第28話 祝福の中

 旅館内は静かな空気が流れている。みんなが黙々と仕事をしているだけの静寂な時の中、智恵子は事務所に一人佇んでいた。伊藤がパソコンのキーボードを打つ音だけが響いている。


 栄子は三日後の結婚式に備えて、今日から十日間の休みを取った。新婚旅行の休暇も兼ねている。披露宴の次の日から四泊六日でグァムに行くそうだ。栄子と樹里がいないだけで厨房は違和感を覚えるほど静かだった。

 そして則男は弘前に樹里に会いに言ったまま三日間、音沙汰がない。今日帰って来ると伊藤には連絡があったという。

 樹里がいなくなってからの邂逅屋旅館の空気は明らかにおかしなものになっていた。優子も必要なこと以外で智恵子に口を利いてくれなかった。


 伊藤がパソコンの画面を見て言う。

「女将さん、樹里ちゃんへの問い合わせをどうしましょうか?」

 智恵子は下を向いたまま、

「長期休暇中で通しておいて」

 ボソリと言った。

「それでもお客さんたちを騙していることになりませんかねぇ」

「・・・」

 樹里を指名する客が後を絶たない。その対応には伊藤が追われていた。仲居日記は頑張って雅美が更新していた。栄子も結婚式の準備の様子などを時間がある時にアップしている。樹里については「長期休暇中」となっていた。


「向井、刻みネギそれじゃ足りねぇだろ。足しておいて」

 航太郎が里芋の皮を剥きながら向井に指示を出す。

 いつになく沈んだ様子の航太郎。淡々と目の前の仕事をこなしていた。

 その航太郎を雅美が皿を並べながらチラッチラッと見ている。

「航太郎さん、今日のお浸しの器はこっちでしたっけ?」

 と青い四角い器を手に取って見せる。

「あん? いいよそれでも」

 そっけなく返す航太郎。


 樹里が出て行ってから航太郎は雅美にもそっけなくなった。ちょっとしたことで雅美をからかったり、イジッたりしてくれたのが今は無い。雅美はそれが寂しかった。

航太郎が樹里を好きだったことは知っている。しかし則男と樹里が親密になったことで航太郎の意識は雅美に向いてくれたものと思っていた。優子には「気を付けて」とは言われていたが、雅美としては航太郎に誘われても構わない心境になっていた。しかし航太郎は何もしなかった。


「・・・」

 手を止め、黙って目の前のコショウの缶を見つめている航太郎。

 ふと振り返ると、

「おあっ! ビックリした!」

 と声を上げた。

「ただいま」

 則男が立っていた。

「コータ、ありがとなっ」

「専務~!」

 雅美が駆け寄ってきた。

 向井も、板長の香川も他の仲居も飛んできて則男を囲む。今日優子は遅番でまだ来ていない。


 伊藤も加わり戦況報告会となった。

「じゃあ、まだ帰って来るか分からないんだぁ」

 伊藤が嘆く。

「うん。あとは向こうの両親がどうするかだよ・・・」

「樹里ちゃんは元気だった?」

 雅美が目を開いて聞いた。

「ああ、元気は元気。みんなに申し訳無いって泣いていたよ」

「・・・」

 目を伏せる航太郎。

「コータ。ちゃんとお礼を言えなくてごめんなさい、だって」

「え・・・」

「そして〝ありがとう〟と伝えてくれって」

「あぁ・・・」

 伏し目がちに頷く航太郎。傍らの雅美が横目に見る。

 出されたお茶を一口飲むと則男は話し出した。

「ビックリしたのが、ジュリはすごいところのお嬢様だったってこと。普通のリンゴ農家だと思っていたら、地域ナンバーワンの大きな農園で、お菓子工場も三軒あって、従業員が百人以上いて、なんと『まるやきアポー』はジュリの会社の商品だったんだ」

「えええ~っ?!」

 声を上げる一同。

「カッコイイ自社ビルが工場の敷地にあってさ、最上階に自宅があるんだ。そこは西洋風の部屋で何か王様になった気分だったよ。おまけにジュリの車はベンツなんだ。それをひと言も言わなかったんだから、こっちはどう振舞ったらいいか、最初は困ったよ」

「逆玉に乗って向こうに行っちゃえばいいのに」

 向井が目を丸くして言う。

「もちろん、向こうのお父さんには誘われた。これを全部譲るってね」

「えええ~っ?!」

 声を上げる一同。

「断ったの?」

 航太郎が聞くと、

「そりゃそうだよ。旅館はどうするんだよ」

 と、にべもなく言う則男。

「えええ~っ?!」

 引きつる一同。

「それでこそ若旦那だ。ジュリもそんなもの要らないんだな・・・」

 香川が則男の肩にポンッと手を置いて言った。


 則男は事務所を抜けて奥の千恵子の自室へ行った。

 ノックをすると、

「入るよー」

 とドアを開ける。

 智恵子は着物の着付けをしていた。

「ノリちゃん・・・」

「お母さん・・・ありがとう・・・」

 ひとこと言うと部屋を出る則男。

 そのドアをじっと見たまま動かない智恵子。



 あくる日、

「栄子ちゃんの結婚式は明日だな。樹里ちゃん楽しみにしていたのにな」

 伊藤が『休館』の看板を表に下げながら則男に言う。

「・・・」

 この日と明日の結婚式は旅館を休館とした。ほとんどの者が招待されていて、営業にならないためだ。伊藤と則男だけで掃除やら整理をして午後から休みにする。

 奥から電話の音が聞こえる。靴を脱いで駆けていく伊藤。

「ハイ。邂逅屋旅館でございます」

『スイマセン、赤帽ですけど・・・』

 しばらくすると伊藤の叫び声が聞こえた。

「若旦那~~~っ!!」



 軽井沢ホテルブレストンコート。新緑に包まれた木漏れ日を浴びて、鳥のさえずりが心地よく響く中、ひっそりとそして優雅に佇むこのホテルが栄子と祐介の披露宴会場となる。その一角にある控え室で栄子は慌ただしくウェディングドレスの着付けをしていた。


「お母さん、そこのお茶取って」

「いいよ、お母さんに頼まなくてもー」

 と祐介が蓋からストローを立たせた紙コップを栄子に渡す。

「ありがと」

 髪のセットをしてもらいながら鏡越しに祐介を見る。

「祐ちゃん、超カッコいいね~。白似合うわ」

 祐介は光沢のある真っ白のタキシードで決めている。

「だろ? 何でも似合うんだ俺」

 花嫁に仕上がっていく栄子を眺め、目を細める祐介。

 長い黒髪を編み込んでアップし、さらに小さなバラの花を一緒に編み込んでいく。

 仕上げにシンプルなティアラを乗せた。

「列席者はみんな集まっているようだぜ」

「そう・・・。ドキドキだね」

 ジュリは? と聞こうと思ったが止めた栄子。


 二人ともずっとそれを思っていたが触れないでいた。青森から帰ってきた則男は一人だったと一郎から聞いていた祐介。栄子も由美からの情報だけで雅美にも聞かなかった。今日の門出の日にガッカリしたくなかったのもあるが、樹里の気持ちや立場を考慮して割り切っていたのだった。


 石の教会・内村鑑三記念堂はホテルに隣接している。明治・大正期のキリスト教指導者・内村鑑三の顕彰を目的として建てられた教会で、地上は礼拝堂、地下には内村鑑三記念堂となっている。石とガラスの異なるアーチが重なり合う独特のフォルムはオーガニック建築と呼ばれ、自然のあるがままに溶けこんだ一部とする建築様式で、アメリカ人建築家ケンドリック・ケロッグの手によるもの。石は男性でガラスは女性を象徴しているとされる。


「スゲ~とこだな・・・」

 列席者用の木製ベンチに腰掛け、天井を見上げて圧倒される航太郎ら板前組の後ろには雅美がいる。シックなグレーのドレスがいつもより大人びて見えた。

「こんなオシャレな教会初めて~」

「私はここ入ったの二回目よ」

 隣の優子が微笑む。夫の広幸もいる。和装の優子に見慣れているせいか、ベージュのワンピースと白のジャケットは優子をさらに若々しく見せた。

「萌、いい子ね。もうすぐ花嫁さんの栄子ちゃんが来るよ」

 おとなしく淡いピンクのドレスを着た萌が、かしこまって由美と手を繋いでいる。スカイブルーのパーティードレスに包まれた由美。モデルのようなスタイルの由美をタイトに演出する。


 そんな由美には複雑な想いがあった。待ち望んだ栄子の結婚。心から祝福する気持ちでいっぱいだが、当の栄子は晴れやかな気持ちを装っているのが分かるからだ。樹里の一件が栄子の気持ちに影を落としているのが分かるからだ。


「ノミオがいないんだよ・・・」

 ダークスーツの一郎が由美の耳元で囁いた。蓮を抱っこしながら辺りをキョロキョロとしている。

「え?」

 後ろを振り返る由美。

「さっき、伊藤さんに聞いたんだけどさ、樹里ちゃんが来るらしいんだ」

「えぇ?」

 驚いたと同時に涙が浮かぶ由美。

「迎えに行っていると思うんだけど、間に合うかな・・・」

 胸に手を当てフーと息を吐く由美。

「お願い・・・」

 と呟いた。

 前方の席には艶やかな鳳凰と華文をあしらった黒留袖の智恵子がいた。落ち着き無く周囲を目で追っている。時々優雅さを意識しながらも後ろを振り返る。則男が来ていないからだ。樹里が来ることを則男から今朝聞いた。ただ間に合うかは微妙だとも。

(ノリちゃんお願い! 樹里ちゃんを連れて来て!)

「大丈夫だ、智恵子ちゃん。則男は来るよ」

 長い髪をピシッと後ろに縛った良作がニコリと言った。

「もう、いつも呑気なんだからぁ」

 余裕の良作にイライラする智恵子。


「新婦の入場でございます」

 太陽の軌道に沿って造られたアーチから降り注ぐ陽光は、刻一刻と堂内の表情を変えていく。その光が丁度真上から降り注ぐタイミングを見計らったように栄子とその父が入場した。

「おぉ・・・」

 場内からため息と祝福の拍手が鳴り響く。

 純白のウェディングドレスに包まれた栄子は、まるで別人のようだ。祐介が待つ先へと一歩ずつ歩む栄子。

「栄子さんキレイ~」

 雅美が囁く。

「かわいいねぇ」

 頷いて笑みを浮かべる優子。


 式は誓いの言葉、指輪交換を経て、結婚証明書の署名をしていた。

 その時、場内の空気が揺れた。

 則男が腰を屈めて忍び足で入ってきたのだ。その手に樹里の手を握って。

「樹里ちゃ~ん、こっち」

 雅美が小声で呼ぶ。

「樹里ちゃんっ」

 由美が涙を浮かべる。

「う・・・」

 泣き出す優子。

 航太郎も、向井も、香川も新郎新婦に気付かれないように満面の笑みを浮かべる。

 その場内の空気に智恵子が振り返る。

「・・・!」

 目を開いて二人を見る智恵子。

「な、言ったろ?」

 と目を潤ませる智恵子の膝をポンとする良作。

「誓いのキスを・・・」

 栄子のベールを上げてゆっくりとキスをする祐介。

「これでお二人の結婚は成立しました」

 場内は拍手に包まれた。一同が立ち上がって二人を見送る。


 退場する栄子と祐介。ゆっくりと歩を進める。両側に並んだ笑顔に会釈で答える二人。智恵子と良作に、香川ら板前組に、安藤夫婦に、雅美たちの列に入った時、栄子の足が止まった。


「!」

「おめでとうございます。栄子さんスゴイきれいです」

 目の前に樹里の笑顔があった。

「・・・ジュリ・・・!」

 力が抜けて、しゃがみ込んでしまう栄子。

 何事かと場内がざわついた。

「うあぁぁあっ・・・、あぁああっ・・・」

 泣き出してしまう栄子。

「おい、立てよ栄子っ」

 焦る祐介が栄子の肩に手を置いて揺する。

 栄子はよろよろと立ち上がると、そのまま樹里を抱き締めた。

「うあぁあぁぁんっ」

「栄子さん、もうずっと居ますから安心して新婚旅行に行って来てくださいね」

 栄子に抱かれた樹里は涙を浮かべて笑った。

「ノミオ~!」

 と祐介が則男の肩をパンッと叩いた。

「お騒がせしましたっ。おめでとうございます」

 微笑む則男。

 もらい泣きが聞こえる祝福の中、栄子にとって最高の日になった。


 教会出口ではライスシャワーで笑顔の二人を迎える。栄子の友人ら女性が周りを取り囲んだ。ブーケトスが始まるからだ。

「いいかい?」

 と、一同に背を向ける栄子。

 勢い良くブーケを青空に放つ。

 光を浴びて舞ったブーケを手に取ったのは向井だった。

「おい向井~! 何でお前が取るんだよ! そこはジュリだろ~!」

 と声を上げる栄子。周囲が爆笑に包まれた。

 ハッとして思わず隣にいた雅美にブーケを手渡す向井。

「え?」

 と雅美は隣の航太郎を見る。

「・・・!」

 航太郎の顔が赤くなった。



 りんごの花がつぼみを付け始めた。その傍らをゆっくりと歩く耕作と絵里。時折止まっては南の空を仰ぐ耕作。

「もう着いだかな樹里は」

「今頃は披露宴で仲間達と盛り上がっているわよ」

 微笑む絵里。

「これでいがったのかな・・・」

「良かったのよ。私、あなたに惚れ直したわ」

 耕作を覗き込む絵里。

「そったごと・・・」

 照れる耕作。

「あの子の人生はあの子が切り開く」

「・・・」

「あちらのご両親と話をきちんと進めるわ」

「・・・」

「これも不思議なご縁。会社と農園も何かのご縁が導いてくれるわよ」

「んだっきゃ。樹里を一番活かせる人生が一番だばって」

「あなた、本当に変わったわね」

 それを聞いて、立ち止まる耕作。


「あのお母さんとなら樹里は上手くやれる。あのお母さんになら樹里を預けられる。あの家なら樹里は幸せになれる。今はそう思う・・・」


 雄大にそびえ立つ岩木山に眼差しを向けて耕作は言った。

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