第23話 束の間の休息

「みんなで同時に休めるなんてホントこの時だけなんだ。社員旅行でもしたい気分だけどそれもまた大騒ぎだしね」

 一月下旬。客足がパタリと止まるこの時期を見計らって旅館業はちょっとした連休を取る。それがメンテナンス休暇だ。機械その他の点検、不具合部分の修理等に業者を呼んで一気に対処してもらう。邂逅屋もそれにならって月曜から金曜の五日間連休をした。


 月曜日の今日だけ皆で揃うことにして、則男、樹里、栄子、雅美、一郎、由美の六人は白銀の世界を楽しみにスキーにやって来た。場所は地元の草津国際スキー場だ。平日のため祐介は来られない。しかし祐介には別の事情があった。火曜日から二泊三日で東京の栄子の実家に挨拶を兼ねて里帰りに同行するのだ。有休を三日も取ったので月曜日の今日はさすがに仕事を休めないということだ。


「ジュリはスキーが上手だったんだね。驚いた!」

「地元にゲレンデもあるんだよ。普通にスキーやってたもん」

 いつしか樹里は則男に敬語を使わなくなっていた。それが今の二人の距離を感じさせた。

 一郎、由美、栄子はスノーボードだ。

「由美、何よ! めっちゃウマくなってるじゃん!」

 一郎と由美はスイスイ降りて行ってしまう。

「エイちゃん早く~」

 栄子は祐介とのデートでシーズンに二回滑るほどだった。普通に滑っては来られるがスピードは出せない。

「そりゃあんたとは経験値が違いますからっ。草津町民ですからっ」

 由美は一郎にスノーボードを教わって以来ハマッてしまい、子供たちを預けて一郎とよく滑りに来ていた。

「もうすぐ、栄子さんだって草津町民ですもんね~」

 樹里がニコニコと言う。

「そうよ。見てろよ。上手くなってやる!」

 意地になる栄子。

「ちょっと雅美ちゃんの様子を見に行って来る。スクールは午前中だけのレッスンだからもう終わる頃だよね」

 と則男はパンッとスキー板を鳴らすと華麗に滑走し出した。

この男、運動神経は良さそうだ。

「私も!」

と滑り出す樹里の背に向かって、

「レストハウスの席取っておくね!」

 一郎が声を上げる。

「ハーイ!」

 手を上げて答える樹里。たちまち小さくなっていった。

「やるなぁ樹里」

「栄子、遅いんだからもう出て。レストハウス前ね」

「わかってるよぉ」

 とノンビリ滑り出す栄子。

 その後姿を微笑んで見守る一郎と由美。

 スリムな二人は絵になる。

「来年は本多先輩とエイちゃんと皆で普通に来るんだろうな」

「うん。何か不思議な気持ち・・・。あのまま東京から草津に移動して同じメンバーでいられるなんてね。そこに樹里ちゃんもいればいいな・・・」

「そうだな・・・ノミオもね」

 遠くの栄子を眺めながらポツリと言う一郎。

「どういうこと?」

 由美がピクッと反応した。

「ノミオの奴、女将さんと大変みたい。旅館捨てて青森に行くかもなんて言っているんだ」

「そうなの? 樹里ちゃんと?」

「ああ。樹里ちゃんはこっちに居たいらしいんだけど、女将さんが樹里ちゃんだけに意地悪をするらしい。エイちゃんも守ってくれているんだって。そういうこと俺達には言わないからな、エイちゃんは」

「何であの子に。何がダメなの?」

 訴えるように一郎に問う由美。

「ノミオ曰く〝歴史と伝統〟らしい。何じゃそりゃだけど、要するに嫉妬じゃないのかなと思う。女としてのね」

「何となく分かる。樹里ちゃんが出来過ぎなんで気に入らないのね」

 遠くの雪景色に目をやる由美。


「どうだった、雅美ちゃん」

 きのこのスパゲティーを食べながら栄子が聞いた。

「スッゴイ楽しかったです! 下の斜面ならもう普通に滑れますっ」

 興奮して答える雅美。

 雅美だけ初心者なのでスキースクールで基礎を教わっていた。

「ダメなら横滑りで降りて来られるから、午後は白根まで行ってみようよ。あの雄大な景色を見せたいんだよ~」

 カツカレーを頬張る則男が言うと、

「えぇ~ムリです! 無理無理!」

 首を振る雅美。

「最悪降参なら俺がおぶってやるから」

 と則男が言った時、一瞬則男を見る樹里。

 その樹里の目を栄子は見逃さなかった。

「お~ジュリ~、今やきもち焼いたねっ」

 と言うと、見る見る赤くなる樹里。

「分かりやすくて、かわいいなぁお前は~」

 と冷やかす栄子に、

「そんなことないです」

 と下を向く。困って雅美が、

「ごめんなさい樹里ちゃん」

 と言うと、樹里も困って、

「何でよ雅美ちゃん。気を使わないでね」

 と答えつつも、まだ顔が赤い。

 微笑ましくその二人を見ていた一郎が笑って言う。

「ノミオ~、人生最大のモテキ到来だな!」

「んなことないよぉ!」

 と否定する則男も赤くなっていた。

「一郎君、ビールもう一本買って来て」

 と不意に千円を渡し、一郎を使う栄子。

「何で俺が行くんだよ、いつもぉ」

 と一郎は不服を言う。横で由美が笑っている。

「だって専務は上司だもん。いいよ、自分が飲みたいのも買って来な」

「お、太っ腹! 結婚資金貯めないとみんなビールに消えるぞ」

「そこは大丈夫だよ。ちゃんと計画的にねっ」

 ニヤリとする栄子。

「安藤さんの分も私が買って来ますよっ」

 樹里が言うと雅美が、

「私が行きます。一番年下ですもん」

 と立ち上がる。すると栄子が

「いんだよ、一郎君はパシられるのが好きなんだから」

 と笑う。皆も遠慮がちに笑った。

「栄子、式の日取りは決まったの?」

 由美がホットコーヒーを片手に栄子に聞いた。

「雪があると東京からが大変だから四月の大安を押さえた。旅館はちょうど落ち着く頃だからいいでしょ? こないだ祐ちゃんと見て来たよ、軽井沢の石の教会っ。みんな招待するからね!」

 ウキウキして話す栄子。

「あっ知ってる知ってる。あそこいいよね。スゴイ人気があるんだよ。私達も見学はしたんだぁ。披露宴のホテルもすごいオシャレだし」

 由美も興奮して呼応する。

「うわぁ楽しみですぅ!」

 目を輝かせる雅美。

「・・・」

 微笑んでいる樹里だがチラッと則男を見た時、則男も樹里を見た。

 二人の表情は冴えない。

「あんた達ほど大人数招待は出来ないけどさ、草津からも東京からも時間的には一時間で来られるんだよね。東京からは新幹線でだけど」

「え? 由美さんたちは何人くらい呼んだのですか?」

 雅美が由美に尋ねる。

「アホみたいだよ。三五〇人。ははは」

「芸能人じゃないですか~」

「そうだよ、一郎君も由美も遠くにいて見えないんだからぁ。モニター付けろってレベルだったね」

「そうだった、そうだった。その中で栄子さんはスピーチしたんだよ」

 則男が言うと、

「え~ヤダ~。私だったら断ります」

 樹里も参加して答える。

「人が多すぎると緊張なんかしないもんだよ。それに聞いてねーし」

 にべもなく言う栄子。

 栄子は則男と樹里の境遇を知って、あえて結婚式の話をした。それは二人に対する激励の意味だった。樹里が一瞬寂しそうな表情をしていたのもちゃんと見ていた。残酷かも知れないが二人には試練を乗り越えて欲しい。心の内では何とかしてやろうと栄子なりに考えていた。

 

 あくる日から栄子と雅美は里帰りをした。樹里は草津に残ると聞いていたので則男はサプライズで小旅行を計画していた。ほとんど草津から出ていない樹里に一泊二日で近郊の行楽地を見せてやろうと思っていたのだ。

 長野県の直ぐ隣に位置する草津温泉。まずは草津から長野市へ出向き、善光寺へ。車で上信越道を使って約二時間弱。

 善光寺は、長野県長野市元善町にある無宗派の単立寺院で、日本最古と伝わる一光三尊阿弥陀如来を本尊とし、善光寺聖の勧進や出開帳などによって、江戸時代末には、「一生に一度は善光寺詣り」と言われるようになった。今日では御開帳が行われる丑年と未年に多くの参拝者が訪れる。

「ジュリそのカメラすごいね」

「キャノンEOSの7D。連射性能がスゴイんだよ。8コマ。ほとんど連射はする場面はないけど、ファインダー視野率一〇〇%が魅力」

「一眼レフってやつ?」

「もちろん」

 カメラにうとい則男は野沢菜のおやきを食べている。

 樹里は善光寺の変な部分ばかり一生懸命にパシャパシャ撮影している。本堂はもちろん、山門や仁王門なども細部ばかり見ていた。

「何を撮っているの?」

「旅館の改装で参考になりそうなところ。スゴイねノリ君、楽しい!」

「そう? そりゃ良かった」

 樹里は〝ノリ君〟と呼んでいた。女将が〝ノリちゃん〟だからだ。


 次は国宝松本城へ向かう。善光寺からは上信越自動車道、そして長野自動車道を経て約一時間の距離だが、松本市手前の安曇野市で下車した。「大王わさび農場」に寄るためだ。

 ここは北アルプスからの湧き水を利用した安曇野わさび田湧水群の一角にある、日本最大規模のわさび園であり、年間約百二十万人が訪れる安曇野随一の観光スポットである。雑草の生い茂る原野を二十年の歳月をかけ完成させた。敷地内には様々な施設が点在し、広大なわさび農園の見学を兼ねながら家族連れやカップルなどが楽しめるようになっている。

「すご~い、これ全部わさびなんだ。きれいな水!」

「ここでは一年中栽培されているんだって」

「お昼ここで食べようよ」

「そうだね、もちろんお蕎麦だよね」

「うん。生わさび辛そうだねっ」

 二人は本場信州蕎麦と採れ立て生わさびを堪能した。

「美味しい! 私は蕎麦派なんだよ」

「へぇ青森県民はどうなの? そば? うどん?」

「どっちも、どっちかなぁ」

 安曇野からはすぐに松本市だ。

 松本城。安土桃山時代末期-江戸時代初期に建造された天守は国宝に指定され、城跡は国の史跡に指定されている。五重六階の天守を中心にし、大天守北面に乾小天守を渡櫓で連結し、東面に辰巳附櫓・月見櫓を複合した複合連結式天守である。

 戦国時代、常に敵と戦い、敵から領国を守ることを念頭にした戦略拠点としての性格が強く、大天守・渡櫓・乾小天守は、こうした時代の末期に関東の徳川家康の監視という役割を負って築造された。

 それから四十年後の江戸時代初期の平和になった時代に、戦う備えをほとんどもたない辰巳附櫓・月見櫓の二棟が建てられ、戦国期と江戸期という性格の違う時代の天守・櫓が複合された天守群は我が国唯一で、松本城の歴史的な特徴のひとつ。

「すごーい、ホントのお城のまんまなんだね」

 初めて松本城の中に入る樹里は興奮気味だ。

「こっから石を落としたんだって」

「こっから銃を撃ったんだって」

「こんな急な階段をお客さんに登らせちゃうんだ」

 少女のようにはしゃぐ樹里を涼しい眼差しで眺める則男。

(こんな幸せを感じたことって今まであったかな・・・)

 ふと思った。


 思えばフラれっぱなしの人生だった。ひたすら柔道に明け暮れる日々を過ごした青春時代。大学に進学しても女の子との接し方が分からなかった。無理して彼女なんて作ったこともあったけど、ただ気を使うだけで楽しいなんて思う余裕も無かった。仲居で入社した熱海の子と良くなったこともあったけど、結局草津から出て行ってしまった。

 今、樹里という本当に心から信頼し合える人に出会った。本当に心から愛する人に出会った。本当に自分のことを想ってくれる人に出会った。

 この幸せを失いたくない。しかし二人の前には余りに大きな壁が立ちはだかっている。もう何も考えたくない。このまま二人で逃げてしまいたい。そんな衝動に駆られる自分がいた。

 松本から長野自動車道に乗って約一時間、二人は今日の宿泊地である戸倉上山田温泉に到着した。早くに日暮掛かった夕方の四時、丁度いい。草津から長野県北部をぐるっと一周した形だ。

 長野県千曲市上山田温泉にある温泉。千曲川左岸の戸倉温泉と上山田温泉および右岸の新戸倉温泉を総称して信州戸倉上山田温泉と呼ぶ。明治中期に千曲川の河川敷に相次いで開湯され、善光寺参りの精進落としの湯として賑わった。明治末期から大正時代にかけて堤防や温泉施設の整備が進み、大正後期には現在の温泉街・繁華街が成立した。戦後間もないころは傷病兵の湯治場となり、最盛期の昭和後期には企業の団体客など年間百三十万人以上の観光客が訪れ、三百人以上の芸妓が在籍した。現在は草津に比べれば静かな温泉郷として佇んでいる。

 則男は奮発して高級宿を予約していた。

「ちょっとノリ君、何よここ」

 入口に立つと樹里は目を丸くした。

 温泉街の南側にひっそりと佇む純和風数寄屋造りの風雅な宿。部屋は八つしかなく、五部屋に源泉かけ流しの露天風呂がある。二人は露天風呂付きの「梅の間」に通された。梅をモチーフにさりげなく贅をこらした部屋から覗かせる日本庭園に心遊ばせ、まさに大人の休息を満喫できる空間。

「スゴ過ぎ。床柱も梅の木なんだぁ。見て、調度品も梅をアレンジしたものになっているんだねっ」

「ここはジュリが絶対喜ぶと思って、連れて来たかった宿なんだ」

「スゴイスゴイ! 全部の部屋を見てみたい。超参考になるね!」

「でしょ? そう思ってさ」

 樹里は早速写真を撮りまくっている。

 連れて来て良かったと則男は心から思った。


まずは二人分かれて大浴場で旅の疲れを癒した。男女二つの浴場は露天に檜風呂と岩風呂があり、入替制で楽しめるようになっている。

料理はもちろんお部屋出し。一品一品運ばれてくる懐石料理の美味に舌鼓を打つ二人。それらを品評しながら楽しんだ。

「何だか業界の研修旅行みたいになっちゃったね」

「そんなことないよ。最高の演出でしたよノリ君。私こんな密度の濃い贅沢な旅行初めてだよ。長野県もいいところね、」

「良かった、喜んでくれて。冬だから閉鎖なんだけど、美ヶ原高原美術館とか黒部ダムなんかも見せたかったな。今回のコースは近いんだよ」

「黒部ダム知ってる。すごい大きなダムだよね」

「うん、今度行こうね。あと栃木県巡りもしようね」

「あ、日光東照宮! 行ったこと無い」

「そう。東照宮だけじゃなく、あの広い界隈全部が国立公園なんだ。秋なんか素晴らしいよ。群馬は何も無いところだけど、近郊は国宝級の素晴らしい場所がいっぱいあるんだ」

「わぁ楽しみだなぁ・・・」

 潤んだ目を輝かせる樹里。


 食事後布団を敷いてもらい、その上でゴロゴロしている二人。

「ノリ君、お部屋の露天風呂入ろっ」

「うんっ。最後に取っておいた楽しみだね」

 御影石造りの浴槽。二人並んで湯船に入ると距離感が丁度いい小さな露天風呂だ。庭園を眺めながらゆっくりと源泉を堪能できる。

「・・・」

ずっと黙って庭園を眺めている則男。

「ノリ君、何を考えているの?」

 樹里が覗き込んで微笑みかける。

「ん?・・・こんな幸せがずっと続けばなぁなんて・・・ね」

 それを聞くと真顔になる樹里。

「私も同じこと考えてた・・・」

 湯船の中で手を繋ぐ二人。

その先の話をやはり出来なかった。

 静かな時がゆっくりと流れてゆく。


 湯上りに白いバスタオルで髪を拭く樹里。

 則男はそのタオルがウェディングベールに見えた。

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