20160612:やがて絶え行く僕らの夢を
意外だねと通り過ぎざま小声で言われた。休み時間を告げるチャイムが余韻を残すその間に、クラスは一気にうるさくなり、言った声もかき消えた。
僕が手を上げたことが? 僕が決に加わったことが? 僕が選んだ選択肢が?
学級裁判の被告の彼女は自席についたまま微動だにしない。気付いていないのか、動く気かがないのか、動けないのか、そのどれもだったか。リンドウの花もしおれたように、彼女の髪を彩っている。
かわいそう、と声が聞こえない訳でもなかったが、彼女を救う手は挙がらなかった。
意外だね、言って過ぎた君も、そうだ。かわいそう、言葉を発したあの子も、そうだ。
良心も自浄作用も同調圧力の言葉の元では一切力を発揮しない。
僕だって。
――僕だって。おかしいと思わなかった訳じゃない。
*
雨に降られ森が潤う。森は水を調節しながら川へと流し、川は海へと繋がっている。河口に近い汽水の辺りは栄養があり、プランクトンが発生する。プランクトンは食物連鎖の最下層を支え、小型の魚、肉食の魚、大型の魚へ繋がり、やがて頂点に人が立つ。
異変は氷雨とともに少しずつ現れ始めた。
その年の春は季節外れの氷雨から始まった。大量の雨が森を襲い、山を崩して川を乱した。豊富な栄養は過剰に変わり、河口は赤い色に染まる。
橋を渡って通う僕らは、気持ち悪いと騒いではしゃいで学校中で噂した。どうなるか考えてみようか。温和な教師の唐突な気候の授業に、彼女はまっすぐ手を挙げてハキハキと発言していた。
「酸欠で魚や貝が死んでしまいます。水が入れ替わって酸素が戻れば、プランクトンが増えます。貝が戻るには時間がかかりますが、魚は直ぐに戻ってきます」
短期的にはダメージが。異常があっても時間をかければ元に戻る。他には。教師が問えば済まして彼女は答えたのだ。戻らないのは人が意図した部分だけ。例えば殖業はダメージを受けます。養殖は、自然じゃないから。言い切る彼女の小さな頭で、リンドウの髪飾りが凜と映えた。
ほぅと、あちこちで声が漏れた。感心であり、理解できない溜息だった。そのうち何処からか鼻を啜る音がした。○○ちゃん! 小声で呼ぶ声、ドアが開いて、締まる音。
理科は社会へと繋がって、そしてまた理科に戻った。
「気候変動という大きな流れの中にある。変化はおこる。どうすれば良いか、考えてみて欲しい」
議論の前に、チャイムが鳴った。
「自然じゃないから困っても良いって言うわけ!?」
教室の扉から漏れ聞こえた声に、僕は思わず引き戸にかけた手を止めた。
中には彼女と、数人の女子がいた。まるで彼女を取り囲むように。
「理想の状態で上手くいくように調整する。理想でないことが起きればダメージを受ける。人工ってそういうものでしょ」
言い切る彼女にわっと一人が声を上げた。悲鳴のように、女子たちが一斉に名を呼んだ。
いつも彼女はまっすぐだった。間違ったことは言っておらず、誰を傷つけようだとも欠片も思ってはいなかっただろう。
「言い方ってものが、」
そこで僕は慌ててドアを開けたのだ。ドア音に気づいた女子たちは、泣き出した子を支えながら、慌てて部屋から出て行った。
「人は自然をねじ伏せてきた。山を刈り、森を消し、都合の良いように作り替えた。自然が揺らぐのは当たり前でしょう? 人の歴史は星の寿命の揺らぎがないほんの隙間に蔓延った、悪夢のようなものなのだから」
泣き出した子の家は、養殖を営んでいた。慰めた女子たちも、漁港に関わる仕事だった。
彼女が知らなかったはずはない。
ただ、彼女はまっすぐなだけだった。
大勢にしっかりと掴まれた心は浮遊するのかもしれない。
あの子がかわいそうでしょう? 女子たちの言葉は彼女の心も言葉もがっつり掴んで彼女のうちから引きはがした。
授業中も休み時間も、彼女は取り返すべく口を開き。取り返す糸口も見つけられないまま、また口を閉じた。
彼女の言葉は届きそうで届かない。受け取ることを拒否されて、表面をただ撫でていく。興味を持たれなければ、聞いてももらえず。興味を持たれる言葉は、彼女が意図せず女子たちが期待する、そんな言葉ばかりだ。
そんな言葉ばかりが積もって、学級裁判は始まった。
「あの子の肩を持つつもり?」
水不足の報が聞こえ得る頃、ヨウ化銀が雨粒を連れて天気雨を降らせる頃。
僕は終わりへの道を選ぶ。
*
アポトーシスしない細胞は、やがて癌化し新生物となりはてる。
細胞を抱える身体自身は数多の仕掛けで新生物を攻撃するが、血管までをも取り込んだ生物は生存戦略を行使する。
新生物は知恵を付ける。羽根布団のように柔らかな障害を置き、宿主の目をくらませる。刺激しないよう最大限に注意を払い、来たるべき時のためにと力を付ける。
やがてその時が来たならば、子孫を作り、子孫をばらまき、宿主の全てを支配する。やがて宿主を死に至らしめることになろうとも。
正しいものが、排除されてしまったとしても。
*
翌日、彼女は学校に来なかった。病気とされたが、登校拒否だと誰もが信じて疑わなかった。いじめではなかった。正しすぎる彼女へ、僕らはみんなで否を唱えただけだった。
彼女の欠席は、翌日も続いた。翌々日も、その次の日も一週間が経った後も。
いつか職員室で聞こえてきた言葉では、制服を着ただけで震えだし、吐き気が止まらず、食事ものどを通らなくなり。
衰弱し、起き上がれもせず、入院することになったのだ、と。
クラスには、気まずさと、どこか確かに、安堵が残った。
*
僕らが間違っていると気付いたならば、正すことが出来るだろうか?
自然を乗り越え、生きる術を見つけ続けてきた僕らは、僕らの反映を願い続ける。
正しいことを排除しても、僕らが静穏であるために。
静穏であることで、大きな何かの変動が臨界点を超えたとしても。
やがて死にゆく星は、そんな悪夢を見るのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます