9 最初のターゲット

 麻衣が脅して入手したノートパソコンでは、ブラウザで出席管理システムが開かれていた。

 画面上部にはクラス毎にタブが並び、クリックしたクラスの生徒全員が下部に一覧表示される。

 今は直近一週間の出席状況が表示されているが、月単位にも切り替えられるようだ。


「だーりん。賭けは覚えてるよね?」

「覚えてません」

「けち」


 ぶーぶー言いながら太ももをつんつんしてくる麻衣に代わり、僕はマウスを掴む。

 デスクトップの左側に出席管理システム、右側にメモ帳を配置。出席状況を見ていき、本日欠席あるいは遅刻だった生徒を探す。見つけたらメモ帳にコピペ。

 ちょっかいを出してくる麻衣をあしらいながら、そんな単調作業を繰り返して。


「こんなもんか」


 メモ帳には八行のデータが残った。ちなみに出欠データは全学年と全クラス、さらには教職員分についても漏れなく記録されていたため、これで全員分を洗い出したことになるはずだ。

 と、その時、「えい」麻衣が何か言ったかと思えば、ぱさッと。目の前に白い布きれが落ちてきた。

 それがテレポートされたものだと気付くのに数秒、そしてその布きれが何であるかを認識するのにさらに数秒。


「……麻衣さん?」

「だーりんの勝ちだからご褒美だよ」

「……」


 僕はそれを右手でつまみ、テレアームを教室前方、ゴミ箱の真上に構えてから左手を握る。

 テレポート発動。かさっとゴミ箱に入ってくれた。


「何するのさー」

「ゴミを捨てたまでだ」

「女子高生の生下着なのに?」

「ゴミじゃないか」


 僕を変態扱いするな……。

 と言いつつ、実は興味が無いわけでもない。僕が読むラブコメラノベは登場人物の変態レベルが高いことが多く、パンツを脱いだり嗅いだりするシチュエーションも珍しくない。現実のパンツはどんな手触りなんだろう、匂いなんだろう、はたまた臭いなのか、あるいは匂いなのか、と気になったことは一度や二度じゃないわけで。それを知る絶好のチャンスではあったのだ。


「全く……」


 麻衣の軽率な言動にも困ったものだが、いちいち目移りする僕も僕だ。


 麻衣は先日、僕のことを『最低限の性欲しか持っていない』と言っていたが、これが最低限なのだろうか。だとしたら彼女をつくるのに躍起になる男子達はどれほど強い欲望を持っているのか。

 麻衣がゴミ箱の前で屈む。わざわざ前屈の姿勢。短めのスカートから下着――じゃなくて生身が見えそうだったので目を逸らした。

 メモ帳に貼り付けたデータをあらためて眺める。


「教職員三人と生徒五人……」


 名前と出席状況だけではいまいちピンと来ない。一人ずつ調べるのも時間がかかるだろうし、もっと他の情報が欲しい。


「個人データも見てみようよ」

「うおっ!?」


 急に真後ろから声がして、心臓が止まりそうになった。


「こんにちわん」

「て、テレポートしたのか……?」

「うん」


 あっさり答える麻衣を、僕はたぶん信じられないものを見るような目で見ているはずだ。


 自己テレポート。

 物体ではなく自分自身をテレポートさせるということ。


 僕は怖くてまだ一度も試せていない。

 うっかり物体が存在する空間に浸食しちゃったらどうする? こちらが当たり負けすることはないから体が欠けるなんてことは起こりえないが、それでも身の安全が保証されるとは限らない。

 たとえばグラウンドの真下に自己テレポートしたとしたら。自己テレポートを繰り返してもぐらのように掘り進めることができるだろうか?

 ……違う。現実はもっと残酷で。


 ――たぶん生き埋めになる。


 テレポートした後、左手の親指が動かせるスペースはおそらく無い。スペースがなければ動かすことはできない。つまりテレポートも発動できない。

 そもそも急にグラウンドの中にテレポートしたら、土の圧力に押しつぶされてしまうのではないだろうか。いや土ほど硬質であれば人間一人分の空間がぽっかり空いたところで崩壊はしないか。

 だが水や砂だったら崩壊するだろう。潰れて即死だろうな。


 と、僕が恐ろしいリスクを想像している間、麻衣はマウスを素早く動かしていた。

 見ると、いつの間にか人数分のタブが開かれている。

 麻衣がその内の一つをクリックする。

 表示されたのは氏名、顔写真、年齢と住所、それから校内偏差値と模試の偏差値、それから性格面や対人関係に関するコメントまで……。


「これは高値で売れますぞ」


 麻衣の戯れ言はさておき、確かにザ・個人情報とも言うべき網羅度である。


「……麻衣。このページはコピーできるか?」

「プロテクトがかかってる」

「そうか。この情報が手元にあればテレポーター探しも捗るんだが……」


 住所がわかればいつでも判別しに行けるというのに。

 テレアームが届く範囲は三十メートルだから、多少離れていても判別は可能だ。たとえばベッドで寝ている間に、そいつの身体のすぐ下、ちょうどベッドの中に物体をテレポートさせれば、そいつがテレポートなのかどうかがわかる。

 テレポーターに対しては五十センチのガード範囲レンジ――テレポートを受け付けない範囲があるわけだから、テレポートされれば白、されなければ黒だ。

 無論、一人ずつ調べていては一月経っても終わらない。そんな長期戦は出来れば避けたいところだ。

 そもそも何をテレポートさせるのかという問題もある。


 ……わかってはいたが、そう簡単には殺せないものだ。


「あー、でもコピーできちゃうね」

「そうなのか?」

「うん。右クリックが禁止されてるだけみたい。キーボードで全選択からのコピーはできちゃうよ。ほら」


 麻衣が「選択」「コピー」「ウィンドウ切り替え」「ペースト」とつぶやきながら四回ほどキーを同時押しした。それだけでメモ帳に個人情報がペーストされた。


「これを繰り返せば全員分も手に入るかな。めんどくさいけど」

「全員分は後でいい。今はここに書いてる八人分が欲しい。ちょっと貸りるぞ」


 僕はチャットサービス上で『キング殺害容疑者』という部屋をつくり、麻衣にショートカットキーを教えてもらいつつ、八人分のデータをコピーした。

 表形式のデータが無理矢理テキスト形式になるため若干見づらいが致し方あるまい。


「まずは二階堂王介を殺した犯人を探したい。この八人の中にいるはずだ。麻衣も頼んだ」


 麻衣にパソコンを譲り、僕はスマホで見ることにする。

 画面が小さいと見づらいな……。


 ふと麻衣の様子をうかがうと、検索サイトを開いて何かを打ち込んでいた。

 星野、めぐみ……? ああ、容疑者の一人か。

 麻衣は検索結果の一件目を迷うことなくクリック。

 開かれたのは――星野めぐみオフィシャルサイト。


「だーりん。たぶんビンゴ」

「星野めぐみ? アイドルか何かか?」

「えっ? 知らないのだーりん!?」


 そう大げさにリアクションされるとイラっとするな。


「女優の星野めぐみ。うちに通ってるんだよー。てか同じクラス」

「……知らなかったな」

「だーりんはいつも何を見てんの?」

「ラノベ」

「そんなだーりんも好き」

「はいはい」


 さりげなくハグしてくる麻衣を無視して、僕は記憶を辿る。

 星野めぐみ……そんな奴がいたのか。JK女優となれば確かに校内では有名そうだが、それすら知らないとは。

 そんな自分が僕は嫌いではない。


「ほら、だーりん」


 麻衣がディスプレイを指差す。星野めぐみのツブヤイターアカウントだ。一番上のツブヤキは『早朝から撮影中です! わきあいあいとしてます!』で画像付き。キャストと思しきメンバーが笑顔を浮かべていて、しかしその中でオーラを放つ人物が一人――二階堂王介にかいどうおうすけだ。


「確かに当たりっぽいな」


 改めて星野めぐみの出席状況を表示する。始業式から今日まで三日連続で欠席している。ツブヤキを見ても、撮影に集中しているのは明らかだった。

 そうとわかれば話は早い。


「麻衣。星野めぐみにDM《ダイレクトメッセージ》を送るぞ。二日前、麻衣が僕を呼び出したのと同じように、黒い腕というキーワードを使おう。麻衣が本物なら返事が来るはずだ」


 僕は自信を持って提案したのだが、


「そうかなぁ?」

「何かおかしいか?」

「少なくとも二点ね。まずDMをめぐみん本人が見るとは限らないこと。それから仮にめぐみんが黒だったとして、返事を出してくる保証はないってこと」

「……なるほどな。前者については最悪他のスタッフが見たところでただのいたずらにしか思われないにしても、後者はまずいな。警戒されて、もし逃げられでもしたら仕留めづらくなる」

「そーそー。まずはめぐみんの人となりを把握しないとねー。わたしだってだーりんなら素直に応じてくれるとわかってたから手紙を出したのさー」


 麻衣はなんだかんだ頭が切れる。というより僕が愚かすぎるだけか。


「でも、だーりんのアイデアでいいと思う」


 星野めぐみアカウントのDMページを開く麻衣。


「めぐみんは忙しいし、こんなことがあった後だから学校に来るとも限らない。様子を見るために、あえて投げてみるのもアリだと思う」

「うーん……」


 麻衣の一言一言に揺れる僕がいる。

 ちくりと劣等感が胸を刺す。


「ちょっと待ってくれ。状況を整理する」


 僕は新たにメモ帳を立ち上げ、直近の状況、ゴール、必要なアクションなどを書いてみることにした。


 僕は凡庸な人間だ。

 彩音、姫香や麻衣のように優秀な能力は何一つない。

 そのことを早くからわかっていたからこそ空想フィクションに逃げて、逃げ続けて、そんな人生でいいと妥協してきたのだ。


 けれど僕は地道で真面目だという自負もある。

 出来ない奴には、出来ない奴なりのやり方がある。


 今だってそうだ。

 明示的に書くということ。

 色んな事を頭の中で処理するほど僕は器用じゃない。だから面倒くさくても外に出す。外に出せば形になる。形になれば見える。見えればわかるし、追える。


 僕はしばし思考の出力ダンプに集中し、やがて一つの結論を出した。


「次の行動についてだが……ってあれ、麻衣?」

「ここだよ、ここ」


 真上から声がする。麻衣が背後に立って僕を見下ろしているようだ。


「何してんだ」

「だーりんの頭皮を嗅いでた」

「本当に何してんだ……まあいい。聞いてくれ」


 僕はメモ帳に書いたメモを見せながら説明する。




 めぐみはおそらくテレポーターだろう。

 もしそうなら今すぐにでも殺したい。学校にあまり来ないし、既に王介が死んでいることもあって、不審死をもう一つ増やしたところで大して怪しまれはしない。世間は騒ぐだろうが知ったことではない。

 問題はどうやって殺すか。ひとまずDMを送ってみて反応を見てもいいのだが、警戒されたら面倒くさい――




「だからそっちは保留にして、テレポーターの殺し方を先に洗い出しておきたい」


 テレポーターを発見しても終わりではない。きちんと始末して初めてクリアだ。しかしその殺し方については何もわかっていない。


「もちろんナイフで不意を突いて殺す、とかじゃないぞ。僕らは素人だ。普通の殺し方だと足が付く。だからテレポートを使って殺す。解明できないような不審死で片付けるんだ」

「そんな都合のいい方法があるかなぁ……」

「それを今から考えるんだよ」


 僕は新しくメモ帳を開き、アイデアを書き並べようとして、


「いちいちタイピングするのが面倒だな。二人で画面を覗き込むのもだるいし。何かないか。黒板は手が汚れるから……あ」


 部屋を見渡して、ちょうどいいものを発見。廊下側に放置されているのは――ホワイトボード。

 置いてあるペンで問題なく書けることを確認して、パソコンのそばまで転がす。


「なんか本格的な活動って感じがしますなぁ」

「文芸は全く関係ないけどな」


 僕と麻衣は文芸同好会に所属し、この教室で活動しているという体になっている。


「麻衣は一応会長なんだから言い訳は考えておけよ。ダミーの作品を一つくらい作っておいた方がいい」

「もう書いてるよー。わたしが主人公、だーりんがヒロインで、わたしがだーりんをいじめる話」

「なんで性別が逆転してんだよ」


 自分を女性化したキャラなんて見たくないし、いじめるって何してんだ。相変わらず頭の中が恐ろしい女である。


「とにかく今は殺し方だ。麻衣も洗い出してくれ」


 それから僕と麻衣はアイデアを出し合い、ぶつけあった。

 ホワイトボードの裏表を何度か行き来すること小一時間。


「……こんなもんだね」

「おう。サンキューな」


 殺し方リストをチャットに打ち終えた麻衣が大きく伸びをする。ブラウス越しに豊かな胸が強調されている……隠れ巨乳以前に、普通に大きいんだな。


「それじゃホテルに行こっか」


 手早く荷物を片付けた麻衣が僕の腕を引く。


「約束が違えぞ」

「むぅ。仕方ないのー」


 本当はこの後テレポート練習に精を出したかったのだが、麻衣のおねだりに根負けしてデートになった。

 麻衣の言いなりになるつもりはないが、僕が自分勝手に動きすぎるわけにもいかない。こいつの機嫌を損ねることは、内に居座る悪魔を刺激することに等しいだろうからな……。


 デートでは散々振り回され、帰ったのは午後八時。

 几帳面な僕が連絡の一つも入れなかったことで特に彩音に怪しまれ、僕は痛々しいラノベ作家志望を演じまくる羽目になった。

 部活に熱心ということで場は収まったが、僕を見る両親の目はずいぶんと変わった気がする。気持ち悪い虫を見るような、そんな目。まあ頭を抱えなかっただけ寛容と言えるだろう。

 それにどうせ僕のことなんかすぐに薄まる。一週間もすれば井堂家にとって当たり前の日常となるだろう。


 僕は今日も早めに就寝した。

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