第19話 噛み合わない歯車
岩木山を西に臨む三階建ての自社ビル。敷地では県内に三軒あるうちの一軒の工場から活気よく何かの製造音を響かせている。敷地周囲の囲いが途切れたところの工場入口には『一ノ瀬農園りんごスイーツ工場』とステンレスの文字看板が堂々と輝いていた。
青森県弘前市五代というのどかな町に樹里の父耕作の会社があった。この敷地内の工場でヒット商品『まるやき☆アポー』を始め、様々なリンゴ菓子を製造している。自社ビルの三階には社長室と自室のリビング、寝室、樹里の部屋がある。
殺風景な樹里の部屋で突っ立ったまま動かない男の後姿があった。
(うまくいかないものだな・・・)
耕作だった。
幼い頃にオシャレをして撮った写真立ての樹里。
それを手に取るとしばらく眺めた。
「・・・」
耕作は時々それを眺めに樹里の部屋に入る。
当時の樹里に会えるような気がするからだ。
(あの頃はお姫様になるなんて言っていたのにな・・・)
耕作が三十歳のときに生まれた樹里。五十五歳になった今、樹里は二十五歳。耕作が設定した樹里の結婚のタイムリミットだ。今年のうちに結婚してもらって、五年間で婿と樹里に引継ぎを行い、六十歳で引退と考えていた。キッチリした性分の耕作は物事を五年周期で考える癖がある。
「また樹里の部屋にいたの?」
妻の絵里が耕作の気配に気が付いてやって来た。
「この写真が好きでな」
対外的な仕事が増えた頃から耕作は標準語を話すようになっていた。絵里と会話をするのにも津軽弁では伝わらないことが多かったのも理由だ。樹里は耕作の津軽弁と、絵里の標準語に接しているうちに両方を使い分けることができる様になっていた。
「あの子の自由にさせてやって」
「ん~? じゅうぶんさせてやったろ」
絵里は樹里には自由に人生を謳歌して欲しい。
「そうは言えないじゃないの~。あの子は建築家になりたいのよ」
「どうしてそんなこと言い出したのかな」
「あなたがそうに仕向けたんじゃないの」
呆れた顔をして耕作を見る絵里。
樹里の資質は耕作の英才教育の賜物だった。早くに通わせた名門学習塾。その結果もともとあった理数系の資質を開花させ、樹里は建築工学に目覚めてしまった。それだけではない、絵画など芸術面においても秀でた才能があった。それもお稽古事がさらに磨きを掛けたのだ。樹里が建築に魅せられる理由は工学と芸術の融合した分野であることだった。そのため高校は地元の工業高校、大学は明治大学理工学部の建築学科へ進学したのも自然なことだった。また栄子が「思わせぶり」と誤解したほど、男性に分け隔て無く接するのは、これまでの男ばかりの環境がそうさせたのだろう。
その愛くるしさで、どこへ行っても人気者だった樹里。高校時代には「工業高校に咲く幻の花」と題して地元のテレビ番組に出演したこともあった。そのきっかけはクラスメイトの番組への投稿である。自分の容姿を前面に出すことを嫌う樹里は、アポなしの強行撮影でようやく撮れたという出演であった。真っ赤になって逃げ惑う姿がまた可愛いと反響を呼び、一時は樹里に会いに県内から男子学生が押し寄せる騒ぎにまでなったほどだ。
そんな樹里を誇りに思っていた耕作。大学卒業後は就職をしても婿を連れて帰って来ると当然のように思っていた。
「山根はちゃんと伝えたのかなぁ」
リビングに戻って、ソファーに腰を掛ける耕作。
「あなたが行けば良かったじゃない」
キッチンでコーヒーメーカーをセットしながら絵里が言う。
「やだよ。恥ずかしいよ」
「そういうところよ」
「何が?」
「樹里はあなたがいつも一歩引いて操作をしていることが嫌だったのよ」
「操作していたわけではないけど、素直に従って来たじゃないか」
「それは小さかったからよ」
「・・・」
口をへの字にして絵里を見据える耕作。
「もう立派な大人よ。その気があれば帰ってくるわ」
「その気がなければ?」
「仕方がないんじゃない?」
「会社と農園はどうするんだよ」
「その時に考えればいいじゃない」
「じゃあ十年後か?」
「何でそんなに向こうへ行くの? 来年かも再来年かも知れないじゃない。お婿さんを連れて来るかも知れないし、お嫁に行っちゃうかも知れないし、先のことは分からないわよ」
コーヒーを運んできた絵里。耕作の単純な考え方を分からなくもないが、理解しようとは思わなかった。
「あなた、樹里の人生なの。分かる? あなたの人生パズルの真ん中に樹里が納まっているんじゃないの。樹里の人生パズルの隅っこにあなたがポツンといるだけなのよ」
説得するように言う絵里。この件は何度話したか分からない。
「そういうもんじゃないだろ」
「そういうものよ。私が青森に嫁ぐことになった時の私のお父さんの気持ちが少しは分かったんじゃないの? あなたは当然のように思っていたかも知れないけどね」
「そりゃあ・・・」
それを言われると何も返せない耕作。
明日から泊まりで小樽に出張。たまに家に居ればいつもこの話の繰り返しだ。樹里を東京に出す時も大変な騒ぎだった。そんな耕作からしたら、樹里が青森から離れた地に嫁に行くなど考えられないことだった。
仕事後に栄子の部屋に珍しく誘われた樹里。
今回のノロウイルス騒ぎで傷ついたであろう樹里に対しての栄子なりの心配りだった。
「キレイにしてますね、さすが栄子さん」
部屋を見渡す樹里。見慣れないスウェット姿だ。
「そう? ゴミ屋敷よりはマシかな」
と発泡酒をゴクリとやるいつもの部屋着の栄子。
「ベッドは反対側に移して頭をこちらにするといいですよ」
柿の種をボリボリ食べながら樹里が言った。
「え? どうして?」
「窓からの冷気がカーテンの下から腰辺りに下りて来ますので良くないです。頭もそうです。頭の向きを室内の中心に持って来た方がこの場合いいです。それと動線に当たらなくなるので、玄関からストレートに突き当たりの窓まで視界が開けて部屋が広く見えます。反対に玄関からベッドは見えにくくなるので、プライバシーの確保が気持ちだけ出来ます」
「へ~」
感心する栄子。
「ワンルームにプライバシーも何も無いですけどね、」
と笑いながらお茶を飲む樹里。
「ちょっとやってみよう。ジュリ手伝って」
立ち上がる栄子に樹里が、
「さすがの行動力ですね、栄子さん」
と立ち上がった。
夜の十時にベッドとタンスを動かす騒ぎを始める二人。階下の住人はさぞ迷惑だったであろう。夜逃げと思われたかも知れない。
「ホントだ! 断然いい! 広くなった!」
喜ぶ栄子。
「良かったですね」
微笑む樹里。
二人はしばらく他愛の無い話をしていたが、その途中で栄子が、
「ジュリ、専務と付き合ってんの?」
と突然聞いて来た。
すると見る見る赤くなる樹里。
「かわいいなぁジュリは。分かりやすくていい。そうだったんかぁ」
笑う栄子。その瞳は優しかった。
「ごめんなさい、栄子さん」
「へ? 何で?」
「だって栄子さん、色々大変だったそうで・・・。何か申し訳なくてご報告できませんでした」
俯いてもじもじと言う樹里。
「気を使わないでよぉもう。私は私、ジュリはジュリ。消滅する恋もあれば、生まれる恋もある。もう直ぐ私は二十九、でもまだ二十代。全然へこたれていないからねっ」
ニコリとする栄子だが、樹里には空元気に見えた。
「でもジュリ、その先のこと考えているの?」
急に真面目な顔で言う栄子。
「覚悟がいることだよ、普通と違って・・・」
その言葉に樹里は智恵子の顔が浮かんだ。
俯き気味に話し出す。
「考えていないと言えば嘘になります。旅館に入るということは女将さんのもとで修行に入るようなものです。青森に帰るということは専務が旅館を捨てるということになります。前者は私の覚悟、後者だったら専務の覚悟が要るということです。でも両方の家がどちらにしてもそれを許すはずがないんです・・・」
樹里は青森の実家の話と自分の立場を栄子に初めて告白した。しかし「まるやき☆アポー」の件と自分の家が裕福なことは話さなかった。これが知れたら智恵子が態度を変えるかも知れないし、そんな智恵子を見たくも無かった。もし急に則男に樹里との結婚を勧めることにでもなったら、それは金目当てだと確信できてしまう。樹里は農家の娘という立場で智恵子に祝福されて結婚をしたいのだった。
「そんな状態なの、ジュリ・・・」
「単身で帰れば、見合い結婚が待っているんです。私はそんな結婚を望んでいません。好きな人と結婚したいです・・・」
肩を落として終始俯いている樹里。
「専務は結婚の意志はあるの?」
「そんな話はまだこれからなんですけど、あると思います。専務は邂逅屋の女将になってもらいたいと思っているはずです」
「ジュリは?」
「私は専務と一緒なら草津でも青森でもいいと思っています。どちらか一方の家が祝福できない結婚なら、どちらも捨てて駆け落ちしてもいいと思っています」
樹里の意志の強さを垣間見た栄子。フッと微笑むと、
「いいぞジュリ~。かわいい顔してあんたは強いね」
と樹里の頭をなでなでする。
「栄子さんだって」
照れ笑いをする樹里。しかし栄子の表情が変わるのに気が付く。
「私はそう見えるけど、そんなこと無いんだよ・・・」
低い声で栄子が言うと、
「分かっています」
とポツリ言う樹里。
「え・・・」
ピクリと栄子の眉が動いた。
「栄子さんは他人のことだと強い意思で一生懸命になってくれますけど、自分のことだと少女みたいに、か弱くなってしまいます」
遠慮がちに話す樹里に、
「お見通しだね、ジュリには」
と苦笑いをする。
「栄子さん、もし本多さんに言いたいことがあれば、私が伝えてもいいんですよ。塞ぎ込むようなことがあれば私にぶちまけて下さい。人に話すことで楽になることもありますよ。協力させて下さい」
真剣に栄子の目を見て訴える樹里。
「ありがとうジュリ。うれしいよ。だけど祐ちゃんはもうダメ・・・」
栄子の目が潤んでいる。
「三年間が無駄だったとは思わないけど、この三年間は何だったんだろうって思う・・・。何で私はここに居るんだろうとも・・・」
「全てのことに意味はあると思います。自分を信じて一生懸命にやったことなら、結果はどうであれ必ず何かのプラスになっているはずです。そのプラスはある日ふと気が付くものなんですけど・・・」
上目遣いに言葉を選びながら話す樹里。
「もう、ひとつプラスが見つかったよ」
口を閉じたまま大きく微笑む栄子。
「え? そうなんですか?」
「ジュリに出会えたこと。草津に来て良かったって思ってる」
照れて下を向く樹里。また顔が赤くなる。
「かわいいなぁ、お前は~」
「津軽弁でどう言うの?」
「めごいな、おめ」
それを聞いて、
「めごいなぁおめぇ」
とオジサン風に言って樹里の頭をなでる栄子。
「スゴイいい発音です」
「ハハハハッ」
二人で声を上げて笑った。
その時、栄子のメール音が鳴った。
チラッ樹里を見てから携帯を手に取る栄子。
『今日の仲居日記は佐山さんの番ですよね。さぼっちゃダメですよ~』
とあった。
「あ、仲居日記アップするの忘れてた」
その反応でメールの送り主が祐介ではないことを知る樹里。
「専務からメールですか?」
「いや違う・・・」
とよそよそしく言う栄子。樹里はその栄子の目を覗き込んで、
「長谷川さんですか?」
と聞いてみた。
「ジュリ、あんたって子は~」
笑いながら睨む栄子。
「私は何も見てませんよぉ」
と宙を仰ぐ樹里。
以前から栄子を指名して、月に三回も邂逅屋に泊まる客がいた。長谷川と言う埼玉県所沢市在住のサラリーマン風の男だ。年齢は三十後半から四十代に見える背の高い紳士。栄子は別段気にも留めていなかったが、栄子が東京の実家から復帰した時に花が届けられ、傷心に沈む栄子の心を揺さぶり始めた。それらの情報を長谷川に伝えていたのは番頭の伊藤だった。長谷川は栄子情報を掴むのに伊藤を指名して邂逅屋に電話していた。伊藤に悪気は無く、彼なりの栄子への心遣いのつもりだった。
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