第307話 上海へ①


 祐人は第一上海空港の到着ロビーに足を踏み入れた。


「思ったより早かったですね、祐人さん。さあ荷物を受け取りにいきましょう。向こうの案内人の人は来てるのかしら」


 ニイナは笑顔で祐人を促す。


「あ、うん。あははは……」


「ニイナお嬢様、荷物は私が受けとりますのであちらで休んでいてください」


「いいわよ、アローカウネ。私も一緒に行くから。ここではそんなに気を遣わないで、逆に目立ってしまうわ」


「承知いたしました」


 そう言いながらアローカウネは静かな表情でお辞儀をする。

 しかし、ニイナの視界の外になると、これでもか、というぐらいの疑心と警戒心を含んだ目で祐人を見つめてくる。

 祐人は随時その視線を受け取っており、ただただ乾いた笑いしか出ない。


(ああ……なんでこんなことに)




 出立前日


「さてと、準備はできたから明日に羽田空港と……」


 祐人は、しばし上海出立のための荷物を眺め……突然、膝を折って両手をついた。


「あああ、結局、依頼を受けてしまったぁ! でも仕方ないんだよ。これも生活のためなの。たった十日でこんなに素晴らしい報酬なんて他にあるわけないんだよ。機関からの依頼だっていつ来るか分かんないし。バイトばかりだと勉強の時間削られるし、赤点とって留年なんてしたら余計お金かかるし。いやそれに関係なく留年は嫌だし……だから、仕方ないの」


 一体誰に対して言い訳しているのか、ただの独り言なのかも分からないセリフを吐きながら涙を拭う祐人。

 だが、家計は火の車なのは事実。四天寺からの報酬の入金もまだきていない中でこれだけの好条件の依頼はないだろう。


(逆にこちらの希望通り過ぎる期間と報酬額とタイミングには警戒心しか湧かないけど……さすがにそこまでは考えすぎかな! あはは)


 祐人は気を取り直して荷物を居間の端に移動させると、玄関に設置したばかりのインターフォンが鳴った。


「誰だ? いや、新聞の勧誘かな。あー、はいはいー!」


 祐人は小走りに移動し、玄関の土間に下りて引き戸を開けるとそこには意外な人物が立っていた。


「え、ニイナさん! どうしたの!?」


「あ、堂杜さん、突然、訪問してしまってごめんなさい」


 祐人の姿を現すとニイナが申し訳なさそうに頭を下げた。すると、同時にその背後に控えている初老の男性も頭を下げる。その服装からニイナお抱えの使用人のようだった。


(うん? 後ろの執事の人……うげえぇぇ!!)


 背後で深々と頭を下げるアローカウネは顔を上げると祐人と目が合う。アローカウネは目を細め、まるでこちらをどういう人物か図っているかのようだ。

 祐人は額から汗を流し、極力平静を装う。

 ミレマーから来たこのニイナ専属の執事にどうにも苦手意識があるのだ。


「い、いや、大丈夫だよ。どどど、どうしたのかな」


「はい、実は今朝、フランスに行く瑞穂さんとマリオンさんを空港まで見送ってきまして……」


 ニイナが話し出すと後ろのアローカウネは、にこやかな表情のままに両目が光る。


(うわぁ……このオッサン、怒ってるよ。多分、ニイナさんをこんなところで立ち話させているのが許せないんだ)


「まあ、ここじゃなんだから、とりあえず上がって!」


 祐人はニイナとアローカウネを居間に案内して、お茶を準備する。

 アローカウネが家の隅々を確認しているのが妙に落ち着かない。

 畳の部屋でアローカウネは慣れないだろうが、その辺はさすがで座布団の上でも姿勢が良い。


「はい、どうぞ」


「堂杜さん、おかまいなく」


 緑茶を二人の前に置くと祐人もテーブルについた。


「それでどうしたの?」


「実は伝えたいことがあって来たんです。電話でも良かったのですが、何故か瑞穂さんが堂杜さんのところへ直接、行ってきて欲しいと言うので」


 どうやら重要な話かもしれないと、祐人は顔が真剣になる。


「実はマリオンさんのことです。堂杜さんはもう瑞穂さんとマリオンさんがフランスに行くことはご存知ですよね」


「うん、メールで知ってはいたけど、詳細は聞いてないよ。それが何かあったの?」


「はい、マリオンさんからは他言無用とのことだったんですが、マリオンさんに本家から顔をだせという連絡があったそうなんです」


「本家……? ああ、たしかマリオンさんはオルレアン家の」


「はい、そう言ってました。それ自体は問題ではないみたいなのですけど、どうやら内容がオルレアン家の後継者を決める話し合いらしいのです。それで現当主の孫になるマリオンさんも呼ばれたらしいのです」


「ふむ……でもそれに何か問題でもあるの?」


 大体の話は分かった。

 後継者を決めるのに一族を集めて、後顧の憂いを無くしておこうというのだろう。今の当主が誰だか知らないが、事前に家督争いの目を潰しておきたいということだと理解した。

 ただ、マリオンはオルレアン家とは距離をおきたがっていた。マリオンにしてみれば便宜上、話し合いに参加してすぐに帰ってくるつもりだろうと祐人は想像する。


「実はマリオンさんを担ぎ上げようとする動きがあるそうなんです。マリオンさんは何も言わないのですが、瑞穂さんはそういう情報を朱音さんから聞いたみたいなんです」


 思わぬ情報に祐人は眉を顰めた。


「ちょっと待って、ニイナさん。よく分からないんだけど次期当主に孫というのはどうしてかな。孫じゃなくてマリオンさんたちの親の世代の人たちがいるでしょう」


「はい、それも説明します」


 祐人はニイナの話に耳を傾ける。


「実は本来、後継者になるはずの方が病死していたようです。マリオンさんの伯父でマリオンさんのお母さんの兄にあたる人だったそうです」


「病死か……」


「はい、しかも亡くなってから結構、時間が経っているようです。ですので。何故、今、後継者選びなのかは分かりませんが、マリオンさんも候補となっているそうなのです」


「うーん、現当主の年齢を知らないけど健康問題とかかな」


「そうですね、私もそう考えるのが妥当だと思います」


 オルレアン家は機関にも影響力のある名家だと聞いている。新人試験の時に知ったが四天寺にも劣らないほどだという。

 それほどの大きな家での後継者選びに巻き込まれたら非常に面倒そうだが、今はまだ分からないといったところらしい。


「えっと、瑞穂さんはマリオンさんがオルレアン家の家督騒動に巻き込まれるんじゃないかと心配してるってことなのかな? うーん、多分だけどこの件に関しては心配いらないと思うよ。僕の予想ではマリオンさんは早々にドロップアウト宣言をだして蚊帳の外になろうとするんじゃない?」


「はい、実は瑞穂さんもそう言ってました」


「へ? じゃあ、何で僕にわざわざ伝えに来たの? しかもわざわざニイナさんに直接行けって」


「その辺がどうも分からないのですが、瑞穂さんが行って伝えてきて欲しいって言うんですよね。それで何かあったら連絡してって」


「何かあったら、って何だろう? 僕のことかな?」


「さあ……」


 二人とも首を傾げる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る