第303話 予感③


 十歳になった祐人は両手それぞれに持った二本の木刀を構え、さらにはその木刀の上には大きな石が無造作に並べられ、落とすこともなく数時間、微動だにせずにいる。

 すると祐人はふと思ったことを口にした。


「爺ちゃん、何で堂杜だけがこんな役目を背負っているの?」


「うん? 何じゃ、祐人、文句でもあるのか? まあ、別にお前の代でやめても良いぞ」


「え!? やめてもいいの!?」


「ああ、それで人類が滅亡するかもしれんがの。ほっほっほーー!」


「うっ……! でも、だからそれだよ。そんなに大事なことなんだから、みんなで魔來窟を守ればいいじゃないか」


「うむ、それも一理ある。というより、それが出来れば一番良いじゃろうな。じゃがのう、魔界の魔族と呼ばれる連中は狡猾じゃ。多くの人間に知れれば、それだけ危険が増える」


「ええ? どんな危険が増えるの?」


「考えてもみろ。魔界の魔族から力をもらえたとしたらどうする? 一般人が能力者になり、能力者は新しい力に目覚める、なんてことがあれば、魔族側に靡く者なぞ後を絶たん。実際、魔界を探り、関わろうとしてきた者たちは皆、邪まな者がほとんどだった」


「そうなんだ……難しいんだね」


「うむ、堂杜家のように魔界出身の家系でなければ、この深刻さは分からん」


「でも、堂杜家の人間だって、その人たちみたいに魔族からたぶらかされたら危ないんじゃないの?」


「カッカッカ! 堂杜ならば大丈夫じゃ」


「え、何で?」


「何故なら、堂杜家霊剣術は極めれば魔族を超えるからよ。自分の方が強いのにわざわざ怪しい奴からリスクを背負って新しい力が欲しいか? しかも、儂らはそれで自滅していった連中ばかり見ているのじゃからな」


「あ、そうか! あ、でも僕は……」


「心配するな、祐人。お前が堂杜霊剣術を使えない体質でもそれに匹敵する力を仙術で学べばよい。ほれ、口ばかり動かすな、体も動かせ、氣の循環が乱れておるぞ」


 纏蔵はそう言うと、近くにある人の頭ほどの大きさの石たちをヒョイヒョイと小枝ですくう。

すると幼い祐人が両手それぞれに持つ木刀の上に乗っていた石の上にさらに石が重ねられていった。


「うぐ!」


「まあ、そうじゃの。ちょいと堂杜に伝わる昔話でもするかの。祐人も遼一から聞いて知っていると思うが魔界に住む魔族と言われる人外たちは圧倒的にして無慈悲で理不尽じゃ。現世と魔界が繋がればこの世界にどのような悲劇が待ち受けているか、初代には容易に想像できたのじゃ」


 よっこらせと纏蔵は近くにある切り株に腰を下ろす。


「千年前、堂杜家の初代はのう、偶然に魔來窟を知り、現世を知り、現世の人間たちと交流する中で現世の人類の能力者の数が魔界の人類に比べて非常に少ないことを知ったのじゃ。これではもし魔界から魔族たちが押し寄せてしまえば抗うことが難しい。いや、こちらの人類は蹂躙され、種としての生存権を完全に奪われるだろうと、な」


 纏蔵は千年前のお伽ばなしのような話にもかかわらず、どこか懐かし気な表情だ。


「それで初代は誓ったのじゃ。自分が防壁となろう、とな。その決意が千年経ったいまも受け継がれておるのじゃ」


「何か、すごいね、ご先祖様。まるでヒーローみたいでかっこいい! みんなのために頑張ろうってことだもんね」


「フフフ、まあ、そうじゃな、結果から見たらそうなのかもしれん。じゃが実はな、そう思ったのはもっと人間臭い理由があったのじゃ」


「どんな?」


「初代の伴侶、つまり祐人の遠いおばあちゃんになるか。その女性がな、現世の、こちら側の女性だったのじゃ」


「え!? だって……堂杜家は魔界出身の家系じゃ」


「そうじゃ。実はな、彼女は次元の歪みから魔界に飛ばされ、初代と出会ったのじゃ。何とも数奇な運命を辿った女性でな」


 祐人は初めて聞いた自分の先祖の話に心を奪われる。


「その時の魔界の人間たちは魔族の猛攻に押され、疲弊し、その時代の国家群はほぼ形骸化して統治能力はほとんど失われていたという。まあ、人類の存亡の危機に立たされている時世じゃったという。初代はな、言い伝えでは魔界の辺境の地に生まれた人間じゃった。類いまれなる才能と能力を持っておったが、それだけだったと自分で言って……オッフォン、それだけだったと聞いておる」


「それでそれで?」


「……さっき言った女性、祐人の遠い祖母はな、能力者にして霊剣師だったのじゃ。と言っても、中国から伝わる霊剣術と日本古来からある修験者、また後の忍びの原型となる術を合わせ持っておってな、もはや独自の術じゃったらしいから厳密には霊剣師と呼んでよいのかは分からんがな」


「ええ、そうだったんだ!」


「うむ、彼女と初代は出会ってすぐに互いに惹かれ合ってな、彼女は自分の持つ知識と術の全てを初代に伝えたのじゃ。初代は僅か数年で体得してしまい、その後は魔族との実戦の中で術を昇華させて、今の堂杜霊剣術の土台を作り上げたのじゃ。どおりで強いわけじゃて。魔來窟から出てきた時は本当に困った……オッフォン! まさに実戦の中で作り上げられた戦場の技じゃ。もちろん、常に横にいて初代を支え続けた彼女の存在が大きかったがな」


「ふわあ」


 祐人は目を輝かせて聞いている。


「その後、初代は魔界の人間族たちの先頭に立ち、まとめあげ、魔族への総反撃に成功したのじゃ。まあ、魔界での英雄譚じゃな」


「すごい、すごい!」


 祐人は修行を続けながらまるで自分のことかのように興奮した。


「じゃが……その後、魔界の人間たちが落ち着き、初代と彼女の間に事件が起きた」


「……え? それは?」


「魔來窟を発見したのじゃ」


 纏蔵の顔が僅かに真剣なものになり、祐人は子供なりに表情をあらためた。


「魔來窟は謎が多くてのう、初代すらその成り立ちについてはっきりとは分からなかった。まあ、その話はここでは置いておいて……ここで問題なのは彼女だった」


「問題?」


「うむ……何故なら、魔來窟を通れば故郷に帰れるのじゃ」


「あ……」


「彼女は初代を深く愛していた。じゃがの、やはり望郷の念は捨てきれなったのじゃ。それで彼女は迷い苦しんだ結果、こちらに帰ることを決意したのじゃよ」


「……」


 幼い祐人は彼女が何故、そこまで帰りたかったのか? 魔界で暮らせばよいのに、と思った。

 だが、故郷とは人によって重い意味を持つことがある。ましてや彼女は異世界に意図せず飛ばされた人間だ。他人には分からない想いがあったのだろうことは、今になると理解できる。


「まあ、結論から言うとな、初代は彼女と共にいることを選び、こちらに来たのじゃ。そうでなければ堂杜家が発祥していないじゃろう?」


「あ、そうか。でも……初代のお爺ちゃんはよくそんな決断ができたよね。だって魔界にいたら英雄だったのに」


「初代は彼女を心から愛しておった。じゃから彼女が帰ると言った時、こちらに来ると決断するのに大した時間はかからんかったと言っておった……言っていたと伝えられておる。初代には頼れる弟がおって……おったという話で魔界はその弟にすべてを丸投げ、じゃなくて任せてきたらしい」


 祐人は纏蔵の話を食い入るように聞いていた。そしてこの時、祐人は初代という偉大な先祖に親近感を覚えて感動した。

 魔界の英雄という大層な肩書をいとも簡単に捨て、奥さんのために異世界に来たのだ。

 幼い祐人には何と形容していいか分からないが、素敵なことだと思った。


「まあ、話は長くなったが、つまりな、初代が魔來窟を秘匿し、守り、現世の防波堤となることを決意したのはな……」


「全部、ご先祖のおばあちゃんのためだったんだ!」


 祐人は満面の笑みで答える。


「ほっほっほー、そうじゃ。初代は彼女を愛し、彼女の愛するこの世界も愛したのじゃ。堂杜の重大な役目、堂杜の存在理由、とか言っておるがのう、実はな……ただ、それだけの理由なのじゃよ。愛した女の大事なものを守る、それだけだったのじゃ」


 嬉しそうに頷く祐人を後目に纏蔵は「そこに高(ガオ)が娘を、二人目の嫁として無理やりねじ込むから、あの時、面倒なことに……」と、小声でブツブツと言っていた。


「おーおーおー、懐かしい奴の話をしておるの」


 そこに祐人の正式な師である孫韋が姿を現した。


「げっ、師匠!」


「げっ、ではない、未熟者が。仙氣が乱れておるの」


 祐人はまったくその気配が読めず、突然の師の出現に驚いた。

 そのため、この時、孫韋が〝懐かしい奴〟と言ったことに気づかなかった。


「ほれ、集中している状態がくつろいでいる状態と教えておるの。己の命、生けるものの息吹を感じているのが小周天じゃ。うむ、そうじゃ。丹田に集めた氣を使い、氣を下腹部から流れさせ、背中を上がっていく。そして頭上から下腹部に。それで再度、丹田に氣を集めるのじゃの。もっと早くだの!」


「はい!」


 この時、横で纏蔵が非常に珍しく過去を懐かしむような表情を一瞬だけ見せた。


「そう……たったそれだけの理由。じゃが、お前の意志と決意は堂杜の血に脈々と受け継がれ、一千年に亘り守られてきたぞい。まさかお前も自分の子孫が数度、この世界の危機を救ったことなど、想像もしておらんかったじゃろうな。なあ、アインハード、いやアインよ」


 初代の生き様と決意は今、祐人まで受け継がれている。

 纏蔵は三仙として堂杜を見続けてきた。

 およそすべての事象が自然にして必然。

 それを理解し体現しているのが三仙だ。

 だがこの時、太上老君……いや、今はただの祐人の祖父である纏蔵の心内に感慨深いものがよぎったのだった。


「え? なんか言った? 爺ちゃん」


「何でもない。儂は疲れたから宿に帰るぞ。あとは孫韋に任せるわい。お前は当分、ここで修行じゃな」


 そう言って纏蔵は腰を上げた。

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