第29話 エピローグ

『  則男と樹里さんへ


前略 則男、樹里さん、二人には悲しい思いをさせてしまいました。ごめんなさい。私の身勝手な行動がどれだけ二人を傷付けてしまったかと思うと、悔やんでも悔やみきれません。この手紙で私の本当の胸の内を二人に包み隠さずお話します。どうか最後まで読んでいただきたいです。


 則男は幼い頃から私がいないと何も出来ない子でした。でも手も掛からずとてもいい子でした。赤ん坊の頃は私が則男をおぶって厨房で板前さんたちと働いていましたが、則男はグズを言うことも無く誰からも「いい跡取りができたね」と褒められる自慢の息子でした。


 そんな則男が変わったのは樹里さんが来てからです。則男が私に反発をするようになったのです。でもそれは反発では無く、自立だということを私がただ分からなかっただけなのです。恥ずかしい話ですが、私は則男を樹里さんに盗られるような強迫観念に襲われていました。素直だった則男が樹里さんの意見を優先して動いている、樹里さんの考えになびいている、そんな風にしか捉えられなかったのです。醜い女の嫉妬だったのです。則男は言いましたね「僕達の邪魔をするなら旅館を捨てて青森に行く」と。そうして家を出た則男の真意をまだ私は理解できず、樹里さんに対する恨みしか無かったのです。いい年をして本当に未熟で恥ずかしいです。


 私が若女将として邂逅屋旅館に入った時、夫良作の母親が女将として切り盛りしていました。女将はとても厳しく、則男には恥かしくて言えないような虐めを受けながら私は暮らしてきました。何度か家出をしたこともあります。良作は私を守ってはくれませんでした。良作はただ「お前の時代になったら、お前のやり方で旅館を切り開け」と言うばかりでした。そして「女将はろくな死に方をしない」とも。私はその意味も履き違えて今日まで来てしまったのです。良作は愛想尽かして家を出てしまいました。


 結局私がして来たことは先代の女将がしたことを繰り返していただけだったのです。樹里さんが出て行ってしまった時、良作に言われました。「お前の代で負の連鎖を止めろ。則男に〝ろくな死に方をしない〟などと言われたいのか」と。良作は自分が胸を痛めていたことを私が繰り返しているのを戒めてくれました。そこで私はやっと気が付いたのです。本当に愚かな母親でした。自分を呪いたい思いに駆られました。実際に悲惨な亡くなり方をした女将の姿が自分に重なったのです。


 樹里さんが出て行ったことで旅館は大変なことになりました。あの優子さんが旅館を辞めると言い出したのです。そして板長までも。それに呼応して佐山さんも井上さんも。改めて自分の罪の重さと樹里さんの存在の大きさを思い知りました。私はみんなに土下座をして謝りました。それは樹里さんに対しての謝罪でした。良作、則男、周囲の人々を失いかけて初めて五十六歳にして身に染みて気が付くのです。情けない話ですね。


 樹里さんが旅館にしてくれたことは、大きな効果を生んでくれました。お膳のエレベーターもホームページも樹里さんがしてくれたのですね。それも則男を立てて、ご自身は何も言わずに。人間としての器の違いを感じました。お客様にしてもそうです。なぜ樹里さんを指名してまでお客様が当館に来てくれるのか、嫉妬に支配された私は困惑するばかりでした。お客様でさえも分かっていたのですね。

 私が破った図面ですが、今設計屋さんにお願いしてトレースと言う方法で再現していただいています。改めて見させてもらいましたら、素晴らしいアイディアばかりで頭が下がる思いです。本当にごめんなさい、樹里さん。会ってあなたの前で心から謝りたいです。


 今、邂逅屋旅館は樹里さん、あなたが必要です。あなたがいない邂逅屋旅館はもはや違う宿となっています。スタッフみんながあなたの帰りを待っています。則男に託す形となってしまいましたが、則男にも同じようにあなたが必要です。あなたが触れ合う人々に残してくれたものはあまりに大きなものでした。それが歴史と伝統の継承だったのです。そのことも良作に言われました。「歴史と伝統を守るということは、新しい息吹を受け入れて継承することだ」と。邂逅屋旅館にとってのそれは則男と樹里さん二人のことだったのです。私は自らの手でその大切な息吹を絶やす行為をしていました。それを省みることができた今、私の仕事はあなた方二人の縁を大切に大切に見守ることだと心から思います。


 樹里さんをお育てになったご両親は健全な精神をお持ちの方と想像できます。前に一度樹里さんの様子を伺いに弘前からいらしたご友人を拝見させていただいて、ご両親のお人柄にも触れることができました。ご両親にも素晴らしい娘さんをお育て上げたことに感謝を申し上げたいです。

 樹里さん、許していただけるのでしたら草津に帰って来てください。そしてまた邂逅屋旅館のお手伝いをしていただきたいです。またあなたの、そしてみんなの笑顔に触れたいです。則男がお邪魔をしますが、どうぞよろしくお願いいたします。


二人で仲良く草津に帰って来てください。心からお待ちしております。 草々

                          高杉智恵子 』


 あれから二年の月日が過ぎたが、樹里は今でも時々智恵子からの手紙を読み返す。そして自分も智恵子のように立派な女将になろうと身を引き締める。歴史と伝統の継承という大きな仕事を任されたのだから。


「樹里ちゃん、いいのよ。良太は私が見るから自分の用意をして来て」

 則男と樹里のマンションは以前、良作が一人で住んでいた部屋だ。その玄関でお出掛け着の智恵子が樹里に呼びかける。

「じゃあ、お母さん、良太のオムツ取り替えてもらえます? これです」

「ハイハイ、任せて」

 二人の長男良太を受け取ると部屋に上がる智恵子。

「もう景子たちは出たってよ」

 大きなバッグを二つ両手にぶら下げて則男が玄関に置く。

 景子とは則男の妹だ。妹家族と大宮駅で待ち合わせて、良作、智恵子、則男、樹里、そして長男の良太を伴いこれから弘前の樹里の実家へ出向く。

「お母さん、何だよその格好。大統領に会うんじゃないんだからぁ」

「当たり前でしょ。大事なお話だもの、失礼があったら悪いじゃない」

 ステージ衣装のような派手なスーツの智恵子が、

「ハーイ良太くん、いい子でちゅねぇ」

 と良太のオムツ替えをしている。


 一月末のメンテナンス休暇中の今日弘前に向かう目的は、妹夫婦に一ノ瀬農園と会社を引き継いでもらいたいと言う耕作の要望を受けてのものだった。妹家族は青森への移住を快く受け入れるつもりだ。農園と工場見学を御年始の挨拶も兼ねて三泊四日で樹里の家にお邪魔する。


「お待たせしましたぁ。行こうノリ君!」

「うんっ」

「弘前は寒いぞ~。良太に風邪を引かせるなよ」

 玄関の外で待っていた良作が顔を覗かせる。

「草津の方が寒いんですよ、お父さん」

「え、そうなの?」


 智恵子はこの上ない幸せをかみ締めていた。自分を曝け出したあの手紙が無かったら、今の幸せは無かった。人の縁は分からないものだ。旅人を受け入れ、まごころで返す。当前であると思っていたおもてなしの精神とは客に対してだけではなく、人生を通じて大切なものだった。


 則男によく似ている良太が智恵子に微笑んだ。


        了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ノミオとジュリへ まっきー劇場 @24macky

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ