3 引き金

 テレポーターらしき人物からの手紙に対して、何の対処法も思い浮かばないまま。

 あっという間に昼休憩になった。

 僕は弁当箱を入れた手提げかばんを持って教室を出る。

 彩音の干渉は無い。普段は僕と食べるのだが、僕にそこまで執着はしないし、僕が一人を好むことも知っている。


 チャットで指定された場所――化学準備室に到着した。

 ノックをしてみる。……反応が無い。右往左往してると目立つだろうし、入るか。

 入室すると正面に大きな薬品棚があった。回り込んでみると、ちょうど真裏に応接セットがあり、部屋の奥には立派なデスク。


「ようこそ」


 椅子には先生が座っていた。が、ばつが悪そうな顔をしているだけ。

 口を開いたのはその手前側、机に座っている女生徒だった。

 年寄りが使うような大きなメガネを付けた、僕が言うのも何だが地味そうな印象の女子、なのだが。


「待ってたよだーりん。こっちこっち」


 彼女は甘えるような声でそう呼びつつ、机から飛び降りた。

 左側のドアを開き、にぱっと親しみやすそうな笑顔を浮かべて手招きしてくる。


「さあさあ。ようこそようこそ」


 僕が思わず先生を見ると、先生は何かを言おうとして、しかし何も言わず視線だけ逸らした。……どういうこと?


「もー早くしてよー」

「うおっ!?」


 急に視界の隅がブレたかと思うと、腕を掴まれていた。同時にぶわっと風圧がやってきて、彼女が一気に間合いを詰めてきたのだと知る。

 そのまま僕は女子とは思えない力で隣室へと引き込まれた。

 乱暴にリリースされる。


「わ、った、っと」


 何とか踏ん張った。転倒したらどうしてくれるんだ?

 文句の一つでも言おうと顔を上げると――


 がちゃっ。


「……えっと、何してるの?」

「鍵を閉めたんだよう」


 後ろ手にロックした彼女がにっこりと笑う。


「これで二人きりだねっ」


 にこにこしながら僕の方へと歩み寄って……いや、駆けてきた!?

 とっさに逃げようとする僕だが、動き始めた頃には腕を掴まれており。


「あっちでお話しましょ」


 強引に引っ張られた。反動で手提げかばんが落ちてしまう。


「ちょ、待って、弁当が……」

「……もう、仕方ないなあ」


 と思ったら、あっさり手を離してくれた。

 弁当箱を取り出してみる。良かった、中身は無事だ……いや良くない。僕は全然無事じゃない。

 彼女が手紙の主っぽいことは雰囲気からわかるが、これから僕はどうなる? 食べられるんですか? 僕は美味しくないぞう?

 と内心おどけてみたところで、心臓はまだばくばくしている。


「た、食べながらで、いいかい?」

「え?」

「話があるんでしょ? 食べながらでも、構わないかな?」


 思わず呑気なことを口走ってしまう。

 いくら僕が神経質で、毎日昼ご飯をしっかり食べないと気が済まないからって、今提案することじゃないだろうに。

 だが、おかげで少しだけ気が楽になれた気がする。僕は頭の回転が速いわけでもないのだから、素で応じるしかない。なるようになる。


「いいよー。じゃあわたしも食べる。あーんしてね」

「……は?」


 拍子抜け気味に疑問を呈してみたが、彼女は部屋の隅に向かっている。

 窓側最後尾の長机が定位置のようだ。その机上は左半分が、いかにも値の張りそうなデスクトップパソコンで占められていた。

 彼女は右側の椅子を引き、座ると同時に「ほら早くー」と手招きしてきた。

 慌てて駆け寄り、僕も隣に腰掛ける。


「あーん」


 口を開く彼女。歯ブラシのCMに出演できるんじゃないかってくらいに歯並びが整っている。……ってそうじゃない。状況が全くせない。


「……えっと?」

「わたしは何も持ってきてないの。だーりんだけ食べるのはずるいでしょ? だから、あーん」


 そういうことじゃなくて。

 この人は何を企んでいるのか。そもそも彼女もテレポーターで、まわりくどいやり方で僕をここまで誘い出しておいて、で、今はあーん? ……全くもって意味がわからん。


「相変わらず真面目だなあ。そんなところも好きだけどっ。ちゅっ」

「……えっ……はあ!?」


 頬を抑える僕。柔らかくて生暖かい感触がまだ残っている。これってどう考えても――


「キスだよう。愛し合ってるんだから当然じゃないのー」

「そ、そもそも愛し合ってないけど……初対面だよね?」

「初対面!?」


 今度はいきなり叫んできた。

 何この子、ちょっと危ないのかな。いやだいぶ危ないよな。


「同じクラスの二階堂麻衣にかいどうまいだよっ! なんで覚えてないの?」


 そんな人、いたっけな。

 あいにくクラスメイトには興味が無い。クラス替えの張り紙も数秒で自分の名前を探しただけだし。


「風邪のふりをして遅れた時もばっちり目が合ったよねー?」


 演技がバレているのはこの際置いておくとして、そんな奴いたっけな……ああ、そういえば一人、失礼ながら親近感を覚えた地味女子がいたような。


「ああ、あの時の……」


 まさかテレポーターだとは夢にも思わなかった。あの時点でテレポーター……は時間的に無理だろうから、昨日の夜にでも覚醒したのだろうか。


「……」


 その彼女はというと、なぜか押し黙っている。


「……あの、二階堂、さん?」

「麻衣」

「え?」

「麻衣と呼ばないと無視します」

「そうですか」


 それなら好都合だ。

 僕は弁当箱をかぱっと開き、昼食を開始する。ご飯とおかずを交互に食べつつ、ペットボトルのお茶で喉を潤す。次は一番好きな唐揚げを――


「ぱくっ」

「ああ!? 僕の唐揚げが!?」

「無視する方が悪いんだぞう」


 そう言うと麻衣は顔を近づけてきた。少し突き出された唇から、ちょこんと咀嚼済みの唐揚げが出ている。


「さりげなく何しようとしてんの?」

「え? 半分返してあげようかと思って」

「要らない」

「わたしの唾液付きだよ?」

「マジで要らない」


 僕が何も言わなければそのまま唐揚げをねじ込まれていたんだろうか。想像してみて、あまりの生々しさにすぐにかぶりを振った。

 麻衣は「もーシャイなんだから」と片肘を付きながらも、さらにおかずをかっさらっていく。手で。

 この行儀の悪さと節操の無さもひとまず置いといて――ってなんか置いてばかりだが、まあいい、とにかく本題に切り込まなければ。


「それで――話って何?」


 僕は十中八九テレポートのことだと思っている。隣室の先生には聞かれたくもないため、ひそひそと話した。


「名前」

「……え?」

「まずは名前で呼んで。話はそれから」

「麻衣。話を聞かせてくれ」

「……つまんないの。もっとどっきりしてもいいじゃん」


 ぷくっと頬を膨らませる麻衣。

 主にメガネのせいで気付けなかったが、よく見ると中々に美少女である。彩音が美人系なら、麻衣は可愛い系。童顔で、小動物と形容できそうな、愛くるしい容姿だ。


「この能力に比べたらそんなの些細なことだろ」

「そうだね。わたしもだーりんも……テレポーターだもんね」


 露骨に能力と口にしたのが功を奏したようだ。麻衣の表情から茶目っ気が消える。

 出来ればだーりんという呼び名も何とかしたいが、今は置いておこう。


「それで、僕とコンタクトを取ろうとしたのはなぜ?」

「え? 愛してるからだよ」

「……真面目に訊いてるんだが」

「真面目に愛してるよ?」


 麻衣の両手が持ち上がり、僕の方へと伸びてくる。


 ――嫌な予感がする。


 すかさず止めようとしたが、ひょいと交わされてしまう。

 僕の顔が両手でホールドされる。同時に麻衣は僕の脚にまたがってきた。


「昨日惚れちゃったんだよ? 始業式の日に仮病を使うなんて、ただ者じゃないなって思ったの」

「なんで仮病ってわかったんだ?」

「歩き方。人にもよるけど、風邪を引いてると普段の歩き方より若干だるそうな歩き方になるの。でもだーりんの歩き方は全く変わらなかった。普段から気怠けだるそうだから風邪っぽく見えるけど、わたしはすぐにわかったよ」


 麻衣の真顔が少しずつ近づいてくる。

 彩音とは違った甘い匂いもするし、唇も艶やかだし、とこのまま受け入れたくなる魅力があった。


 綺麗なバラには棘があるという。

 なんだ、棘ならちょっと痛いだけじゃん、と容認したくもなるが、残念ながら麻衣のそれは棘どころじゃなさそうだ。

 あえて言うなら、一度でも刺さったが最期、身体を浸食され死に至るような毒針――そんなヤバさを感じる。


「一年の時から見てたの。学校一の美人と一緒にいて、なんでも幼なじみで、それでありながらちっとも意識してなくて、どきどきもしてなくて。せいぜい性欲に従って最低限反応しているだけの、そんな淡白な人間。わたしは思ったの。どちらかといえばこっち側の人間だなって」


 吐息がかかり、鼻先が触れる――麻衣と、ほぼゼロ距離で向かい合っている。

 さっきから抵抗しているが、ちっとも抜け出せない。腕は僕と同じか、あるいは僕より細くて、とても力があるようには思えないのに。

 まるで彩音みたいだ。彩音は護身術だけど、なんていうか力の使い方や加え方、逃がし方を把握していて、効率的に立ち回っているような、そんな感じだ。


 ……敵わない。


「ただ見ているだけじゃつまらないから、二年生になったら誰かと繋がろうって決めたの。そんな時にね――ギフトをもらったの」


 超能力テレポートか。

 全く厄介な奴が手に入れたものだ。おかげで平穏を目指す僕が未曾有みぞうの危機に瀕している。

 しかも勝ち目は無さそうだし。


 僕は降参のポーズを示すように両手を挙げた後、気が抜けたように降ろす。

 その後、自然な動作でポケットに突っ込みつつ、だるそうに体を背面に預けた。背もたれは無いが、麻衣に捕まっているせいか倒れることはなかった。


「これで手に入るって思ったの。脳を少しだけ破壊すれば外傷も無く殺せるから」


 観念したと捉えたのか、麻衣が舌なめずりをする。

 僕は彼女が発する言葉の意味を深く考えないようにして、しかしまだ諦めていなかった。


 ――殺すしかない。


 たった今、僕は決意した。

 仮にこの場から無事に帰れたとしても、このストーカーは確実に僕の人生を食らう。追々対処しようなどと先送りにしている場合では決してない。

 今後隙が生まれるとも限らないのだから、消せるうちに消しておくべきだ。


 僕の右手が小銭を捉えた。

 一円玉と、五百円玉か……。念のためかさの大きな五百円玉を掴む。

 一方で、左手は親指を内側に握り込む形をつくり、そして最後、腹から生えているテレアームを麻衣の――頭の中に定める。

 脳みそとおぼしき感触が届いてきた。百年の恋も冷める気持ち悪さだ。別に恋はしてないけど。


 僕は何も言わずに目を閉じた。

 麻衣の可愛い顔が醜く歪むのを見たくはなかったから。

 これで終わりだ。


 ぐっ、と左手を握り込んだ。

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