第20話 動乱
十一月の行楽シーズンは平野部では紅葉が最高潮となり秋真っ盛りな様子だが、ここ草津はとっくに紅葉も終わり、末にもなると葉も落ちきって冬の訪れを待つ中途半端な時期である。しかし他の観光地の勢いの余韻でそのまま客足が絶えることなく、何とか客室は埋めることが出来るのである。
問題は十二月である。師走の忙しいこの月に旅行をする人間は少なく、暮れの年末年始までどう客室を埋めるかに手腕がかかってくる。
邂逅屋旅館では忘年会とのお得なセットプランを用意したところ、首都圏近郊からの職場団体で程よく埋めることが出来そうだ。当然男性客が多くなるのもこの時期の特徴だった。
今日は一階大広間にて二十一人の団体客の宴会、そして五人の一部屋、四人の一部屋だった。つまり部屋出しは二部屋で済むということだ。優子、栄子、樹里の機動力のある三人は広間の団体へ、雅美と他の二人は部屋出しへ回された。
広間での挨拶を済まし、二階の個室での挨拶をしている智恵子。
「おぉ、美人女将だ!」
和風旅館ならではの風情に客も大喜びだった。この五人の団体客は年配の二人に三十~四十代三人という中小企業の社員旅行と言った感じだった。道中から飲んでいたらしく、既に酔いが回っている様子だ。
「当館のお湯は湯畑源泉を、」
と智恵子が説明をしているのを遮って、
「いいから女将、こっちにちょっと来てくれよ~」
社長らしき上座の男が智恵子を呼ぶ。
「はいはい、何でございましょう」
智恵子がその傍らに座るやいなや男は智恵子を抱き寄せた。
「社長、ダメですよ~女将さんなんだからぁ!」
と若い三人が卑猥な笑い声を上げる。
「私のような年増で良くて? お客様」
と男に肩を抱かれながらも、さりげなく立ち上がる智恵子。
その智恵子の尻に手を触れる男。
「俺は女将さんみたいのがいいんだよぉ」
「ヒャーハッハッ」
はやし立てる若い衆。
「お飲み物は皆様足りていらっしゃいますか?」
落ち着いた口調で聞く智恵子に、
「熱燗三本と、ビール四本! 今度は担当の井上さん呼んでよ女将」
と若い一人が注文をした。
「ハイハイかしこまりました」
智恵子が厨房へ降りていくと、樹里と居合わせた。忙しく皿を下げて追加の熱燗を盆に載せている樹里の横へ来て、
「一ノ瀬さん、石楠花の間におビール四本と熱燗を三本持って行って」
と頼む智恵子。
「え? いいんですか私で、」
「忙しい時は近くの人よ」
雅美は配膳台のところで茶碗蒸しを乗せていたにも関わらずだった。
「失礼しまーす」
樹里が部屋に入ると若い一人が浴衣の上半身がはだけて半裸だった。
「!」
びっくりする樹里を見て、
「おぉ? 別の子が来たぁ! まぁまぁ座ってよ」
と樹里の着物の袖口を掴む男。
「あっ」
お盆の熱燗が倒れそうになってそのまま座る樹里。
「おネェちゃんは何歳?」
「あ、私は二十五です・・・」
肩をすぼめる樹里に、
「いいねぇ! このくらいが一番だよ~」
「ダメだよ~、孫みたいなもんだぁ」
「俺達はこのくらいなんスよ~!」
と盛り上がる三人。
樹里が立ち上がろうとすると、また着物を掴んで、
「ダメだよ行っちゃあ!」
と半裸の男が樹里に圧し掛かって来た。
「ちょ、ちょっと何するんですか!」
抵抗する樹里を抱き締める男。
「ヒャ~ハッハッハ~!」
かん高い笑い声を上げて喜ぶ男達。
「雅美ちゃんジュリは?」
広間で食器を下げながら栄子が樹里を目で探している。
「石楠花に行きました」
口をすぼめて答える雅美。
「え? 何で?」
「女将さんに言われて・・・」
「!」
栄子はおかしなものを感じた。
「雅美ちゃん、これ持って行って」
とお盆の食器を渡すと足早に二階へ向かう栄子。
石楠花の間に近づくと男達の騒ぐ声が聞こえた。
小走りに上がり込み、前室の引き戸を勢いよく開ける栄子。
樹里の上に全裸の男が覆いかぶさっていた。
「何やってんの、あんた達!」
「おぉ~今度は藤木ユイカだ!」
はやし立てていた若い一人が叫んだ。
「ホントだ、似てる~! 三回転かよ!」
樹里の上に跨っていた全裸の男が半身を起こしてはしゃぐ。
〝パーンッ!〟
「どけぇ! 馬鹿!」
その男に平手打ちをかます栄子。
「イテェ~!」
「ワッハッハハ~ッ」
逆に盛り上がる男達。
「ユイカもやっちまえ~! おっ巨乳だぜぇ!」
若い二人が今度は栄子を羽交い絞めにする。
「離せ、変態!」
叫ぶ栄子。
三階団体客の布団敷きを終わらせて二階に降りて来た則男。
「?」と二階の騒がしさに気が付き走り出した。
「何してんだ、お前らぁ!」
部屋に乗り込むと栄子にまとわり付いている男を平手でドンッと押しこくって、樹里の上の全裸男の後ろに回り込み両脇を抱えると、隣の部屋にブンッと投げた。ドタドターンッと転げ回る男。
「バカ野郎! ピンクコンパニオンじゃねぇんだぞ!」
目を見開いて怒鳴る則男。
栄子が泣いている樹里の肩を抱えて部屋の隅に行く。
「何だよチビ! やんのか? 俺たちゃ客だぞ」
一番若く見える男が則男に詰め寄ってきた。
「お前らなんか客じゃねぇ。金は要らないから今すぐ帰れ!」
毅然と言う則男。
「あんだとコラァ」
と男が近づいた時、
「ちょっとタイム!」
と男の前に手の平を出す則男。
「ハァ?」
「栄子さん警察呼んでっ。お前ら受身出来るか? こっちの部屋に来い」
と栄子と男たちに指示を出す則男。
ポカンとする男たち。
「来いよ! そのチビに負けたらお前ら恥ずかしいぞ」
本格的な構えをする則男にたじろぐ男たち。
「いいか、受身しろよ。出来ないなら力まないで身を任せろ。さ、来い」
その時、
「やめとけお前ら。兄ちゃんには敵わないぞ」
社長と呼ばれている男が言った。
部屋の外でバタバタと音がすると、板長の香川と航太郎がすりこぎ棒を手に持ってやって来た。雅美が呼んだようだ。
「・・・!」
着物がはだけて泣いている樹里を見て驚く航太郎。
「テメェら何したんだよ!」
と飛びかかる航太郎を香川が押さえた。
「手ぇ出すなコータ!」
一触即発の緊張状態が続く。栄子は樹里を抱いて、まだ警察に連絡をしていない。そんな栄子も着物がヨレヨレだ。
その空気を割って則男が口を開く、
「今帰れば、食事代と飲み代がタダだ。その代わり警察を呼ぶ。公然わいせつと準強姦罪だぞ。軽犯罪でも前科が付く」
「・・・」
ゴクリとする男たち。則男は思い付きで適当に言ったのだが。
「泊まりたいなら明日帰るまで、おとなしくしてろ。そしてこの子たちに謝れ! そうしたら警察には通報しない」
顔を見合す男たち。
全裸の男を見て則男が声を上げる。
「いいかげんパンツはけ、お前!」
全裸だった男が隅でシュンとなっておぞおぞとパンツを穿き出す。
穿き終わるのを見て社長が、
「ホラ、お前ら。ここに座れ」
と樹里と栄子の前に若い衆を正座させた。
「すみませんでした」
三人は並んで土下座をした。
「社長、あんたらもだよ!」
則男が言うと、
「あ、スミマセンでしたぁ」
慌てて土下座をする二人。
厨房では力が抜けた則男がイスに座ってへたり込んでいた。
樹里はショックで仕事にならず寮に帰した。
則男が付き添って部屋まで送ったのだが樹里は、
「雅美ちゃんが行かないで良かった・・・」
と、ひとこと発しただけだった。
心配でずっと落ち着かない則男。
すると「は!」と何かを思い出したように立ち上がると、事務所の方に走って行った。その様子を見ている一同。
「若旦那、いざという時に頼りになるんだね」
優子がポツリと言った。
「見直したわ・・・カッコイイわ、あの男」
栄子が頷きながら言った。
「・・・」
黙っている航太郎。何を思うのか。則男と樹里が交際していることはうすうす勘付いている様子ではあったが。
言い忘れていたが、則男は中学、高校と柔道を本格的にやっていた。高校では六十キロ以下級でインターハイ出場を果たし、ベスト16が最高記録というレベルだ。〝人は見かけによらない〟の見本のような男である。
「お母さん、ジュリちゃんにわざとゴリラの巣に行かせたのか? 伊藤さんでも付けて行かせるべきだったんじゃない?」
「何を人聞きの悪いことを言ってるの? たまたま近くにいたから頼んだだけじゃないの」
応接室のソファーでお茶を飲んでいる智恵子はトボケて返した。
「お母さんが注文を受けたんでしょ?」
「そうよ」
「危険な連中だって分からなかったのか?」
詰め寄る則男の目は怒りに満ちている。
「あの時点では普通だったわよ。一ノ瀬さんが馴れ馴れしく誘ったんじゃないの? あの子はそういう癖があるから」
「そんな訳ないだろ!」
とテーブルをドンッと叩く則男。
「何て大きな声を出すの! お客様に聞こえるでしょ」
「これでジュリちゃんが辞めちゃったら責任取れるかい? あんなに頑張っているのに! あんなに優秀なのに!」
「だから何で私のせいになっているの? あのお客様だってふざけて一ノ瀬さんの上に乗っかっていただけでしょ? 私の時代はもっと酷いことされたわよ。胸を曝け出されたことだってあったわよ!」
目を丸くする則男。
しかし冷静になって静かに言った。
「だからって、同じことを繰り返させるのかい?」
「え?・・・」
「お母さんが若女将の時は、おばあちゃんに酷く虐められた話はお父さんから聞いたよ。それもお母さんの言う〝歴史と伝統〟なのかい?」
鼻で笑う則男。
「ふざけるんじゃないわよ、ノリオ!」
「それをジュリに引き継がせるつもりなのか?」
「・・・あなた、まさか」
智恵子の表情が曇った。
「俺達は付き合っている。俺はジュリと結婚する!」
真っ直ぐに智恵子を見る則男。
「何を言ってるの、ノリちゃん・・・」
眉をしかめて目を見開く智恵子。
「何が気に入らないのか面白いのか知らないけど、あんた人を見る目がないよ。俺達の邪魔をするなら、旅館を捨てて青森に行く!・・・」
立ち上がると智恵子を一瞥する則男。
「・・・」
智恵子は言葉が出なかった。
自室で荷物を何やら詰めると、その足で則男は樹里の部屋へ向かった。
〝ピンポーン〟
ドアが開くとそこには樹里の泣き腫らした顔があった。
風呂上りの髪も乾かしていない。
「ジュリ!」
抱き締める則男。
「ごめん。もう離さない! ごめんね」
「ノリオさぁん!」
わんわんと泣く樹里。
抱き締め合ったまま二人はしばらく泣いた。
その日から則男は毎晩樹里の部屋に帰るようになった。
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