第14話 お互いの迷い
則男は樹里との一件以来、物思いに耽ることが多くなった。そんな則男に対して樹里は努めて明るく振舞うのだが、空返事のような則男の対応だった。周りの人間も則男のおかしな様子に気が付いてきて、何かと話し掛けるのだが打っても蹴っても響かない則男だった。
樹里はそれに責任を感じ始めてきた。
「専務、後でお話が・・・」
「いいよジュリちゃん。じゅうぶん聞いたから」
「・・・」
困ってしまう樹里。やはり則男のメンタルでは耐えられなかったのか。樹里の心の奥には則男に対する期待があった。きっと受け入れてくれる、きっと奮起してくれると。しかしその予想とは裏腹に則男は全く逆の反応をしてしまったのだった。
「専務、先日はすみませんでした。私、」
「謝る必要は無いよジュリちゃん。みんな当たっているんだし」
「でも、失礼だったと反省しています」
「そんなことないよ。反省するのは俺の方なんだから」
と頭を下げる樹里の横を素通りする則男。そう言われると、どうしてみようもない。怒るなら怒って欲しかった。
樹里はそれを栄子に相談した。
「よく言ったね、ジュリ。大したもんだよ」
と樹里の頭をなでなでする栄子。
「そうですか? 私どうしたらいいのか・・・」
本気で困っている様子の樹里。初めてそんな樹里を見る栄子。
「おしっ。今夜ね、安藤家で家飲みの約束があるんだわ。来る?」
「えっいいんですか?」
「いいでしょうに。隣人は頼りにしなよ」
優しく微笑む栄子。
今日は栄子が早番だった。先に行っているから終わったらおいで、と言われた樹里が安藤宅にやって来たのは九時半を過ぎていた。
「何だかな~、アホだなノミオ」
一郎が呟く。長い髪を無造作に上で縛っている。
サムライみたいだと思う樹里。
ダイニングの食卓は鉄板焼きをした様子が伺えた。今はリビングに移動して一郎はソファーに、女性陣はカーペットに座り込んでいた。
「いえ、私が調子に乗って言い過ぎたんです。順を追って言えば良かったのに一気にまくし立てちゃったんです。専務を傷付けてしまいました」
出された缶ビールに手を付けない樹里。
「ちょっと飲みな。楽になるよ」
栄子が言う。
「いえ、何か飲めません・・・」
「じゃそれもらうわ。いつも発泡酒ばかりだから」
と手を出す栄子。何事も遠慮しないのが栄子。
「それを言っている時、ノミオはどんな感じだった?」
と焼酎の水割りを飲みながら一郎が聞くと、
「黙っていました。すぐ黙っちゃうんです」
ボソリと言う樹里。
「だよね。あいつはそうなんだよ。自分の意見を押し殺しちゃうんだ」
一郎も分かっている様子だ。
「そのことについても私言っちゃったんです。ホント生意気な女でした」
沈む樹里。
すると、その様子を聞いていた由美が口を開いた。
「とことん意見をぶつけた訳ね。それが全て図星だったもんだから、則男君のプライドと樹里ちゃんへの想いが錯綜して、何だか分からなくなっちゃったんだよ。でも怒ることは出来ないし、否定も出来ないし、実行も出来ない。自分で着地点が分からなくなっちゃった」
「つまりそういうことだね」
栄子が続けた。そして、
「一郎君、ジュリにお茶出してやって」
と一郎を使う。
「は~い。って誰んちだよ!」
ノリツッコミをしながら冷蔵庫に立つ一郎。
「はいよ、樹里ちゃん」
「あ、スイマセン」
緑茶缶を置くと一郎が、
「ここでノミオは呼ばない方がいいな。樹里ちゃんは何もしなくていいよ。やるべきことはやった。ちゃんと謝ったし。次はノミオの番だ」
と言うと、
「私もそう思うよ」
由美も同調した。
「でもこのままだったら、私どうしたらいいんですか?」
「いいよ放っておけば。専務が自分で後悔するよ。・・・あっ、コータと付き合っちゃえば?」
突然素っとん狂なことを言う栄子。
「何でそこへ行っちゃうんですかぁ」
「そもそもジュリ、専務がジュリのこと好きなの知っているの?」
真顔で聞く栄子。
「それは何となく、そうなのかなぁって・・・」
照れながら首を傾ける樹里。
「ジュリはどうなのよ」
黙って二人の会話を聞いている一郎と由美。
「私は特別な感情は・・・無いです」
「だったらジュリさ、少し距離置いていいと思うよ。変に勘違いされても困るし、専務からは特別モーション掛けてくることは無いんだし。いい機会じゃない」
「はぁ。でも何か悪い気がして・・・」
「あんた、それは思わせぶりって言うんだよ。小悪魔って言うんだよ」
「そんな」
栄子の強い口調に少し引く樹里。
「栄子、大丈夫?」
由美が空気を読んで言うと、
「何がさ。酔ってないよ」
口を尖らせて由美を見る栄子。
「コータに関してもそうだよ」
「航太郎さんが?」
困惑する樹里。
「ジュリは悪気も計算も思わせぶりも無いことを私は知っているの」
「・・・」
「あんたは要するに天然というか無防備というか無邪気と言うか・・・いい子なんだよ、スゴクいい子。だけど男はそうに捉えてくれないもんだよ」
「・・・ハイ」
「今回だって夜の十時に女の子一人の部屋に男を呼び出して、何も無かったのは専務だからだったんだよ。これが一郎君なら・・・ねぇ?」
「何で急に俺なんだよっ」
クスクス笑う由美。
「自分だって俺一人の部屋に泊まりに来たじゃねぇか」
「あれは由美に灸を据える作戦だったんだよ。見事成功したじゃん」
「?」
何のことだか分からない樹里。
「まぁノミオも女の子に関してはなぁ・・・」
一郎が話題を則男に振ろうとすると、
「安藤一等兵が人のこと言えるかいな」
とニヤ付く栄子。
「何だよ」
「ジュリ、一郎君ね、由美と一緒になるのに大変だったんだから。結婚してからもさ、由美と大喧嘩して私に泣きついて、それで慰めに行ってやったんだよ、東京から!」
「え~、そうだったんですかぁ?」
「そんな大昔のこと引っ張ってくるなよっ。勝手に来たんだろうが」
「勝手には無いでしょ、恩知らず」
言い合いをする一郎と栄子。横で由美が笑っている。
しかしこれも栄子の計算だった。樹里に戒めの意味で伝えたいことは伝えた。その嫌な空気を打破するために一郎をダシに使ったのだった。
「当のエイちゃんは? 本多先輩とはどうなんだよっ」
一郎に気付かれたと思う栄子。
「うあっ、こっちに火の粉が来ちゃったよー」
と、しかめっ面をして、
「ハイハイ。相変わらず平行線ですっ。以上!」
と栄子が言うと、
「・・・」
三人とも黙り込んでしまった。
「え? 何静かになってんの?」
キョロキョロと三人に目配せをする栄子。
「頑張れよエイちゃん。口止めされているんで俺は何も言えない」
真面目に励ます一郎に、
「うん・・・。やるだけやってみるよ。破局しても草津には残るからね」
力なく微笑み返す栄子。
厨房では夕食の片付けの最中だ。
お膳を下げる樹里と布団敷きに駆け回る則男が廊下ですれ違った。樹里は黙って会釈をしただけ。あれから一週間ほど過ぎたが、栄子からの言いつけを樹里は守っていたのだ。
「・・・」
その樹里を立ち止まり則男が見つめていた。
「若旦那、じゃま!」
後ろから優子が声を上げる。
「あ、ハイ」
体を反らす則男に優子が目を細めて、
「若旦那、何か最近ポ~ってしてない? 大丈夫?」
と問いかけた。
「そうですか? いつもポーとしてますから、ハハ」
「いや、いつものポ~よりもポ~~って感じだよ」
「了解です。シャキッとします!」
ピッと気を付けする則男。
洗い物をする栄子に、
「あと二膳だけです」
と、お膳の皿を分けながら生ゴミを捨てる樹里。
「あいよ~」
と手馴れた手つきで食器を次々に洗う栄子。
「これで終わり~」
優子が最後のお膳を二段重ねて置いた。
「雅美ちゃん、この山を持っていって」
と栄子の前に積まれた洗い終わった皿を指す優子。
「は~い」
小走りに雅美がやってきて皿を持っていく。
声を掛け合いながら絶妙なテンポで片付けをこなす仲井たちのチームワークは既に完成の域に達していた。智恵子もそれをチラッと覗いては満足そうに消えていく。
焼き台を分解してタワシで網をゴシゴシと洗っている航太郎。
その後ろを樹里が通った時、
「あ、樹里ちゃんちょっと」
と呼び止める航太郎。
「はい?」
「明日、樹里ちゃん休みだよね」
「そうですけど」
「俺、明日昼間に軽井沢に買い物の用事があって行くんだけど、一緒に行くかい? アウトレットモールなんだけどさ」
「あ、でも・・・」
その様子を洗い終わった栄子が手を拭きながら注視している。
「一人で行ってもいいんだけどさ、どうせ行くなら乗っかって行っちゃえば、色々と樹里ちゃんも用が足りるでしょ?」
「ええ・・・」
「こないだ夏用の布団カバーが欲しいって言ってたじゃん。何でもあるよ」
車が無い樹里にとっては、こうやって航太郎が連れて行ってくれることは実際にありがたかった。しかし前に栄子に言われたことを思い出して躊躇していた。こうして着いて行くことが結果的に航太郎をも傷付けてしまうことになるのだろうかと。
「・・・」
「どうしたの? まぁいいや、行ける様なら朝十時までに連絡ちょうだい」
「ハイ。ありがとうございます」
横目にその二人を見ながら栄子は思った。
(うまいなコータ。こんな風に誘われたら確かに断れないよなぁ。実際に助かるもんね。買い物の大きな荷物持ってバスで移動は無いしなぁ・・・)
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