20151031:私の仮面

 目が合った。綺麗な男の子だった。同じくらいの年齢だろうか。私服だけれど、二十歳を超えているようには見えなかった。筋肉を感じさせない細い身体。人形を思わせる顔。少しばかりつり気味の細い目が、私を見ていた。

「綺麗なお面」

 お面?

 なんのこと?

 思わず立ち止まった私をおいて、友人達が歩いていく。気づかず、気にせず。

「隙のない、綺麗なお面。でもいま、ちょっとだけ剥げかけた」

「え……?」

 頬に手をやる。頬に触れる。少しばかり冷えた自分の手が、面になど触れるはずもなく。

 何を言っているのか。

「お面を集めているんだ。君の面、欲しいな」

 にこり、笑まれて。私は一歩後ずさる。

「……知らない」

 喜び、怒り、悲しみ、笑い。

 振られた男の子の手の中に。……透明な表情を見た気がして。

 私は人混みへと踵を返す。

「待って、あーちゃん!!」

 親しいフリで、友人の名を呼びながら。


 *


 適当に遊んで門限を理由に引き上げる。遊び足りない友人達に手を振って、駅の改札を一人過ぎる。帰宅途中のサラリーマンがひしめくホームを縫うように歩き、痴漢の少ない空いた車両の位置を目指す。

 滑り込んできた電車に流されるように乗り込んでいく。

 辞書の入った荷物が重い。空いているわけでもない帰宅ラッシュの最中では座れるわけもなく。

 もう少し早く帰れば良かったかな。

 思いながら、参考書を取り出し開く。持ち歩きに便利なポケットサイズ。赤と緑の文字入りの、下敷きの着いてるヤツ。ドアの脇にもたれかかり、荷物を足下に置かせて貰い、ヘッドホンで音楽でも聴きながら。

 ゲーム機を広げたり、スマホをにらんだりする人も多いけど、一番これが高校生らしいと私は思う。

 最寄り駅からは自転車で。十分走った住宅街の中にうちは建っている。

 車の横に自転車を止めて玄関へ。深呼吸を一つ。うん。

「ただいま」

 おかえりなさいの声は台所から母さんが。

 父さんはまだ帰ってなくて、たまには無精な兄さんと家のどこかで顔を合わせる。顔を合わせそうならば、優等生な妹としてたばこ臭いと文句を言うのだ。

「着替えてらっしゃい。ご飯食べれるわよ」

「はーい」

 連絡しなければ夕飯は家で。食べ終えたら私は予習復習に部屋へと戻る。

 良い子の習慣。良い子の態度。……部屋のドアを閉めるまで。


 *


 時々、イヤになることがないわけじゃない。

 一人になると分からなくなることがある。

 海の底へ沈むような息苦しさがあるわけじゃない。強いて言うなら、青い空の果てに向かって沈んでいくかのような錯覚。苦しくなるのは空気のせい。空気がどんどん、薄くなる。

 もしくは、部屋に閉じこめられた私。開かない扉の壊れた鍵を見つめたまま、この部屋から出られないのだと心のどこかで思うように。焦りはある。けれど、あきらめの方が、強い。


 だって、どうにもならないの。だから、私は、平気な私のフリをする。


 *


「お面をつけてると、視界がごまかせるからさ」

 あの男の子だった。

 ほどよく混んだ電車の中、彼氏彼女が揺れて庇って壁ドンするような体制で。

 細い目が私を至近でのぞき込む。

「目の前しか見えない。部屋の扉が開かなくても。鍵が壊れてしまっていても」

 気づかない、と。

 知らず、奥歯を噛んでいた。男の子から、目をそらした。

 手の中で参考書がくしゃりと撚れた。

 ――本当のことを言われると泣きたくなる。そう言ったのは誰だったか。

 多分、高校生らしくない、こんなシチュエーションに合わない顔で。私はただ。

「お面なんて取ってしまえばいい。僕が貰ってあげるから」


 *


「カナカナ、おっはよう!」

 甲高い声に目を瞬いた。あーちゃんと、トモが薄いカバンをへらりと持って私をのぞき込んでくる。

 車内へざっと視線を巡らす。あーちゃんの声に伺っていたような視線がちらりほらりと減っていく。……女子高生同士のちょっと煩い会話だと、了解したのだ。

「香奈ちゃん、怖い顔してる」

 のぞき込んでくるトモに、私は『香奈』の顔をする。

 少しばかり真面目で気が強い、優等生風の。

 ……声は抑えめ。電車の中だから、はしゃぎすぎない。声の大きいあーちゃんを牽制する意味も、ある。

「なんでもないよ。難しいところがあって」

「えー、カナカナが難しいってあたしら絶望じゃんー!」

『香奈』は微笑む。そんなこと無いよと牽制しつつ、勉強会なんかを提案する。

あーちゃんとトモの友達として。普通の女子高生として。電車内でのありきたりな普通の会話を。『香奈』として。


 *


 学校に居る間は少しばかり優等生の香奈で。

 家にいるときは聞き分けの言い妹で。

 登下校の間は何処に出もいる女子高生で。

 家の近所では行儀の良い保坂さんちの娘さんで。


 自転車を押して、サイクリングロードをはずれてみる。

 薄い街灯の灯りがかろうじて届くだけの河原に一人立ってみる。

 絶えず聞こえる水音に、少し離れた国道を走る車のエンジン音。

 時折過ぎる自転車のベルに、マラソンでもするかのような軽い足音。

 一人になると。

 私はどんな顔をしているのだろう。

「大抵の人は仮面にヒビが入っているものだけど」

 知った声。三度目の声。

 振り向かなくても、足音が近い。

「そんなに隙もなく着けていたら息苦しいだろう?」

「仮面、なんて」

「優等生の妹の面、友達思いの優等生の、何処にでもいる女子高生の」

 ――何となく分かっていた。私が演じる私を男の子は『仮面』と呼ぶ。

 でも。

 だからといって。

「外せるわけ無いじゃない」

『私』は私が選んだ『私』であって、保坂香奈とはそういう人で。そうありたいと思っていて。そうあることで今まで。

「望んだものなら、僕はくれなんて言わない」

 望んだ?

 それは、どういう……?

「人生という本気の遊び(ゲーム)を楽しんでる人の面は、もっと華やかさ」

 こんなものとか、こんなもの。

 闇の中に、不思議と浮かび上がる面。

 ……カボチャの。仮面舞踏会で着けるような。能面ほども妖しい雰囲気の。ピエロの。

「君の面は綺麗だから。こういう面の素地になる。けど」

 個性的な幾多の面がほのりと浮かび……男の子の腕の一降りではたりと、消えた。

「次のステージへ持って行くには、ちょっとばかり、地味だよね」

 明日というの名の、新しいステージへ。……明日へ。

「少しばかり仮面を取って、藻掻いてみたら? そしたら」


 *


 ファン、とクラックションに顔を上げれば、男の子は何処にも居なかった。

 自動車のライトが川面を撫でて過ぎっていく。自転車の細く淡い光が河原に射しては過ぎていった。

 吹き抜けた風に私は思わずくしゃみを漏らす。冷えたかなとスマホを取り出し、青ざめた。

 門限はとうに過ぎ、母さんからの着信が。

 兄さんからはメールが、行方を問われたらしい友人達から、メッセージが。

 踵を返す。自転車を押す。サイクリングロードに出て、家へと。

 普通でなく、鬼気迫る女子高生と相成って。ただ。

 ペダルを踏んだ。


 *


 男の子の声が頭の中に残っている。

 ――君が望む面を僕が作ってあげるから。


 開かない扉の壊れた鍵は。

 ……なんのことはない、引き戸だっただけのように。

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