第25話 決心の時
ノートパソコンとカメラ、バッグ、何着かの服が無かったことから、則男は自殺では無いと確信した。どこか近くに泊まり歩いて、落ち着いたら帰って来るのではないかと、それから三日間、則男は樹里の部屋に泊まった。智恵子のいる旅館に帰りたくも無いのが理由でもあった。
「おはようございまーす」
「あ、西崎さん。おはようございます」
「今日の饅頭二十五個ね」
客室のお茶受けの温泉饅頭の配達に毎朝来る饅頭屋だ。
お重に入った饅頭を受け取る則男。
「ノリオ君とこの仲居さん、一人辞めたの?」
「えぇ?! 何でですか?」
「あん、三日前にバスターミナルに配達行ったらいたぞ。違うの?」
「・・・!」
「でっかい荷物持っていたからさ、辞めたのかなって・・・」
「ありがとうございます!」
「あ、ああ」
樹里は町を出たことは確認できた。
あれほど青森には帰ることを拒んでいた樹里。実家には行っていないだろうと察しは付いている。
(東京にいる大学時代の友達のところが可能性が高い)
ホームページを作る際に草津へ取材に来たメンバー宅かも知れない。則男はその時にもらった名刺を探して電話をしてみた。
結果は外れ。
向こうが驚いていた。しかし連絡を取ってくれると約束した。それに期待を賭けてみたが、それもぬか喜びに終わる。彼らからの連絡も取り次がないようだった。
五日目。邂逅屋旅館に電話が入る。赤帽からだった。
『ベルハイム草津三〇二号室の荷物の引き取りに伺ったのですが、鍵を開けて頂けませんか?』
「若旦那!」
伊藤が叫んだ。
引き取り先は青森県弘前市五代、樹里の履歴書の住所だった。
「青森に帰ったんですね・・・」
「・・・」
考え込む則男。
同じ日に宅急便で部屋の鍵が届いた。樹里からだった。
その日の晩、祐介に呼ばれて栄子の部屋に行った則男。
「でもジュリが無事と分かって良かったよ・・・」
感慨深い表情の栄子。
「来週の俺達の結婚式は席を空けとくからな」
「・・・」
「泣くなノミオ! しっかりしろ!」
則男の肩を叩く祐介。
「うっ・・・こんな結果になるなんて・・・うっぅ」
「結果なんか出ていねぇだろ! これからお前が結果を出すんだよ!」
「ううっ、うっ」
体育座りで縮こまって泣く則男。もう疲労困ぱいだった。
「専務、ほとんど寝ていないんでしょ。オレンジフラワーのハーブティー。リラックスできるんだよ、飲んで」
則男の前にティーカップを置く栄子。
「ありがとう」
鼻をすする則男。
「ジュリはね、専務となら駆け落ちするなんて言っていたんだよ」
「あぁあああ~っ」
それを聞いて号泣する則男。
「お前、泣かすなよ!」
「そんな意味じゃ・・・」
困る栄子。そして、
「そのくらいの意思があったんだよ。そのくらい強い子なの。女将さんがしたことは、そんなジュリの心が折れるほどだったんだね。だけどね、専務が思っている以上に専務のこと愛しているんだよ、ジュリは」
と則男を励ます。樹里の心情をよく知っている栄子。栄子だから掛けられる言葉だった。
「うぅっう・・・」
肩を震わせて泣いている則男。
「行くっきゃねぇだろノミオ!」
「うぅっ」
「あんたの一生の問題だよ!」
「青森行って連れ帰して来いよ!」
「あんたの良さを向こうの両親も分かってくれるよ!」
祐介と栄子のコンビネーション激励に火が付く則男。
事務所に戻る則男。
着くなりパソコンを立ち上げて何やら調べる。
(東北新幹線、近場は大宮からか・・・)
(大宮発が六時二十六分・・・)
(高崎から在来線乗るより直接大宮まで車だな)
(それに乗るには早朝三時半には草津を出発しなきゃだな)
振り返って時計を見上げると、
「おっ! ビックリしたぁ」
「何を調べているんスか?」
航太郎だった。
「東北新幹線だよ。コータこそまだ居たの?」
「俺、明日休みなんで掃除当番なんすよ」
「そーか、じゃお疲れ」
しばらく則男を凝視する航太郎。
「何?」
「ジュリちゃんとこ行くの?」
「ん、あぁ・・・」
「始発何時? どこ駅?」
「いいだろ、そんなこと。大宮駅、六時二十六分だよ」
「余裕じゃん、乗っけて行くよ」
「え?」
「専務、寝ていないっしょ? 危ねぇよ車」
則男はゴソゴソと自室で出掛ける準備を始めた。一日で帰ってくる羽目になるかも知れない、何日も滞在することになるかも知れない。分からないのでバックパックに下着だけは五日分用意した。
おもむろに携帯電話を取り出し電話を掛ける。時間は十時を過ぎていた。
「あ、西崎さん? こんばんは。お店はもう閉まっていますよね?」
『は? 当たり前だろ』
「お饅頭が必要で十五個入を一箱でいいんで、いいですか」
『あぁ? 分かったよ、今店に行くわ』
「ホントすいません! ありがとうございます!」
手土産の温泉饅頭を買いに旅館を出る則男。
それを確認すると、奥の夫婦の自室から寝巻き姿の智恵子が出てきた。
則男のバックパックのポケットのチャックを開けると何かを入れた。
「・・・」
しばらく突っ立って物思いに耽る智恵子。再び自室に戻って行った。
ブォーン!
ロータリーエンジンのフカシ音が聞こえた。裏口から静かに旅館を出る則男。仮眠を取ろうとしたが、寝たような寝ていないような状態で、航太郎が迎えに来る夢を何度も見た。それから約束の午前三時半まで三十分位起きて待っていた。
「ありがとう、コータ」
助手席に乗り込む則男を無言で見る航太郎。
弘前に向けて、今出発した。
ほとんど夜道と変わらず、走る車が無いこの時間帯は、航太郎の独壇場だった。巧みなハンドリングでコーナーを攻める。たまに車がいるとすぐさま抜き去る。
「俺、ジュリちゃんのこと、まだ好きなんスよ」
真っ直ぐ走行車線を見ながら言う航太郎。
「そうか・・・ごめんな」
則男も前を見ながら呟く。
「だけど、不思議と悔しさとか嫉妬とかが無い。専務だからさ」
「俺だから?」
「ジュリちゃんは、やっぱ人を見る目がある。お二人はお似合いだよ。同じカラーを持っている。俺は違う。何か・・・ガキだ」
「ガキ・・・?」
「うん。彼女が相手にする器じゃない。だから映画で言えば俺は脇役だ」
「俺は?」
と聞く則男をチラリと見る航太郎。
「もちろん主役だろ」
「チビで間抜けな俺が主役?」
「専務、あんたは違う。自己評価が低過ぎる」
「・・・そんなことジュリにも言われたな」
「だろ? 彼女は最初から分かっていたんだ。見る目があったんだよ。俺は前の馬鹿五人組の客を専務が戦わずしてねじ伏せた時、この人はスゲェってマジ思ったよ」
「・・・あれは必死なだけだった」
「あの行動は全て正解、百点満点。俺だったらみんな仲良く警察へ、だったよ。おまけに物を壊して俺も怪我して親方に怒鳴られ・・・」
「ハハ、そうかもね」
三時間かかるところを二時間十五分ほどでJR大宮駅に着いた。航太郎が飛ばしたこともあり、予定よりかなり早くに着いた。良かった。
肌寒い午前六時前。日は昇り始めていた。
上着を着て外に出てきた航太郎。
「本当にありがとう、コータ」
「専務、ジュリちゃんを連れ戻して」
「うん、」
「あんないい子、いないスよ」
「うん、知ってる」
手を差し出す則男。二人はガッチリ握手をした。
智恵子は眠れずに布団の中で、前の日のことを考えていた。
「このままこんな形で樹里ちゃんが帰って来ないなら、私は邂逅屋を辞めさせていただきます」
あの時の優子の見たことも無い顔が浮かぶ。
「私もそうさせていただきます」
雅美が続いた。
「私も結婚があるし、いいタイミングかな」
栄子が冷めた目で智恵子を見た。
「ジュリや栄子、優子までが居ないなら、俺達も引き上げるか・・・」
板長の香川の言葉はショックだった。
樹里が旅館にとってこんなにも大きな存在だったことを初めて知った智恵子。厨房で土下座をした。
「みなさん、それだけは御勘弁下さい!」
涙ながらに訴えた。
プライドの高い智恵子だが、何故か屈辱感を感じなかった。申し訳ない気持ちで一杯だった。取り返しのつかないことをした罪悪感しか無かった。
「女将さん、まずは破った図面を直しましょう」
優子がしゃがみ込んで言った。
「厨房のエレベーターも、ホームページも、あの子がみんな考えて準備して若旦那にさせてやったんですよ。則男君を立てるために・・・」
「えぇ?!」
涙でメイクが崩れた顔を上げる智恵子。わなわなと体を震わせた。
その晩、打ちひしがれる智恵子の元に、夫の良作が現れた。
「智恵子・・・」
自室の居間の座卓で顔を埋めていた智恵子。
良作は座卓の上に、何故かコンビニで買って来たメロンパンを二つ置く。
「よくこれを食べていたよな。忙しくこれをかじっていたな」
智恵子の向かいに座って胡坐をかく良作。
「・・・」
泣き顔でそのメロンパンを見つめる智恵子。
「食えよ。何も口にしていないんだろ?」
「・・・」
黙ってそれを手に取ると袋を開ける。
一口かじると、
「おいしい・・・」
力なくつぶやく智恵子。
「よく分かったろ?・・・」
「・・・」
「お前がうちに入った時さ、お客さんが無事に帰れるようにって、お寺からお守り買って来て、それを入れる袋を一杯作ったの覚えている?」
「あ・・・!」
「毎晩寝る前に少しずつ作ってさ。それを女将に捨てられたろ?」
「・・・私同じことを・・・」
「お前だって、散々嫌な思いをして来たよな。お袋は酷い人間だった」
「・・・」
「則男にそんな風に思われたいか?」
「・・・」
「ろくな死に方をしないなんて言われたいか?」
「!・・・」
「このままならそうなるぞ。だけどまだ間に合う」
「・・・」
じっと良作の目を見る智恵子。
「歴史と伝統を守るってことは、新しい息吹を受け入れて継続することなんだよ。古いままでいただけでは、それは途絶える」
「・・・」
「お前が入ってからそうだったじゃないか。今の邂逅屋は新しくお前が築き上げた旅館であり、そのお陰でここまで来た」
「・・・」
「則男の時代は則男が築く。則男は自分の力で最高のパートナーを見つけた。則男には勿体無いくらいの子だ。お前もそれを本当は分かっているんだろ? お前自身がそうだったからな・・・」
「・・・」
「負の連鎖は、お前の代で止めるんだ」
「うっ・・・」
涙が溢れる智恵子。
「智恵子ちゃん、食えよ。好きだろメロンパン」
と良作もメロンパンにかじり付く。
「うん・・・」
泣きながらも微笑む智恵子。
則男は東北新幹線はやて車内で旅雑誌を広げ、色々と調べていた。
(新青森まで繋がったのはこの冬だったのかぁ。ラッキーだったな)
仙台を通過した時には八時だった。九時四十二分には新青森駅に到着する。大宮からは三時間二十分ほどで青森に着いてしまう。
(青森なんて近いじゃないかぁ)
自分に言い聞かせる。大宮、草津間のプラス三時間を忘れていた。
ふと何かを思い出し、バックパックのサブ収納のチャックを開ける則男。手帳のスケジュールを確認しようと思ったようだ。
「ん?」
そこに入れた覚えの無い便箋を見つける則男。
おもむろにそれを取り出す。
『則男と樹里さんへ』
と書いてある。裏には『高杉智恵子』とあった。
(何だこれ?)
中身を取り出す則男。それは智恵子がしたためたと思われる手紙だった。四枚に及ぶその手紙を読み始める則男。
「・・・」
真剣にそれを読み耽る則男の目から涙がこぼれた。
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