第4話 安藤夫婦と栄子

 草津温泉には旅館に酒を卸す都合上、その昔から酒屋が多い。安藤酒店もそんな老舗酒屋の一つだ。邂逅屋旅館は祖父の代から安藤酒店で酒を仕入れていた。そんな関係で交流があり、またお互いの家の長男が同級生ということもあって昔から則男は安藤商店の長男である一郎と親しかった。


 安藤一郎は優柔不断な則男と違い、生真面目で男気のある人物だ。三年前に結婚し、三歳の長女である萌と二歳の長男の蓮がいた。子育てが一番大変な時期であり、同い年である妻由美と奮闘していた。最近実家の酒屋敷地内に若夫婦のために離れの平屋を新築し、そこに住んでいた。


「いっちゃん、電話鳴ってるよ」

 キッチンで夕食の準備をしている由美が一郎に言う。

「あいよ」

 リビングで二人の子供たちとじゃれっこをしていた一郎が起き上がるとダイニングテーブルに置いてあった自分の携帯電話を取った。

 表示には『ノミオ』と出ている。

「おう、ノミオ。どした?」

 ノミオとは則男のことである。背が小さい則男は仲間内からはノミオと呼ばれていた。中学生時代からのあだ名なので、則男自身も全くそのことを気に留めていない。

『どうしたも何もないよ。いっちゃんの知り合いがうちに就職が決まったんだよ。知っていた?』

「え? 誰?」

『佐山栄子って女の子』

「は?」

『彼女から聞いていない? 由美ちゃんも友達だって言ってたよ』

「マジに~?! どういう意味? あいつ東京だろ?」

 それを聞いて一郎は由美に近づき肩をポンと叩いた。

 怪訝な顔で一郎を見る由美。

『そう。だからうちの寮に入るんだよ、来週から』

「ちょっと待って、由美に聞いてみる」

 そう言うと携帯を押さえて、

「由美、エイちゃんが草津で就職するって聞いていた?」

 と由美に聞く。

「えぇ~? 何それ? 何も聞いていないよ!」

 大きな目を更に大きくして驚く由美。

「それもノミオんち!」

「マジに~?!」

 大きな声を出す由美に何事かと娘の萌が寄って来た。その萌を抱き上げると一郎は則男と話を続けた。

「やっぱ由美も知らないって。何をするの? 仲居さん?」

『うん、そうだよ』

「ひゃ~、それは大ニュースだよ。お前大変だぞ、あいつスゴイぞ」

『え? 何が?』

「キツイんだよ、色々が。俺だって散々ミソクソに言われ続けているんだから。お前なんてどっちが雇い主か分からないことになるぞ」

 と言って笑う一郎。

『そうなの? 強い女なんだ』

「強いぜ~。だけどスゴク情が厚くていい奴だけどな」

『ふ~ん、そうなんだ・・・。まぁそんな情報さ。あらかじめ聞いておいて良かったわ』


 その話は安藤家では寝耳に水だったようで、食卓はその話題一色になった。東京での会社員時代からの親友である栄子が何も言わなかったことに多少ショックを隠せない由美。

「だって栄子は先月に来たばっかりでしょ? そんな素振り微塵も見せなかったよね? 蓮君、こぼすよっ」

 オムライスを食べる蓮がスプーンに乗せ過ぎなのを注意しながら由美が言った。

「何か企んで誰にも言わずに来たんだろ。本多先輩には言ってあるのかな? サプライズとか言って突然登場みたいな」

 本多先輩とは一郎の二歳年上の野球部時代の先輩である本多祐介だ。栄子と交際していて草津町役場に勤めている。遠距離恋愛ではあるが、月に二、三回は会っているようだ。

「言わないわけないでしょ」

「いや、分からないよ。俺達にだって言っていないんだから」

「もう、何考えているんだか・・・」

 宙を仰ぐ由美。

「あっ、蓮!」

 スプーンから見事にオムライスを床に落とす蓮に一郎が叫ぶ。

「あ~あ」

 笑いながら萌がそれを見ている。

「ったくもう」

 ティッシュを取って拾い集める一郎。

「ありがと、いっちゃん・・・。それでもこれを知った以上、栄子に電話してみた方がいいのかな」

 拾い集めたティッシュをゴミ箱に棄てると、

「いや、来週に引っ越してくるっていうからエイちゃんがどう出るか放っておいてみようよ。そうすれば何でこんなことしたのか意味が分かるよ」

 と、一郎が椅子に座りながら言った。

「う~ん・・・」

 考え込んでいる由美。

「あっ! 蓮君!」

 また落とす蓮に苦笑いをする由美。


 次の週の水曜日。午後八時過ぎ。

〝ピンポーン〟安藤家のドアフォンが鳴った。

「はぁ~い」

 由美がリビングのモニターを覗くとそこに栄子の姿があった。


「ハァ~」

 風呂から上がった一郎がバスタオルで頭を拭きながらTシャツとパンツ一丁でリビングのドアを開けると、

「うおっ?! エイちゃん!」

 リビングのソファーに栄子が寛いで座っていた。その膝の上には萌が座っている。萌は物心付いた時からいるこの変なお姉さんに懐いている。

「はいよ」

 由美が冷蔵庫から缶ビールを出して栄子の前にコンッと置いた。

「サンキュ」

 栄子はプシュッとそれを空けて一口飲むと、

「安藤一等兵、私今日から草津町民になりました! よろしく!」

 とビールを持った手を上げた。

「は? どういうことだよ?」

「ってか、ズボン履いて来いよ。レディの前だよ」

 眉をしかめる栄子。


「由美、髪バッサリ切ったんだねぇ。似合っているよ」

 とビールを飲む栄子。

 由美は先月までブラウンのロングヘアーだった。これまでずっと自分の信念で髪は切らなかったが、育児の邪魔にも限界が来てついにショートカットにした。そのついでに黒く染め直したのだった。一郎はロングヘアーが好きだった為ちょっと不満だ。それでもモデルのような容姿は相変わらず美しかった。

「そんなのどうでもいいよ。ちゃんと説明して」

 少しムッとして由美が言った。

「あんた怒っているの? 歓迎会じゃないの?」

「当たり前でしょ。突然夜に現れて〝今日から草津に住みます〟なんて言われたって〝あ、そうですか〟なんてならないわよ。ましてや私達は他人じゃないんだし一言くらい事前にあるでしょ?」

 萌とじゃれる栄子の前に仁王立ちして由美が言った。

「そんな、大したことじゃないじゃん。別にあんたんちに迷惑掛ける訳じゃないんだし。怒っているならゴメンね」

 ヘラヘラと笑いながら言う栄子。

 その時、黒のジャージを履いた一郎がリビングに入ってきて、

「で、どんな事情があってこんなことになったの?」

 と栄子を見下ろして問いかけた。

「まぁ色々私なりに考えての行動って訳だよ」

 上目遣いに一郎と由美を交互に見る栄子。

「本多先輩か?」

 真っ直ぐに栄子を見て聞く一郎。

「まぁ、色々ね」

 目を逸らす栄子。

「由美、俺達も一本飲もうよ」

 と言ってソファーに腰を掛ける一郎。蓮はすでに隣の和室で寝ていた。


「私達はまだしも、どうして本多さんにも言わないのよ」

 長い足を組み直して由美が言った。

 栄子は本多にも草津で働くことを告げていなかった。

「・・・」

 何も答えない栄子に、

「でも、電話はマメにしていたんだろ?」

 と一郎が聞く。

「そりゃしていたわよ・・・。私もう二十八でしょ? 祐ちゃんと付き合って三年にもなってさぁ・・・。分かるでしょ?」

 いつになく真面目な表情でボソリと言う栄子。

「そうか・・・。そうだよね」

 由美も俯いてボソリと言う。

「何か事情があるのかなぁ」

 一郎もボソリと言う。

「あの人にとって私は結婚する相手とは別なのかなぁって最近思い始めちゃったら、何か居ても立ってもいられなくなって、こんなことして確かめたくなっちゃったの・・・」

 抱っこしている萌の頭を撫でながら話す栄子。知らないうちに萌も眠っていた。タオルケットを栄子に渡す由美。

「さすが隊長、思い切りがいいよね」

 一郎は栄子を〝隊長〟と呼び、栄子は一郎を〝安藤一等兵〟と呼ぶことがある。意味はそのままである。

「一郎君、最近祐ちゃんに会った?」

「う~ん。あ、消防の辞令交付の時にちょっと話したかな。そん時に〝エイちゃんとはどうですか?〟って聞いたけど〝相変わらずだよ〟って答えただけだよ」

「うん。まぁ相変らずなんだけどさぁ・・・」

 チビリとビールを飲む栄子。

「そうか・・・そんな事情があったんだね。何かゴメンね栄子」

 由美が栄子に視線を送って呟いた。

「いいんだよ。私が非常識なのは承知しているから。でもこれを由美たちに言ってしまったら、祐ちゃんに伝わっちゃうかもと思って言えなかったんだぁ。ゴメンね」

 ニコリと微笑む栄子。いつもの覇気が無いのを不自然に感じる一郎。

「よし、事情が分かった。エイちゃん飲みなよ。歓迎会を始めよう!」

 一郎が沈んだ空気を入れ替えるように言った。

「やったぁ」

 と栄子がバンザイをした時、栄子の携帯が鳴った。

「ヤバイ」

 表示を見る栄子の表情が曇った。本多だったからだ。

 声を殺して栄子を見る二人。

「もしもし」

「うん・・・うん・・・マジに?」

「いんじゃないの放っておけば・・・ははは」

「うん・・・私の?・・・それだけどさぁ・・・色々考えたんだぁ」

「えぇ~本腰入れられないよぉ・・・うん・・・うん・・・」

「何か宙ぶらりんでさぁ・・・うん・・・でもねぇ・・・」

「そうかぁ?・・・うん・・・草津もありかなぁなんて・・・」

 ピクリとする一郎と由美。

「どうしてぇ?・・・困るの?・・・うん・・・うん・・・」

「それって言い訳?・・・だってぇ・・・それは関係ないじゃん・・・」

「え~~・・・やだよぉ・・・う~ん・・・う~ん・・・」

「はいよ、分かったとりあえず・・・でもデカイ動きはあるよ・・・」

「覚悟して・・・はははは・・・じゃね、はいよー」

 ピッと携帯を切り、フーとため息をつく栄子。

「それとなく話している感じに聞こえたけど・・・」

 由美が心配そうに言うと、

「何となく分かるでしょ? のらりくらり感が」

 うつろな表情をする栄子。続けて、

「早く就職しろって言うんだけどさ、まともに働く気合を入れられないじゃん、今の状態では。苦労していい所に就職できても、もし結婚ってなったら速攻辞めなきゃじゃん。だから草津で簡単な仕事って言うと、祐ちゃんは乗り気じゃないんだよねぇ。もう来ちゃったけど・・・」

 残りのビールを一気に飲み干してボヤく栄子。

「う~ん。困ったな・・・。ホントに来ちゃったんだよね」

 ゴクリとビールを飲む一郎。

「遅くとも明日には言わなきゃだよね」

 由美も困った顔をする。

「うん。でも怒るだろうなぁ。怒ると怖いんだよねぇアイツ」

「本多先輩は超硬派だし、常に気合い入っているからねぇ。逆に俺が知っていたことがバレたら怒鳴られそうで怖いよ」

「大丈夫、安藤家のことは言わないから心配しないで」

「ってか、安藤家が知らなかった訳が無いって思うだろ?」

 薄ら笑いをする一郎。

「そうかもね! 一郎君ブッ飛ばされるよっ」

 目を丸くして脅す栄子。

「いいよ、私達はどうでも。それより栄子は大変だね、明日から・・・」

 苦笑いを浮かべて由美が言った。

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