第5話 樹里

 木曜日。打ち合わせをした通り今日は一ノ瀬樹里の引越し日だ。寮と聞いていたから一軒家かアパートのような建物かと思っていたが、邂逅屋の寮とはワンルームマンションを一部屋ずつ借りたものだった。

「これが鍵です。一ノ瀬さんは三階の三〇二号室です。エレベーターがありますんで安心してください。隣の三〇一が佐山栄子さん。井上雅美さんがちょっと離れて一階の一〇三です」

 伊藤がマンションの駐車場で鍵を渡した。

「荷物は知り合いか身内の方が持ってくるのですか?」

「いえ、赤帽が来ます。それで足りちゃう量ですんで」

 と言って笑う樹里。

「じゃあ何か分からないことがあったら旅館に連絡下さいね」

「ハイ。ありがとうございました」

「少し訛りが出るんですね。可愛いですね」

 と伊藤が言うと頬を赤らめる樹里。

「じゃあ」

 去っていく伊藤に再度お辞儀をする樹里。

『ベルハイム草津』とエレベーター入口にある鉄骨造三階建てのマンション。各階部屋は三部屋で計九室。マンションというにはちょっと古びた外観で、ALCと呼ばれる外壁材に塗装で仕上げた簡素な建物だった。

「何で水色・・・」

 つぶやく樹里。

 狭いエレベーターに乗る。

「これ要らない・・・」

 つぶやく樹里。

 三〇二号室前に来た時、隣の三〇一号室のドアが勢いよく開いた。

 慌ただしく飛び出してきた女は樹里を見るなり、

「あ! 一ノ瀬樹里ちゃん!」

「え? あぁ佐山さん」

「よろしく! 栄子ね、栄子。また後でね!」

 とニコリと挨拶をして階段を駆け下りて行く栄子だった。


「わぁ、いい感じ。南面に窓がちゃんとあるっ」

 7.5畳のワンルーム。中部屋だから一つだけだが、突き当りには吐き出し窓があって狭いながらもバルコニーがあった。狭いキッチンにはIHヒーターが一つ。横には洗濯機置き場。狭いトイレ付きユニットバスは華奢な樹里には丁度いい。

 フローリングの真ん中にちょこんと座る樹里。

周りを見ながら何やら考えている。

「カーテン買って来なきゃ・・・七尺の六尺ね・・・ドラフターはここね」

 と、呟いた。しばらくすると、

〝ピンポーン〟

 ドアベルが鳴った。

「赤帽でーす」

「はーい」

 ドアを開けると赤帽の運転手が既にダンボールを一つ持って待っていた。

「ここに置いて下さい」

「分かりました」

 ドサッとダンボールを置くとすぐさま下に下りていく運転手。

 ダンボールあと三つ。

 布団一組。

 こたつ兼、作業用机。

 全自動洗濯機。

 ドラフターとイス。

 荷物は以上だ。

「これ何ですか?」

「ドラフターっていいます。図面を引く台です。重くってごめんなさい」

 板と脚と他のパーツを解体してあるドラフターを運んで来た運転手に答える樹里。



 お昼の時間だ。とりあえず周辺を散歩してみる樹里。ベージュのワンピースの上にデニム地のダウンベストを羽織って、少し肌寒い草津の春を感じていた。

 路地裏のような坂道に位置するマンション。旅館へもこの小道を伝って行き来ができるようになっていた。こんな道が樹里は好きだった。

『喫茶こもれび』

 歩いていると可愛らしい喫茶店が見つかった。

 中に入ってみる。

〝カランコロンカラーン〟

 扉に付けてあるベルが鳴った。

 小さな店舗にはカウンター三人席。四人座れるテーブル席二つ。二人座れるテーブル席一つを無理やり納めたような配置だった。

「いらっしゃいませ~」

 カウンターの向こうで品のいいママが迎えてくれた。

 カウンターに年配の男性一人、四人席にカップルの先客がいた。樹里は二人席に座った。オルゴールで懐かしいヒット曲が流れている。

「いらっしゃいませ。お一人様?」

 とコップの水を樹里の前に置くママ。

「ハイ。お一人様です」

 と笑って答える樹里。この〝お一人様〟には慣れている。その都度こうに答えていた。

「かわいらしい方ね。どちらから?」

「すぐ下の邂逅屋旅館さんで今度働く者なんです」

「え? そうなの?」

「出身は青森なんですけどね」

「まぁ、また遠いところからありがとうございます」

「いえこちらこそ、よろしくお願いします。おば様、何がお勧めですか?」

「そうねぇ、よく出るのがピザトーストと、このハンバーグ定食かな」

「わぁ美味しそう。まだお昼だからピザトーストにしようかな。あとコーヒーも下さい」

「はい。かしこまりました」

 早くもこのお店の〝おば様〟と雰囲気が気に入った樹里。

 窓からの景色を眺めていると、

「邂逅屋は大変だぞ」

 とカウンター席に一人座っていた男性が樹里に体を向けて言った。

「え? 何がですか?」

 キョトンとして聞く樹里。

「女将だよ、女将」

 すると、

「余計なこと言わないの」

 とママが返した。

「言っておいた方がいいだろ。あそこは女将がキツくてさぁ、若い仲居さんが皆辞めちゃうんだよ」

「もう! 気にしないでね、これから働くのにねぇ」

 気を遣うママ。

「あ、それは私も面接の時に感じました」

「だろ?」

「でも、そういうの割と慣れているんで大丈夫なんです。慣れているっていうのも変な話ですけどね」

 と言って微笑む樹里。

「お姉ちゃん、青森から来たってことは何か訳ありなの?」

「何を言うの竹内さんっ」

 ママがきつくなだめる。

「ハイ。訳ありです」

 微笑んで適当に返す樹里。

「だろぉ~? 俺が言うことはみんな当たっているんだ」

「初めて来たのに本当ごめんなさい。もう喋っちゃだめよ、あんた」

 ママの困惑が手に取るように分かって、

「ホント大丈夫ですよ。気を遣わないで下さい、おば様」

 と笑う樹里。


 食後はそのまま旅館に顔を出した。

「こんにちは。一ノ瀬でーす。引越しが終わりました!」

 帳場から少し覗ける事務所に向かって声を掛ける樹里。

「お? 早いね。もう済んだの?」

 伊藤が出てきた。

「ええ、洗濯機を据えただけですけど。先程はお世話様でした」

 その声を聞いて則男が出てきた。智恵子は留守のようだ。

「あ、こんにちは・・・えーと専務さん、」

 お辞儀をする樹里。

「あ、こんちは。お疲れ様です」

 と、ぶっきら棒に挨拶する則男の顔は真っ赤だった。

「せっかく来たのだから厨房に紹介しますよ」

 伊藤が樹里を案内しようとすると、

「あっ」

 と則男が声を出す。

「何?」

「何でもない。紹介してやって・・・」

 ボソッと言う則男。



「へぇ~これが旅館の厨房ですかぁ。何かドラマとかと違って生々しいと言うか、ホントにここが現場って感じですね」

 周囲を見渡しながら樹里が言う。

「面白いこと言うね。生々しいって」

 と言って笑いながら案内するのは武井航太郎だ。

「まだ親方は来てないんだ。また後で紹介するよ」

 航太郎はこの時間は私服で居た。皮のシングルライダースジャケットにヨレヨレのジーンズ。クロムハーツのネックレスがギラギラとしている。

「何か困ったことない? 大丈夫?」

 人懐こい笑顔で聞く航太郎。何かを摘み食いしている。

「あ、そうそう。近くにカーテン売っている店ありませんか?」

 思い出したように聞く樹里。

「カーテン? そうかそうか、カーテン必要だよね。部屋に入ってみないとサイズが分からないしね。それが無いんだよ、草津にはそんな店」

「え? 本当ですか?・・・どうしよう」

「あ~ん・・・。じゃ時間あるから俺が隣町のホームセンター連れて行ってやるよ。行くかい?」

「え? いいんですか?」

「あったりめーよ」

 と両手で樹里を指差し、おどけたポーズをする航太郎。

「あははは」

 思わず笑う樹里。

 その楽しそうな二人のやりとりを遠目に見ている則男。


 

 玄関に出てきた二人に

「どこ行くの?」

 と不安な顔で聞く則男。

「ちょっとドライブ」

 と、ピースサインをする航太郎。

「行って来まーす」

 と則男にバイバイする樹里。

「・・・」

 早くも思ったとおりの展開に胸が苦しくなる則男。

「若旦那、コータの奴をちゃんと監視して下さいね。ったく危ねーよ。しかし樹里ちゃん、メチャクチャ可愛いっスね。ヤバいっスね」

 伊藤が則男の横で囁いた。そういう伊藤は地元の既婚者である。

「あ、ああ・・・」

 則男はこの先に起こるであろうショックに既に身構えていた。



「何この車! カッコイイ」

「FDだよ、知らない?」

「知らな~い」

 航太郎は真紅のマツダRX7の三代目FD3S型に乗っていた。

 言わずと知れた日本が生んだ名車である。

「乗って乗って」

「すごーい。こういう車初めて乗る!」

「隣町なんか二分で着いちゃうよ」

「ホントに?!」

「んな訳ねーだろ」

「もう!」

 二人はもう打ち解けたようだ。


 ロータリーエンジンの心地よい音が響く。

 二人の乗った車は国道292号を下って隣町である長野原へ向かっていた。

「へぇ~青森から? でも標準語だね。少し訛りがあるけど」

「父親は津軽弁で母親は静岡で標準語。それが混ざった言葉かも」

「おもしろいね、そういうの」

「武井さんはどちらから?」

「あ? 航太郎でいいよ。名前で呼んで。気に入っているんだ名前」

「そうですね、いい名前ですね。で、コータローさんはどちらから?」

「俺は地元群馬。伊勢崎市ってところ。親父が板前で割烹屋していた関係で、そのまま板前になったんだけど、高校のときに死んじまってさ。店を継ぐには修行が足りなくて今の親方に付いて、その関係で草津に流れて来たわけ」

「そうだったんですか・・・。何かゴメンなさい」

「何で? 気にしないでよ」

「じゃあ、ご実家のお店は営業していないんですか?」

「今貸しているんだよ。その家賃でお袋は何とか生活できるんだ」

「なら良かったですね。安心しました」

「はは。ありがとね心配してくれて」

「いえ・・・」

 顔を赤らめる樹里。

「ところで樹里ちゃん、青森からダイレクトに草津に来たの?」

「いえ、その前に大学が川崎だったんですけどね」

「へぇ、大学どこ?」

「明治」

「は? エリートじゃんか」

「そんなことないですよ」

「何でまた草津に来たの? 東北にもいっぱい温泉地なんてあるじゃん」

「ハハ。同じことを面接の時に女将さんに言われました」

「分かった。訳ありな事情があるんでしょ?」

 横目にチラリと樹里を見る航太郎。

「ハハハッ。同じことをさっき喫茶店で言われました」

「そうなの?」

「みなさん思うことは同じなんですね。・・・ハイ、訳ありで来ました」

「彼氏だろ? 大失恋だろ?」

「え~? 違いますよぉ」

「ウソ? 失恋じゃなきゃこんなに遠くまで来ないよな。青森の彼氏か、川崎の彼氏と距離置くためか、失恋しか考えられないぜ」

「その彼氏から離れて下さいよぉ。訳があっても違う事情ですっ」

「いずれにせよ一人でこんな山奥まで乗り込んで来るってことは、特別な人は居ないってことだ」

「う~ん・・・」

 返答に困る樹里。

「ほんじゃ俺が彼氏に立候補していい?」

「え? 急に何ですか!」

 頬を赤らめる樹里。どうも樹里はこういったことをストレートに言われると赤くなる癖があるようだ。

「ダメなの?」

 チラッと樹里の瞳を覗き込む航太郎。

「立候補は自由ですけど・・・私は何も言えませんけど・・・」

「樹里ちゃん可愛い過ぎだよ。周りが放って置かないよ。だから早くに俺が立候補しておくから、誰か言い寄って来たら断ってね」

 人懐こい、いつもの決め顔で微笑む航太郎。

「もう・・・勘弁して下さい・・・」

 下を向いて耳まで真っ赤になる樹里。

「返事は急がないでいいから、マジ考えてよね」

「困ります。何とも言えません・・・」

「ははは。ホントに困ってるみたいだから、今はもう止めとくわ」


 このように航太郎は何の躊躇も無く女性にグイグイと迫っていく。またニコリとする少年のような笑顔に女性はついつい航太郎のペースに乗せられてしまうのだ。樹里は航太郎を悪い人とは思えないが、そのペースに乗らないように気を付けようと思った。


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