第21話 栄子の迷い

「はい大丈夫です。押さえてあります。二十四日のクリスマスイブですよね。本人には伝えておきます」

 そう言うと伊藤は受話器を置いた。

 一階の廊下をスタスタと進む伊藤。

 厨房を過ぎて〝コンコン〟と奥の仲居詰所のドアをノックする。

「どーぞ」

「失礼。栄子ちゃん、ちょっと」

「何?」

 と廊下に出てくる栄子。

「あのさ、二十四日のシフトどうなっている? 早番? 遅番?」

「二十四日? イブの日じゃん。私は早番だよ、悪いけど」

 この日栄子は安藤宅でクリスマスパーティーの予定だった。遅番の樹里と雅美も合流する。そして則男も。

「良かった。長谷川さんが予約入っているんだけどさ。相手してくれる?」

「う、うん。そりゃあね・・・」

 と冷静を装う栄子。

「じゃ、よろしくね」


 栄子は祐介にはどこかで見切りを付けるべきか迷っていた。あれ以来いまだに連絡はサッパリ無い。それも祐介らしいとも思った。長谷川は接待の時間に話すだけだが、栄子のことを想ってくれていることは間違いない。最近はプライベートな話をするようになっていた。メール交換もするようになった。


 長谷川真人、年齢は三十八歳。二十九になった栄子よりも十歳近い年齢差は、奔放な栄子を優しく見守る長谷川の寛容な面持ちに溢れていた。職業はグラフィックデザイナー。所沢に自宅兼アトリエあり。二年前に離婚をしたと聞いた。元奥さんが引き取った七歳の女の子がいるという。

 クリスマスイブに来るというのならば、何かサプライズを用意してくれているのだろう。

(どこか外へ出掛けるのかも知れない。わざわざ草津まで来るんだもん、誘われたら行かなきゃ申し訳ないよね。由美にはそれを言っておいた方がいいのかなぁ)

 栄子は長谷川を優先する方向で無意識に考えていることに気が付いた。



 則男は旅館組合の関東ブロックの交流研修会で東京に出張していた。夕食前の空き時間、ビジネスホテルの一室でベッドにゴロゴロしながら電話をしている。

「いいんですか、もう一週間もないんですよ」

『知らねぇよ。あいつの人生だ。うまく行きそうなら俺の肩の荷も下りるってもんだろ』

「そんなぁ」

『仕方がねぇだろ。俺が何を言えるんだよ』

「言えるに決まっているじゃないですか。本多さんの彼女なんですよ」

 相手は祐介だった。

 気持ちが揺らぎ始めている栄子を何とか引き留めて欲しい則男。

『もう別れたんだよ。俺達には先が無いんだよっ』

「それは本多さんが勝手に決めていることでしょ?」

『生意気言うなよノミオ。そんな時にノコノコと顔を出して赤っ恥かくのは俺だろうが。それだったら一人でいる方を選ぶよ』

「そんなこと無いです」

『何でお前が分かるんだよ』

「いつも顔を合わしているからです。まだ間に合います!」

『もう、いいよ。切るぞ』

 と祐介は一方的に電話を切ってしまった。


 ベッドの上で携帯を眺める祐介。

『栄子』と電話帳から出してみる。

 このボタンをひとつ押すだけでそこに栄子がいる。

 同じ町に栄子がいる。

『どしたの、祐ちゃん』

 と、いつもの栄子が普通に出るような気がしてこれまでも何度も押そうとした。しかし栄子を傷付けるだけだと今回も思い留まった。


 先日役場の忘年会があった。そこで前の上司であった山口広幸と久しぶりに酒を交わした。邂逅屋の優子の夫、広幸だ。広幸は当然、祐介と栄子の交際を知っていた。おのずと結婚の話になったのだが、祐介は酒の力も借りて栄子と別れた経緯を告白した。そこで初めて自分は心的外傷後ストレス障害(PTSD)ではないかと聞かされた。思い当たることばかりだった。なぜそんなに詳しいのか聞いたら、実は妻の優子がそうだと告白されたのだった。優子は四歳で亡くなった娘への想いに、いまだに悩まされているという。女児を見ると突然泣き出したり、現在の年齢にあたる女性を見ると泣き出したりするような症状があったという。


「どうやって優子さんはそれを克服したんですか?」

 祐介に注がれたビールを一口飲むと広幸は言った。

「受け入れたんだよ。それだけさ」

「受け入れた?」

「そう。自分はそういう病気の一種だから、その想いと共に生きようって」

「・・・」

 広幸は祐介にビールを注いだ。

「スンマセン」

「辛い思いをしたから今がある。あれが無かったら今の息子たちは居なかったかも知れない。今の周りの人々とも出会わなかったかも知れない。話すことも無かったかも知れない。こんなに頑張って日々を生きていなかったかも知れない。そうに思えて来たって言うんだ」

「あ・・・」

 栄子、一郎、則男、由美たちの顔が浮かんだ。

「辛かったかも知れないけど、それに対しての褒美もあるんだよ」

「褒美・・・?」

「邂逅屋の井上雅美ちゃん、知っている?」

「ええ、一緒に飲んだことあります」

「彼女ソックリなんだよ、亡くなった娘に。歳まで同じで」

「えぇ?」

「今、優子は雅美ちゃんと娘のように付き合っているんだ。色々と二人で出掛けたりね。雅美ちゃんにも娘の話をしたら、彼女はそれを受け入れてくれたんだ。娘が彼女を草津に呼んでくれたなんて言ってくれてさ」

「・・・」

 目をシバシバする祐介。

「飲めよ、祐介」

「ハイ」

 コップのビールを飲み干す祐介。そこへ広幸が注ぐ。

「確かに祐介は辛い目にあったよな。結婚というものに絶望を感じるかも知れないな。だけどそんな祐介を救うために現れてくれたのが栄子ちゃんなんじゃないのかな。優子に対しての雅美ちゃんのように、栄子ちゃんがお前への褒美なんだと俺は思うよ」


((祐ちゃん、私は違うよ! そんなんじゃない!))


 栄子の言葉が胸に刺さる祐介。

「栄子に会ったことあるんですか?」

「いや、無い。だけど分かるよ。優子が絶賛しているんだ。スゴイ子が来たってね。聞けば性分も優子に似ているらしいじゃん。自分の女房をこう言うのも変なもんだけど、うちのは出来過ぎるほどの女でさ、俺にはもったいないよ。そんな優子がベタ褒めするくらいだから、どんな子なんだろうって俺は興味津々だった。それが祐介の彼女だって言うんだから、祐介もやったなぁなんて思ってたんだけどな・・・」

 お膳の小鉢に手を伸ばす広幸。

 目を潤ませる祐介は広幸に見えないように下を向いた。



『二十四日は、まかないご飯をそんなに食べないでくださいね』

 長谷川からのメールを見て微笑む栄子。

『それは何かご馳走してくれるってことでしょうか?』

 と、返信する栄子に、

『バレバレだよね。それしか考えられないよね(笑)』

 長谷川はその意思を伝えてきた。

『楽しみにしています!』

 送信した栄子。

 踏み出してしまったことを実感した。


 本当にいいのだろうか

 こんないい加減な気持ちで会っていいのだろうか

 祐ちゃんへの想いを絶つために会うのだろうか

 長谷川さんに好意があるから会うのだろうか

 考え過ぎだよね、ただ食事に行くだけだもん

 でも向こうはそうは思っていないよね

 ジュリにあんなこと言っておいて、私だってそうじゃない

 長谷川さんを傷付けたくない

 でもどっちを選んでも傷付けてしまうことになるのかな



「もう明日ですよ。どうするんですか?」

 則男と祐介が居酒屋で酒を交わしていた。

 ここは草津町民が訪れることはあまり無い居酒屋だ。つまり高くて美味しくないと言うこと。そんな場所に祐介を呼び出した則男。今日則男が祐介と話すには丁度いい場所だからだった。

「どうもしねぇよ」

 にべもなく答える祐介。

「じゃあいいんですね、栄子さんが誰とどうなっても、いいんですね!」

 強く訴える則男。

「何でお前に説教されてんだ?」

「説教しますよ! 本多さんにとって大事なことだからですよ」

「・・・」

 反論しない祐介。

「しかしマズイな、このおでん」

 はぐらかす祐介に、

「ここがマズイのなんて知っていますよ! そんなの関係ないですよ!」

 カウンター中の焼き台に立っていたマスターがジロリと見た。

「声がデカイよ、ノミオ」

 様子を伺うように囁く祐介。

「あ、スンマセン・・・」

 チラッとマスターに目配せする則男。

「相手の長谷川さんっていうのは、背が高いイケメンですよ。おまけに紳士的で物腰が柔らかくて、女性だったら一発で参っちゃいます」

 これは則男の作戦だった。祐介を焦らせているのだ。

「じゃあ尚更ムリじゃねぇか。もう栄子もワクワクだろうよ」

 逆効果だった。

「それは明日の本多さんの出方次第なんです」

「・・・」

 押し黙る祐介。ふと、

「ここんちで食えるもん他に何かあるか?」

 と則男に聞く。

「あ、ツナサラダは食えます。八百円なり」

「たかっ、それ料理か?」

「一応オススメに書いてありますよ」

「スゲーな、そんなもんしか勧めるもんがねぇのか?」

「ってか、ごまかさないで下さいよ」

 口を尖らす則男。

 片膝を立てて焼酎の緑茶割りを飲んでいる祐介。

 ふと真面目な顔になって則男を見て、

「その男はいつ頃からノリオんとこに通っているんだ?」

 と聞いた。

「うちのホームページをリニューアルした頃ですよ。だから七月の初旬じゃないですかね。従業員みんなの顔写真入りで紹介したりしたんで。でも一番は仲居日記を見ていたんだと思うんです。人気があるんです。特に栄子さんの日記は面白いんでコメントも多いんですよ。それで最初は会いに来たんじゃないのかな」

「何回か来ているのか?」

「何回なんて、もう常連ですよ。月に二、三回来るんですから」

「栄子を指名するんか?」

「そうです」

「栄子はそいつの飯の時間、ずっと一緒に相手をしてやるんか?」

「ずっとじゃないですけど、まぁ担当ですからねぇ」

「・・・クソ」

 呟く祐介。

「でも、勤務外で会うのなんて初めてのはずですよ。それがクリスマスイブっていうんですから、もう見え見えでしょ?」

「フー・・・」

 大きく息を吐く祐介。落ち着き無く座り直したり、箸を持って座卓の上でカタカタと鳴らしたりする。おもむろに脱いで置いてあるフライトジャケットのポケットをまさぐると煙草とライターを出し、煙草に火を点けた。

「あれ? タバコ止めたんじゃ」

 則男が言うと、

「あー、また吸い始めた」

 あっけらかんと返す祐介。

「ちなみに明日はその長谷川さん、宿の夕食をキャンセルしてます」

「そうか・・・」

「あれ? ディナーの場所を聞かないんですか?」

「知っているのかノミオ?」

 手が止まる祐介。

「だから今日、本多さんを誘ったんですよっ」

 ニヤリとする則男。



「栄子は今日キャンセルかも知れないだってぇ」

 由美がキッチンでグラタンを作りながら言う。由美は得意のイタリアン料理を用意して栄子や樹里、則男らをもてなすつもりで大忙しだった。

「だってエイちゃんが早番だって言うから今パーティーの用意していたんじゃん! 何だよキャンセルって」

 一郎がリビングのテーブルに皿やグラスを並べながら眉をしかめる。

「だからぁ、いっちゃん分からない?」

 由美が手を止めてリビングの一郎を見た。

「ええ?! まさか・・・本多先輩と?!」

 小さな目を丸くして口を開ける一郎。

「空気読んでよ~」

 笑顔で怒る由美。


 栄子はこの日、長谷川と会うことを由美には告げていなかった。そもそも長谷川の存在を由美は知らない。栄子は今の微妙な心理状況を誰にも悟られなくなかった。いつもそうだった。思えば祐介との出会いから交際までは由美に秘密にしていた。一方、則男も事の成り行きが分からない以上、言うべきことではないと判断し一郎には告げていなかった。則男は全て伊藤からの情報で知っていた。今日の二人の夕食の場も伊藤が長谷川に頼まれて予約したものだった。

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