34.5 退学
その一室のドアが乱暴に開かれ、甲高い声が響いた。
「貴方! 姫香の行方が知れないって本当なの?」
広い室内にいたのは二人。
贅沢な椅子でどっしりと構えているのは天神家現当主――
その後ろには老齢の筆頭執事、白山が泰然と直立していた。
「姫香はっ!? 姫香は無事なの!?」
晴臣の妻、
「……加代子。落ち着きなさい」
晴臣が優しくなだめる中、白山は椅子の一つを加代子のそばに運ぶ。
加代子が腰を下ろすと、晴臣は執事に説明役を振った。
「白山くん」
「はい。――お嬢様は当日、ご趣味の小説執筆に励みたいから、と申されておりました」
「部屋で書くのでしょう? それがなぜ行方不明になるのです?」
白山に対する加代子の口調は、咎めるようだった。まだ興奮が冷めていないらしい。このまま喋らせたら機嫌を損ねてしまうだろう。
晴臣は咳払いをして、口を開く。
「昨日の朝、姫香は屋敷からこっそり抜け出したようだ。セキュリティの穴を見事に突いていたよ」
「こっそり? 穴? 話が見えないわ」
「執筆というのは嘘で、実は内緒で出かけていたというわけだ」
「誰の仕業なの?」
「加代子。まずは話を聞きなさい。……少なくとも姫香が屋敷を出たのは自分の意思だ。誰か親しい人物と約束を交わしていたのだと思う。一昨日、土曜日は確か学校に行っていたな」
「学校関係者が怪しいと?」
このまま答えたいところだったが、晴臣自身も状況を知ったばかりで詳しいことは知らない。「白山くん」再び命じつつ、アイコンタクトで詫びを入れる。
主の配慮に気付かないほど鈍感な執事ではない。滅相も無いと聞こえてくるような、角度は浅いが見事な会釈にて感謝を示した。
「はい。姫香様は最近文芸同好会に所属され、ご友人と日々楽しく過ごされていたようです。執筆の影響もそのためかと。土曜日も同好会の活動だったとうかがっております」
「ならメンバーをリストアップして一人ずつヒアリングしましょう」
加代子の提案は至極全うなものだった。
この両親も、執事も、姫香がこっそり家を出るなどという真似を犯した記憶など持っていない。初めての無断外出に加え、最近文芸同好会に所属しているとなると、そこに原因があると見るのは自然だ。
しかし、晴臣は即座に否定する。
「その必要はない」
「……なぜ?」
「この件は
「どうして!?」
がたっと加代子が立ち上がる。
「ただごとではないからだ」
晴臣は腰掛けたまま妻を見上げ、淡々と告げていく。
「天神家の娘が狙われたのだぞ? にもかかわらず、まだ犯人も、姫香自身も見つかっていない。どう考えてもただ者ではない」
「主がそんな弱気でどうするのよ!?」
「弱気ではない。捜索は続けている。ただいたずらに混乱を広げたくないだけだ」
「……うっ、うぅ…………」
加代子がその場に泣き崩れる。晴臣は立ち上がり、妻の背中を優しくさすった。
目に涙が溜まっているのを見て、拭いてやろうと考えたところで、白山がハンカチを差し出してくる。それを受け取り、妻の涙を
「お前は仕事があるだろう? もう行きなさい。姫香はきっと無事だ。必ず見つけ出す」
加代子を励まして、部屋から出てもらうのに数分を要した。
彼女の背中が遠ざかったことを確認した後で、
「旦那様。いかがなさいますか?」
「……様子見だ。今は首を突っ込むな。足下をすくわれかねん」
「かしこまりました」
白山は当主の弱音を聞き流し、
特に用事は無く、いつもならそばで待機しているのだが、一人になりたいという主の心理を汲み取ったのだ。
部屋に戻った晴臣は椅子に腰掛け、頭を抱えた。
晴臣には一つだけ心当たりがあった。
――
二階堂
何十人と存在する血縁関係のうち、唯一彼と行動を共にしていた少女。
彼女の父親――王介という人物は良い意味でも、悪い意味でも何にもとらわれない。
常識にも、偏見にも、ルールにも、法律にも、人の感情にさえも。
ただただ己の目標を満たすために効率化し、最適化し、無慈悲に猛進する、正真正銘の化け物だ。
だからこそ、誰も彼のそばに居ることができなかった。いたとしても一時でしかなく、妻という肩書きの女は出会う度に変わっていた。
そんな中、麻衣だけはそばにいた。
――あの娘は、父親の本質を受け継いでいるのではないか。
ただ受け継いでるだけなら何も問題はない。そんな欠陥を持つ人間は何人もいる。
しかし、彼女は違った。
幼い頃から姫香と過ごし、好敵手として競ってきた。あらゆる才に恵まれ、天神家随一の傑物になれる素質があった姫香と。
まるで王介と同じだ。
王介が数え切れないほど肩書きを持ち、芸能界の王として君臨できるほど規格外であったのは、その優秀な能力と、それを百パーセント発揮できる欠陥の二つが揃っていたから。
前者があれば、欠陥は欠陥ではなくなる。どころかブースターとなる。
晴臣は恐ろしかった。
世界に名を轟かせる天神家。それを支えてきた自分でさえも敵わないと痛感した王様。
あんな存在が、もう一人生まれるかもしれない、と。
消した方がいいのではないかとさえ考えた。
しかし、そんなことも既に王介にはお見通しで。
――晴臣くん。麻衣の邪魔はしないであげてね。
――彼女は私を楽しませてくれる存在になり得る。貴重な芽を潰されちゃったら、こういうの親馬鹿っていうのかな、私も報復するかもしれないねえ。
嫌でも思い出す台詞。晴臣が抱える数少ない屈辱でもあった。
晴臣は王介に弱みを握られていた。それは決して明るみに出してはならないものだった。
そして王介が容赦の無い人間であることもよくわかっている。
「だが、今なら……」
王介はもう死んだ。もはや何も恐れることはない、はずなのだが。
「……」
あの王介が亡くなったこと自体がそもそも信じられない。
しかも原因不明の不審死である。
王介だけじゃない。
彼と共演していた女優もそうだし、美山高校にも被害者が集中していて、今は愛娘も――
どうにも臭う。
これらの事件が全くの無関係とは思えないし、何なら一連の犯人は彼女ではないかとさえ思えてくる。
「一体何が起こっている……?」
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