第8話 決死のゴールデンウィーク

 四月も末になると樹里たちは仕事の要領を得て、邂逅屋の戦力となって奮闘していた。ベテラン仲居三人は念願の援軍投入に喜んでいる。則男も今回の仲居さんたちは大当たりだと気持ちも高まっていた。


 この日も樹里たち仲居が中抜けをした時間に、各客室の掃除を始める則男。三階から始めて下へと降りていくのが通常であった。掃除機を持って奥にある榛名の間の扉を開けると、

「わっ!」

 と思わず声を上げた。

「あ、専務。お疲れ様です」

 樹里がいたのだ。椅子に乗って、塗装屋が使うような刷毛を右手に握っていた。

「ジュリちゃん、何してるの?!」

 樹里はトンッと椅子から飛び降りると、

「埃落としていました」

 と言った。

「え?」

「邂逅屋さんのお部屋はスゴイですよ。見てください、この欄間の装飾」

 と鴨居の上の欄間を指差す樹里。

 そこには松と竹をあしらった見事な彫刻欄間が据えられていた。

「茶室レベルですよ。あと青葉の間の鶴と亀もスゴイですよねぇ」

「あぁ・・・そうだね」

 これまで則男は欄間をそれほど注意して見たことは無かった。当たり前のようにその下を出入りしていた。

「私ずっと欄間の埃が気になっていたんです。専務が掃除に入る前に埃を全部落としちゃえば、後は普通に専務が掃除してくれると思ったんです」

 とイタズラに笑みを浮かべて言う樹里。

「そうだったんだぁ」

 目を丸くする則男。

「ごめんなさい。私も掃除します」

 頭を下げる樹里。

「いいよ、いいよ。じゃあ俺が掃除するから樹里ちゃんは欄間の埃を全部落としちゃって!」

「分かりました、全部やっちゃいます!」

 と樹里は作業の続きに入った。


 智恵子が二階の廊下の生け花を繕っていると、近くの駒草の間から何やら話し声が聞こえる。

 不審に思い、その扉を開ける智恵子。

「何しているの、あなたたち」

「あっ」

「女将さん」

 掃除をしている二人が智恵子を見た。

「一ノ瀬さん、あなた休憩時間でしょ?」

「ハイ・・・」

 固まってしまう樹里。

「お母さん、ジュリちゃんが欄間の埃に気がついて全部キレイに落としてくれていたんだよ。もうすぐゴールデンウィークだしね」

 と樹里を庇う則男だが、

「ノリちゃんは黙っていなさい。一ノ瀬さん、あなた時間外に仕事をしても手当てはありませんからね。今、監督署は労働時間にうるさいんだから」

 冷たく言い放つ智恵子。

「そんなつもりじゃ・・・」

 ますます固まる樹里。

「その言い方はないだろ。良かれと思って自主的にやってくれたんだよ」

 智恵子に正当なことを返す則男。

「ノリちゃんは黙っていなさい。まるでうちの掃除が行き届いていないみたいな行動ですね、一ノ瀬さん」

「・・・」

 黙ってしまう樹里。

「行き届いていないから樹里ちゃんが気が付いたんじゃないか」

「ノリちゃん、自分の馬鹿を曝すようなことを言うんじゃないの!」

「もう曝しているよ」

「何を言ってるの? だから従業員に舐められるのよ。しっかりしなさい」

「・・・」

 それを言われると則男も反論できなかった。

「あなた、武井君と二人で早々にドライブしていたんだって言うじゃないの。武井君はちょっと女に癖の悪い子なのよ。あなたの品格を疑います」

 則男がピクッと反応した。

「そんな理由じゃありません。航太郎さんは私がカーテンを買うのに短い時間で隣町まで連れて行ってくれただけです」

 必死に反論する樹里。

「そうやって引っ掛けるのよ。それにもう名前で呼び合う仲なの?」

「それは、」

「言い訳はもういいです。うちは仲居も品格を持って行動してもらわないと困るんです。外に出てもうちの看板を背負っている自覚を持って下さい」

「すみません・・・」

 反論をするのを止めた樹里。

 則男も航太郎とのことは歓迎会も含めフォロー出来なかった。

「早いうちに言おうと思っていました。あなたと佐山さんの接客についてもです。うちは伝統のある邂逅屋旅館です。どこかのホステスみたいな接客はうちの品格も下げます。それも含めて気を付けて下さいね」

「すみませんでした・・・」

 頭を下げたままの樹里。

 スタスタと部屋を出て行く智恵子。

「・・・」

 まだ無言で頭を下げたままの樹里。

「ジュリちゃん、ごめんね・・・」

 困った顔をしてボソリという則男。

「・・・」

「ジュリちゃん・・・!」

 則男がその樹里の顔を下から覗き込むと、

「さぁ! あと少しだから終わらせちゃいましょう!」

 とニコッと満面の笑みで言う樹里。

「は?」

「あと一部屋ですよっ。これで私がスッキリするんですっ」

 と再び椅子に乗る樹里。

「よし、やっちゃおう!」

 掃除機のスイッチを入れる則男。樹里の不思議な魅力にますます吸い寄せられて行くのだった。


 どこの観光地も一年で一番の書入れ時はゴールデンウィークだろう。ここ草津温泉も例に漏れずだ。今年は四月二八日から三〇日までの三連休、そして五月三日から六日までの四連休と二つの山がある。どこの宿泊施設も満室となり、どこの飲食店も満席となり、どこの駐車場も満車となる。つまり町のキャパ以上に客が押し寄せて来るのである。サービス業はまさに戦場のような状態となり、四連休の真ん中である四日、五日がピークとなる。またどこのサービス業も人手が足りなくなり、遠くの身内を呼び寄せてバイトを頼んだり、知り合いと言う知り合いに声を掛けたりと人材の確保が重要となり、猫の手を借りても足りない大騒ぎとなる。


 そんな大型連休最大のピークである五月四日。夕食の準備に追われる邂逅屋では厨房で怒号が響き渡っていた。

「コータ! ピッチ上げろ! 焼き台からも目を離すなよ!」

「優子、もうこれ出せるぞ! 早く持ってけ!」

「ジュリ! おひたし四つ持って行ってないぞ! どこのだ?!」

「雅美! 下げた皿ここに置くな! つまづくだろ!」

「向井! 天ぷら火が付くぞ! 早く移せ!」

 板長の香川が怒鳴りまくる。こんな時、厨房の動きは全て香川が仕切る。口は悪いが的確な指示を飛ばす。


「専務、このお蕎麦は石楠花の間、子供二人分ね!」

「宮崎さん、白根は一つ海老抜きのやつがそうだから!」

「斉藤さん、妙義の間に一人アレルギーがいるから茶碗蒸しが無いの。代わりにこの小鉢を付けて!」

「雅美ちゃん、このお誕生日ケーキは青葉ね。〝ともや君〟って言ってあげてね!」

 栄子はいつしか香川の下、従業員達を使う立場になっていた。間違ってはいけない細かい気配り担当のような形だ。


「このたびは当館をご利用くださり、まことにありがとうございます。草津の湯はいかがでしたか? 当館はそこ湯畑からの源泉を引湯してございまして、泉質は草津温泉の中でも特に良いと言われております。少々お熱くありませんでしたか? 一番効能の良い入浴法がありまして・・・」

 智恵子は『動』の裏方に対して『静』の旅館の顔担当だ。各部屋に挨拶と食事、湯の説明をして回っていた。昨今では女将の接待を抜きにした営業が増えているが、邂逅屋では温泉宿の伝統を重んじ、智恵子が自らそれを継承していた。


「向井君、生ゴミもういっぱいだから外に出して!」

「小皿はどんどんここに浸けちゃっていいからね!」

「大皿はまとめてあっちに重ねて!」

「安藤商店が追加のジュース持ってくるから、一緒にあの空ケース持っていってもらって!」

 一方震源地の厨房では手の早い優子と栄子のコンビがジャバジャバと皿を洗っていた。前掛けだけでは足らず、着物に跳ねが飛ぶので男性物の安いビニル製のレインコートをハサミで切って改造したものを羽織って洗う二人。ここ邂逅屋オリジナルの皿洗い着である。


「伊藤さん、バイトに浅間から布団敷けるって伝えて!」

「お客さんいたらバッタンバッタンやるなよ!」

「座卓を移動する時、上にジュースがあったりするから気をつけて!」

 客が食事を済ませたのを見計らって則男と伊藤が担当の布団敷きが始まる。邂逅屋では食事を部屋出ししているので、布団を敷く時は大抵客が部屋にいる。客に失礼の無いようにバイトに言って聞かせる二人。



 ひと段落着いて詰所で休憩をする仲居たち。

 あまりの疲れように一人として言葉を発しない。

「あと一日、明日でこの騒ぎは終わるから頑張ろうね!」

 皆を元気付けるように励ます優子。

「優子さんタフだなぁ。さすがに私もヤバイよ、もう」

 栄子が缶ビールを片手にボヤく。

 普段は九時には帰れるものが、気が付いたら十時を過ぎていた。

「私だってもうMAXよ。ここで今寝られる」

 と笑いながら着替え始める優子。

「私、風呂もらって帰ろ」

 栄子が言うと、

「私もそうしよ」

 と樹里が言う。



 浴室はこの規模の旅館ではホテルクラスの大浴場とは言えず、中浴場といったところだ。鉄平石で床と腰壁が張り巡らされてあり、湯船は運べるほどの岩を寄せ集めて組んだ岩風呂となっている。

 さすがに大型連休だけあってこの時間もそこそこに客がいた。食事前の一風呂と、今の時間は寝る前の一風呂だろう。


 湯船に浸かる樹里と栄子。

「いやーこんな時に温泉があるってミラクルだよね」

「そうですね」

「草津の人間はこれが当たり前なんだよね」

「今は私たちもそうじゃないですかぁ」

「だねー。あぢぃ~」

 と言って半身だけ上がって浴槽の中の岩に腰掛ける栄子。

「栄子さんって、おっぱい大きいですね~」

 目を丸くする樹里。

「いいでしょ。使い道なさそうだけどね・・・」

「えっ、あっ・・・でも彼氏さんが」

 ドギマギする樹里。

「アハハハ。そういう使い道はあるかもだけど、本当の使い道だよ」

 と言って湯口を見つめる栄子。

「・・・栄子さん、結婚は考えていないんですか?」

 横目に栄子を見る樹里。

「向こうがね」

「あぁ・・・」

 栄子は草津に越して来たのに、あれ以来祐介と会っていなかった。祐介からメールや電話は来るが、適当に流していた。

「ところでジュリは彼氏いるの?」

 突然尋ねる栄子。

「えぇ? いませんよぉ。いたらこんなに遠くに来ないですよ~」

「だよねぇ。ほんじゃコータのことどう思う?」

「どうって?」

「好きなの?」

「好きですよ。皆さんが言うほど悪い人には思えないけど、恋愛感情は無いです。でも気を付けないと危険かもですね」

「危険ってどっちの意味? 好きになっちゃいそうで危険ってこと?」

「違います違います。航太郎さんは押しが強過ぎて。ボーっとしてたら航太郎さんの部屋にいたみたいなことにならないように、って意味です」

 にべもなく言う樹里。

「フフフ。ジュリ、おっとりしているように見えるけど、ちゃんと人間を見ているね。感心、感心」

「そうですかぁ?」

「うん。心配ないわ」

 優しい眼差しを向ける栄子。

「もう一日、ガンバろうねっ」

「はいっ」

 樹里は栄子の裏側を少し垣間見た気がした。明るく快活な栄子が時々一人でいる時に見せる寂しげな表情の意味が分かったような気がした。


 あくる日も今日と同じような騒ぎだった。これを乗り越えれば仲居としてひとつ大きくなれる。ゴールデンウィークとはそんな意味合いも兼ねていた。そしてもうひとつ大事なことがある。それは連休を乗り越えることでチームとしての結束が深まるというものだ。厨房、仲居、帳場それぞれが独立していた感が当初はあったが、樹里は今その連帯感を感じていた。ただ一人女将の智恵子を除いてではあるが。

 怒涛の忙しさであったが、則男もまたこの連休を通して樹里に近づいた充実感を感じていた。

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