第16話 樹里の中の芽生え

 草津の夏は最高気温でも二十五度を超えるかといったところだ。七、八月の平均気温は十七・五度という避暑地でもある。


 夏休みに入ってからはほぼ満室が続いているが、仲居の厨房での仕事の効率は劇的に変化したことで疲労も軽減されていた。樹里が考案した小荷物用昇降機がその誘因だ。一回の昇降でお膳を重ねて四段運べる。つまり一回で一部屋分の運搬が可能なのだ。これまでは仲居一人が二段もしくは無理して三段を階段で運搬していたのが嘘のようだった。更に、次に運ぶお膳を取りにいちいち厨房まで降りる必要がないことも時間の短縮となった。厨房での配膳二人、客室への運搬四人でその場で仕事が済むのだ。


「何でここに設置出来ることに気が付かなかったの~?」

「何年無駄に膝を痛めて来ただろう」

「若旦那、良くやった!」

 則男は仲井たちに称賛された。

 智恵子もそれには鼻高々だったようで、

「ようやくノリちゃんも若旦那としての器量に目覚めたわね」

 と則男を誇らしく称えた。

 樹里も一緒になって則男を褒めてくれた。


 またホームページのリニューアルは樹里の願った通りの反応が即座に来た。アクセス数が歴然と増えているのだ。これには日々更新される則男のブログと、追加した「仲居日記」へのアクセスが多いことも伺えた。交代で樹里、栄子、雅美が簡単な日記を発信する。来る客、来る客に各自が声を掛けられること、仲居の指名が増えたことはその裏付けだった。


「専務、頼むよ~。銀座のクラブじゃないんだからぁ」

「いいじゃないですか、お心付け結構もらっているんでしょ?」

「まぁねっ」


 小声でニヤける栄子。なぜか栄子は年配層からの指名が多かった。

 もともと名物女将だった智恵子。この波に乗って智恵子自身も客から声を掛けられることが増えた。しかしその半数近くが智恵子に対してでは無く、樹里に対する評判ばかりだった。心の奥で智恵子は樹里に対して女としての嫉妬を燻らせていったのだった。



 暑さもピークとなる八月一日。この日から三日間(現在は二日間)草津温泉感謝祭という毎年恒例の夏祭りが催される。早番だった樹里と雅美は二人で祭りに出掛けた。浴衣がないので旅館の客用浴衣を借りた二人は、今日は観光客気分だった。夜になると夏とは思えないほど涼しい。えんじ色の茶羽織半天はこの時間帯は丁度良かった。


 湯畑前に組まれた特設ステージでは町内から厳選された温泉女神による式典が執り行われていた。

「温泉に感謝するお祭り。そうよね、草津は温泉が農家のお米だもんね」

 神秘的に演出されたステージを見ながら樹里が呟く。

「樹里ちゃんの地元はスゴイのがあるじゃないですか、ねぶた祭り!」

 雅美が樹里の肩をたたく。

「あぁ、それは青森市の〝ねぶた〟ね。私んとこは弘前だから〝ねぷた〟っていうの。違うお祭りなんだよ」

「え? そうなの?」

「うん。一見同じだけど微妙に違うの。弘前ねぷたは、山車が扇形なのが特徴かな。でも今は人形型も多いけどね。県内では一番山車の数は多いんだよ。ちょうど今日から七日間だな、行きたいなぁ・・・」

「遠いもんねぇ青森は。どこかで連休もらって帰れば?」

「それは無いと思う・・・」

 うつろな表情で言う樹里に雅美は何かを感じ、それ以上聞かなかった。


 二人は軽く一杯飲みに居酒屋に向かった。歓迎会で航太郎が連れて行ってくれたあの居酒屋だ。

「え~、私行ったこと無い」

「まだあの日、雅美ちゃん草津に居なかったからねー」

 ガラーと引き戸を開けると祭りの夜だけあってほぼ満席だった。

「スイマセーン、お客さんカウンターなら二名様座れます!」

 と大将の活きの良い声が響いた。

「いいよね、カウンターで」

「ハイ」

 二人がカウンターに座ろうとした時、

「あれ? 航太郎さんっ」

 と雅美が声を上げた。

 樹里はピクッとした。

「お? 二人は観光客仕様かい?」

「浴衣が無いんで」

 と言いながら航太郎の横を樹里に勧める雅美。

「いいよ、雅美ちゃん座って」

「え? どうしてですか?」

 普段まかない食を食べる時、航太郎の横が樹里の定位置だからだ。

「どうぞ、どうぞ」

 照れくさいのもあって雅美は樹里の背中を押した。

 仕方が無く座る樹里。

 航太郎に目を向けず、

「生ビールでいいよね」

 と注文をする。


「お疲れ様、カンパーイ」

 と航太郎も飲んでいる焼酎グラスを上げた。下に梅干が沈んでいる。

「航太郎さん、ボッチ飲みですか?」

 と尋ねる雅美に、

「あぁ、俺はよく一人で仕事後にフラフラやってんだよ」

 隣り合わせた以上、航太郎を抜きにして話すわけにもいかず、三人での談笑となってしまう。愛想笑いで対応する樹里。

「雅美ちゃん、この間のしつこい客、大丈夫だった?」

 樹里を挟んで雅美に話す航太郎。

「ええ、大丈夫ですよ。なんか慣れました、あーゆーお客さん」

「あんまりしつこい様なら俺に言いなよ。ブッ飛ばしてやるから」

「ダメですよ~、お客様をぶっ飛ばしたらぁ」

 笑う雅美の横で微妙な表情の樹里。

「その点、こちらの指名ナンバー1様は、こ慣れていますからねぇ」

 と樹里に嫌味を吐く航太郎。

「・・・」

 黙っている樹里。

「航太郎さん、酔っ払ってる~。いつも樹里ちゃんに優しいのに」

「ええ優しいですよ。ナンバー1様は厳しいですけどねぇ」

「雅美ちゃん、ここの焼き鳥美味しいんだよ、食べてっ」

 と話を聞かない樹里。

「もう、樹里ちゃんをいじめないで下さいっ」

「いじめられているのはどっちかなぁ。恩を仇で返すってイジメだよね」

「・・・」

 ゴクゴクッと焼酎を飲み干すと、

「大将、もう一杯梅割り。二人も飲みなよ、おごるぜ」

 ニヤリとする航太郎。

「ホントですか? ありがとうございます。じゃあビール。樹里ちゃんは?」

「私はまだいい」

 注文をするとトイレに立つ雅美。

 すると正面に並んだ日本酒の一升瓶を見ながら航太郎が、

「俺は本気だから・・・」

 と呟いた。

「困ります。私はそんなつもりありません。あんな言い方・・・」

 囁くような声で返す樹里。

「それはゴメン。でも諦めないから」

「雅美ちゃんの前でやめて下さい」

「誰の前だろうと俺は樹里ちゃんが好きだから」

 引き下がろうとしない航太郎に、

「私、好きな人がいますんで・・・」

 とハッキリと言う樹里。

「は? 誰だよ、あの埼玉の客か?」

 そのタイミングで雅美が帰ってきた。


 他愛の無い話をしている時に、ガラーと入口が開いた。

「お客さんスイマセン。今、満席で!」

「何だよ~」

 ガッカリする数名の客は地元の消防団の活動服を着ていた。式典の警備が終わったのだろう。

「あ、コータロー」

「ん?」

 体を反って入口を覗く航太郎に、一人の団員が詰め寄ってきた。

「お前、シュガーナイトのツケ払えよ。ママ怒ってたぜ」

「払いますよ。今月中には」

「今月って、まだ三〇日もあるじゃねぇか。お客を引っ掛けて飲む金はあるんだな、あ?」

 その勢いに萎縮してしまう樹里と雅美。

「恐がってるじゃないっスか。払わねぇとは言ってないっしょ」

 挑発的な態度をとって見上げる航太郎に、

「おい、オメー」

 と団員が航太郎のシャツの襟首を掴んだ時、

「まあ、行きましょ丸さん! 小金屋なら空いてますよっ」

 と一人の団員が間に入った。その団員を見て、

「あっ! ペンキ屋さん!」

 と樹里が声を上げた。

「へ?」

「シーナさんだ!」

「おお、ノミオ先輩のところの!」

「その節はお世話になりましたぁ。もう大助かりでエレベーターが大活躍をしていますよっ」

「そうかぁ、良かった良かった。そんな格好しているから観光客だと思ったよ。何でそんなの着てんの?」

「お祭りに着る浴衣が無かっただけです、ハハ」

「なるほどな」


 一同その様子を黙って見ていた。その団員は工事の時に外壁の塗装で来ていた椎名塗装店の若社長だった。樹里がお茶出しをしていた関係で知っていたのだ。結局その和やかな空気でこの場は収まってしまった。


「借金があるならいいです。そっちを先に払って下さい」

 と樹里たちは二人分の会計をして店を出た。

「チッ・・・恥かかせやがって・・・」

 黙ってその後姿を目で追う航太郎。

 雅美がペコリと頭を下げた。


「飲み直そ、雅美ちゃん」

「ですねぇ」

 式典も終了すると、屋台の出店も片付けを始めている。

 二人の視線の向こうに親子連れの姿があった。

「安藤さんたちだ」

 雅美が気付いた。

 年に一度の小さな町の祭りのため、町民一同が湯畑に集結する。すれ違う人全員が知り合いのようなもので、ほとんど挨拶をしに来たような状態になる。一郎たちに会っても不思議では無かった。

「ホントだ。専務と栄子さんもいるじゃん」

「あれ、みんなで集合ですね」

 と笑う二人。

「お! お二人様どちらにお泊り?」

 栄子が声を掛ける。

「美人仲居たちで有名な邂逅屋さんです」

 樹里がおどけると、

「若旦那も男前で有名ですよ」

 と則男が返す。

 則男と樹里の視線が絡み合う。

「お疲れ」

「お疲れ様です」

 微笑む二人。何かが違う。お互いにそう思った。

「二人も行く? 奥の中華屋さんを予約してあるの」

 と由美が誘ってくれた。

「はいっ」

 同時に答える二人の間に萌が飛び込んで来た。

「行こうか萌ちゃん」

 二人と手を繋ぐ萌。

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