第353話 修行⑤
この修行の第一段階で学んだ相手の領域と交わらないための外壁がなくなり、祐人の領域と二人の領域は直接触れ合う。
「あぁあ!」
「ふぐぅ!」
途端に秋華と琴音の顔色が変わる。
(こ、これは、この感覚はさっき無防備の時にお兄さんの領域に感じたもの。やっぱり気持ち悪くて不愉快極まりない……!)
(気持ち悪い……嫌な感じです。こちらを全否定してくる、私という存在が消えても構わないという身勝手で理不尽な悪意のような!)
全身に不快感と恐怖、そして腹立たしさをMAXにした感情が二人に湧き上がる。
「これが殺気だよ。イラっと来るでしょう。いいかい、君たちを亡き者にしようとする連中の領域は大体こんなもんだ。よく覚えておくといいよ。そのうちに領域外からの殺気にも気づくようになるから。それと殺気の隠し方のヒントにもなる」
祐人は苦しみ悶えながらも何とか意識を保っている二人に説明する。
「ここからはこれより質の悪い相手が来た場合を教える。君たちを恨み、妬み、見下す連中だ。こういった相手に君たちの気持ちや想い、事実や真実など関係ない。そう思ったからそうしている。そういう連中だ。いくよ……」
祐人の領域の雰囲気が変わる。
不愉快であることは変わらないが、鋭さや刹那的な感触ではない。もっと陰湿でしつこく絡んでくるような感覚だ。
跳ね除けても、跳ね除けても自分を追いかけてくる。
気色が悪い。とにかく気色が悪い。
人の持つ暗部の塊だ。
しかも目を通して、肌を通しての情報ではない。一度、頭でかみ砕く時間を与えられない。領域を通しての情報は直接、脳に心に干渉してくるかのようだった。
人の持つ悪なる部分に触れると二人は吐き気がこみ上げてくる。
まるで残虐で凄惨な現場を見てしまったかのような気分の悪さ。
(これが人の持つ闇……)
(これだけの悪意を人間が持てるんですか……)
顔面蒼白になった秋華と琴音をしり目に祐人の形成する領域は天井知らずに強まっていく。
理不尽で無慈悲なそれはとにかく自分勝手に主張だけをしてくる。
心を削られて少しずつ二人の領域は弛み、祐人の領域に浸食されていく。
するとさらに気が削がれるほどの受け入れがたい圧力が心に直撃してくる。
それは言うなれば……、
正しいのはこちらだ。
お前は間違っている。
こちらの言うことを聞いてればいい。
お前は役に立たない。
いらない。
取るに足らない。
邪魔だ。
そういったあらゆるネガティブな情報が一緒くたに攻め込んでくるのだ。
二人は「違う!」と反論する。
しかし、それはまったく揺るがず、さらに強い圧力で主張してくる。
自分よりも常に上から、強制的で、何を言っても耳を貸さず、さらに否定に否定を重ねてくる。
「もうやめて!」
「こ、こんな……こんなものが」
耐えられなくなった二人は咄嗟に耳を塞ぐ。
しかし、そんなものでこれは消えない。直接、心に訴えてくる、いや、押し付けてくる。
二人の目に涙が浮かぶ。
最初はこれに抗っていた二人はその力を奪われ、無力感が己を支配していく。
すると二人は何もない真っ暗な空間に包まれる。
気づけば自分たちの前に能面のような顔をした祐人が立っていた。
「秋華さん、諦めれば? 何故、幻魔の儀を受けるんだよ。今受ければ間違いなく失敗して君は死ぬよ。暴走して終わりだ。君が何を考えていようと結果はそうなる。周囲に多大な迷惑だけをかけてね」
「……な⁉」
「琴音ちゃん、水重さんに会ってどうする気なの? 本当は分かっているでしょう。たとえ会っても何も変わらないって。何を伝えようと琴音ちゃんの言葉は水重さんには届かない。だって水重さんは君のことなんて視界にすら入っていない。言葉を交わす価値すらないんだからね」
「……!」
秋華と琴音は目を見開く。
何かを言いかける口が止まり、体が無意識に震えだす。
今あるのは絶望と無力感のみ、何も言い返せない、何も反論できない。
祐人の言うことはどこかで分かっていた。知っていた。そうなるんじゃないかと。
秋華と琴音は視点も定まらず何もない空間で力なく両膝をついた。
(そうよ……私は黄家の厄介者。身に余る才能という名の呪縛に抗うこともできず、お兄ちゃんの尊敬した文駿さんを殺したのは私。それでお兄ちゃんを威勢がいいだけのはりぼての強さにしがみつかせたのも私。すべては私のせい。だから私はせめて誰にも迷惑をかけまいと、小賢しい考えで自分の死に方に保険をかけた)
(わ、私は自分の環境を悲劇と思い、でも無力な自分ではどうしようもないと受け入れた。受け入れる以外の選択肢がないと諦めた。それで兄に傾倒した馬鹿な私。強く、揺るがず、孤高で崇高な存在に憧れたの。でも違った、それは無力な私が作り上げた幻想だった。そうすることで自分を守ろうとしただけ。可哀相な私を慰めるために)
空間の中で二人の存在が曖昧になる。
相手の否定的な主張に飲み込まれ自分がどこに立っているのかももはや分からなくなってきた。
その時だった。
どこか遠くから声が聞こえた。
「……か……やろう!」
よく聞こえない。
だがその声色は怒っているようで、切実で、優しいようで、厳しかった。
「馬鹿野郎!」
今度は確かに聞こえた。
秋華と琴音がわずかに意識を取り戻し、薄く目を開ける。
するとその前には祐人がこちらを見つめていた。
(え? お兄さん?)
その顔は印象的だった。
表情は厳しい。修行を始めるときのままの表情だ。
しかしその厳しさの中に祈りのような、待っているような、雰囲気が混ざっている。
心配なのに、今すぐ手を差し伸べたいのに、それはしない。敢えてしない。
それは……、
自分たちのためだ、と何故か分かってしまう。
(堂杜さん!)
これは視覚情報だけではない、闇深い領域の奥の奥にある祐人の本心。
それをこの時、二人は垣間見てしまった。
まだ否定的な主張は消えていない。
しかし小さな、祐人のごく小さな声、気持ちが聞こえる。
馬鹿野郎! 負けるな! 受け入れるな! 相手に主張し返せ! 正しい! 君たちは正しい! わがままで何が悪い! 何かを求めて何が悪い! 状況も環境も悪いが何だ! それは君たちのせいじゃない! 他人にとやかく言われるな! 否定してくるならそれ以上に否定で返せ! 論破しろ! 認めさせろ! 認めないなら圧倒しろ! 手放すな! 欲しがれ! そして示せ! それが君たち黄秋華と三千院琴音だと!
二人は顔を上げた。
その目に生気が宿る。
ついさっき伝えられていた領域の基本を完全に忘れていた。
祐人は言っていた。
「我を通せ」と。
それはただ自己主張するだけと考えていた。
だが違った。
領域とは自分自身。他人自身。
つまり領域を強くするには圧倒的な自己肯定と揺るがない意志が必要だったのだ。
途端に秋華と琴音の領域が祐人の領域を押し退け始める。
秋華は不敵な笑みを浮かべ、琴音は今までにない自信に満ち溢れた表情になった。
しばらく互いの領域が拮抗状態になると祐人は領域を解いた。
すると……祐人は苦虫を嚙み潰すような顔で頭を掻きながら口を開いた。
「ごめん、修行だったんだけど失敗しちゃった」
「は⁉」
「え⁉」
「いや、二人のせいじゃない。僕が駄目だった。僕は本当に……駄目な奴だよ」
言っている意味が分からない二人は、トホホと項垂れている祐人を見つめてしまうのだった。
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