるはずだ。

 その者をつきとめなければならないだろう。


「それだったら、リノちゃんの魔法を使った方が速いんじゃ……」


 シロネは渋る。

 確かにシロネの言う通りだろう。リノの読心の魔法等を使った方が速い。

 だけど、彼女はその者と魔法で繋がっているかもしれない。


「確かにその方が速いわね。でももし、彼女に魔法を使ったのがその者にバレたら逃げられる可能性があるわ。例えば魔法をかけた者の使い魔がアイノエの側にいるとかね。だから、リノさんの魔法は出来る限り避けたいの」


 ナオが以前に捕えたネズミの事を思い出す。

 アイノエに何かあれば気付かれるだろう。


「うう~」


 やりたくないシロネは唸る。


「大丈夫だよ、シロネさん。リノがサポートしてあげるから♪」


 リノが明るく言う。


「俺もシロネのお姫様姿は見たいな。きっとすごく似合うと思うぜ」


 レイジもにっと笑い、シロネの肩にぽんと手を置く。

 実はチユキも見たいと思っているが、この事はシロネには言えなかったりする。


「それから、もしかすると向こうから何か私達に仕掛けてくるかもしれないわね。だから、これはおとりの意味もあるの。相手の陣地に攻めるよりも、待ち構えるべきだわ。これは邪神ラヴュリュスと戦った時の経験よ」


 私は本心を隠してしれっと続ける。


「う~。わかったよ、チユキさん。でも、あくまで捜査のためだからね! 事件が終わったらすぐやめるからね!!」


 チユキとリノとレイジから説得されて渋々とシロネは了承する。


「賢者殿。私はマルシャスという男が気になります」


 チユキ達が相談していると横からデキウスが言う。

 そう言うデキウスの顔色が悪かった。


(妹のシェンナさんの事が心配の事が心配みたいね。無事だと良いのだけど)


 チユキはシェンナの無事を祈る。


「それじゃあ、これで決まりね。シロネさんとリノさんとレイジ君。それからサホコさんもシロネさんに付いてあげて。良いかしら?」

「うん。わかったよ、チユキさん」


 サホコは心地よく了承する。


「そして、残った私とナオさんとデキウス卿でマルシャスって人の行方を追うわ」


 チユキの言葉にナオとデキウスが頷く。

 こうして、捜査方針が決まったチユキ達は動き始めるのだった。






「嘘よ! アイノエ姉さんが私を殺そうとしたなんて! 暗黒騎士の言う事なんて信じない!!」


 シェンナが睨んで言うと、クロキは溜息を吐く。

 浴室で気を失った彼女は再び目覚めると暴れ始めた。

 それを落ち着かせるのは大変だった事を思い出す。

 そして、落ち着いた所でこれまでの事をクロキは説明したのである。


「信じるか信じないかは別にして、それが事実だよ」

「信じられないわ……。アイノエ姉さんは私に優しかったもの」

「最初はそうだったみたいだね。でも最近はどうなのかな?」

「…………」


 心当たりがあるのかシェンナは黙る。

 実際にアイノエは最初の頃は優しかったのだろう。

 しかし、シェンナが頭角を現すにつれて憎らしくなったようだ。

 それが、クロキの知っている事件の真相であった。


「それに、カルキノス以前にも、命を狙われてたのじゃないかな?心当たりはないかい?」

「確かに……。突然頭上から物が落ちたり、飲み物や食べ物に異物が入ってたりしてたけど……。もちろん後で犯人を捕まえてやろうと思っていたのだけど。まさかそれがアイノエ姉さんの仕業だなんて……」


 シェンナは泣きそうな声でうつむく。

 その様子にクロキはシェンナが可哀想になる。


「はあ……。納得できないみたいだけど、それが真実だよ。それから、これは返しておくね」


 クロキは持っていたある物を机の上に置く。

 それは2本の曲刀であった。

 刀身が薄く軽い。そのため、片手でも簡単に振り回す事ができる。

 ただし、切断力は弱いので皮膚の硬い魔物等には使う事ができない武器であった。


「私の曲刀? 返してくれるの?」

「うん。元々、君の持ち物だから返すよ。もっとも、それを使って何かしようとしても無駄だからね。それからこの薬はもう飲まない方が良いと思うよ」


 クロキは曲刀を返すと、次に小さな壺を取り出す。


「それは……? アサシュの入っていた壺」

「この中に入っていた薬はアサシュというのか……。危険な薬だよこれ、だから飲むべきじゃない」


 クロキはこの薬を少量飲んでみたのだ。

 毒が効かない体になったからこそできる行為であり、その時に薬の効能が大体わかったのである。

 このアサシュは人間には危険な薬であった。

 飲めば強くなれる。

 しかし、効果が切れた時に体を著しく衰弱させる。

 下手をすると命に係わる危険な薬であり、彼女はこの薬のせいで、昼まで寝ていたのである。

 ちなみに、その間にクロキはクーナとアリアディア見物をしていたりするのだが、それは別の話だったりする。

 こんな危険な薬物を持っている事から、クロキはシェンナがただの踊り子ではないだろうと推測していた。

 もっとも、正体を知りたいとも思わなかったりもする。


「何でそんな事を言うの? あなたはまるで私を心配しているみたい」

「さあ、どうしてだろうね? 自分でもわからないや」


 シェンナは不思議そうに聞くとクロキは首を傾げる。


「クロキ~」


 クロキが悩んでいると寝衣のクーナが部屋に入って来る。

 薄い絹のような布で作られた寝衣はスタイルの良いクーナの体を際立たせている。

 クロキとシェンナはクーナに見惚れてしまう。


「月光の女神……」


 シェンナは兄デキウスと歩いている時に出会った美女が目の前に現れたので思わず呟く。

 クーナはクロキの側まで来ると横からその膝の上へと座る。

 そして、クロキの胸に頭を寄せるとシェンナを見て「ふふん」と笑う。

 まるでシェンナに見せつけているみたいであった。


「クロキ、そんな女は助ける必要はないぞ。殺してどこかに捨てるべきだ」


 クーナが笑いながら言うとシェンナの体がびくんと震える。


「駄目だよ、クーナ。それは駄目だよ」


 クロキはクーナの頭を撫でながら言う。

 クーナの言う通り殺すのが手っ取り早い。

 しかし、クロキはなぜか殺す気にはなれなかった。


「む~。それではその女をどうするのだ。夜のため側女にするのか? それならクーナが躾けてやるぞ」

「いや! いや! そんな事はしないよ! クーナがいれば充分だよ!」


 クーナが嗜虐的な笑みを浮かべて言うと、クロキは慌てて首を振る。

 クロキの目から見てもシェンナはなかなかの美人だ。

 しかも、細い体であるにも拘わらず、中々さわり心地が良かったのは運んだ時に確認済みだ。

 だけど、無理やりするのは駄目だとも思っている。

 それが、どんなにペロペロしたくなるような足であってもだ、そんな事をしてはいけないのである。

 クーナは充分だと言われ少し嬉しそうにする。

 シェンナから興味がなくなった様子であった。

 クロキはクーナがシェンナから興味をなくしたので少し安心するとシェンナを見る。

 シェンナは不安そうにクロキ達を見ている。

 当然だろう。殺すと言われれば不安に思うに違いない。

 クロキとしては殺すつもりもないが、解放するわけにもいかない。

 シェンナを解放すれば、アイノエはシェンナを殺すだろう。

 それにシェンナはレイジ達の所に行くかもしれない。

 そうなればアイノエは終わりだ。

 クロキはアイノエの味方をするつもりもないが、シェンナの味方をするつもりもない。

 だから、シェンナを殺さず逃がさず監禁しているのだ。

 彼女に巻き付けた黒い魔法のいばらはこの家から出ようとすると締め付けるようなっている。

 そのためシェンナはこの家から出る事はできない。

 逃げないのならそれなりの当面の生活は保障しようとクロキは思っている。

 しかし、このままにしてもおけなかった。


「はあ、それにしても……。本当にどうしようか?」


 クロキは考える。

 要はアイノエがシェンナを狙わなければ良いのだ。そうなればレイジ達の所に行かないと約束する事を条件に解放しても良いだろう。

 そのためには、まずアイノエを説得するしかない。


(だけど、殺そうとした相手と和解できるだろうか? だけど、やるしかないか……)


 クロキは溜息を吐くと、明日にでもアイノエの様子を見に行こうと思うのだった。


★★★★★★★★★★★★後書き★★★★★★★★★★★★


ネレイドのガラティアはギリシャ神話に登場します。

様々な神話を元ネタにしているので、ちょくちょく紹介していきたいと思います。

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