第151話 燕止水⑥
「一体、何だ! 何なのだ! あの小僧は何なのだ!? こんなはずでは……こんなはずではないのだ!」
街の中を疾走する中国の工作員の運転する車の後部座席に百眼はいた。
いつも冷静な表情を崩さなかった百眼は今、状況が掴めず、怒りと焦りで己の膝を叩いく。作戦が全く機能せず、百眼は事実上、仲間を置いて逃げてきたのだ。今の百眼はただの敗者であり逃亡者である。今の傷だらけの姿もそれと呼ばれるにふさわしい。
こんなことになるとは作戦実行前に想像もしていなかった事態だった。
(死鳥が手を抜いた? いや……私の見る限りそのようには見えなかった)
百眼は死鳥、燕止水の戦闘をその目で見るのは先ほどが初めてだった。そのため、死鳥が手を抜いているかも厳密には分からない。
(あのような高レベルの攻防など知らん。しかも、手を抜いて死鳥に益するところもない。ガキどもがこちらの手にいるんだからな。しかし……相手はたかがDランクの小僧だぞ! まさか……機関の差し金か!?)
百眼の乗せた車は、百眼たちの仮の宿として使っているホテルへ向かう。
(機関が高ランクの能力者をわざとDランクに認定し……いや、しかし我々の行動が未然に知られてはいないはずだ)
百眼は考えれば考えるほど分からないことが増える。その百眼の頭の中を混乱させるのは、すべてあのランクDの少年が原因だ。
死鳥の戦歴を考えれば、多少、腕が落ちていたとしても、その実力は機関の言うところのランクS以上はあったはずだ。
であるからこそ、失敗などありえなかった。
(それを何故、あのような劣等ランクの小僧が死鳥と互角に!)
だが今はそれよりも今回の失敗は痛い。
今回の作戦は失敗後のことなど想定していなかった。しかも、死鳥と祐人の力のぶつかり合いで、想定していたものよりも数倍に派手なものとなってしまったのだ。
このような非常に強引な騒ぎを他国の日本で起こしたのだ。さすがに日本もこれを無視することはできないだろう。
「ちくしょうが!」
百眼は防弾を施している頑丈な車のドアに拳をぶつけた。
百眼にも今後のことは予想がつく。
今回の失敗で機関所属の能力者とのいざこざという話ではなくなってくる。他国の公道で派手に暴れたのだ。しかも、少なからずその高速道路を破壊している。
そして、前回の他国の学校で暴れた事実も当然、加算される。
もう日本政府もさすがに黙ってはいられないだろう。
この事態は必ず能力者部隊のない日本政府と世界能力者機関が、より緊密に手を組み今回の件を調査し、対抗策もうってくる。また、今、水面下で進行中の呪詛に関する話し合いにも影響は出てくるのは必至だ。
日本の態度は硬化し、その対抗策は当然、機関が受け持つ。今まで日本政府に穏便に、とされていた依頼の内容も変わってくるだろう。
ということは、これで機関は躊躇いもなく動いてくる。しかも、国家レベルの裏側で動いているにも関わらず闇夜之豹所属の認識票という証拠を残している。さらに今回の襲撃で闇夜之豹の能力者を3人も置き去りにしてもいるのだ。
まさに大失敗である。
「クッ……なんでこんなことに! この楽な依頼で伯爵の覚えもよくなるだけのものだったはずが! これで手ぶらで帰れば私は……」
百眼は絶望と恐怖に怯えるように頭を抱えて車の床を見つめる。
(このままでは……終われん。呪詛の問題など知らん。中華共産人民国など、どうでもいい! 伯爵の言いつけだけは守らねば!)
百眼は顔を上げると正気を失ったような虚ろな目を広げた。
「死鳥はどうなった……?」
「は、いえ、そこまでは今は……」
百眼の薄気味悪い雰囲気に工作員も狼狽えながら答える。
「まさか、あのまま残って戦い続けてはいまい。おそらくホテルに帰ってくるだろう。すぐに残っている者を集めろ。残った闇夜之豹も全員だ!」
「は、はい、すぐに伝えます」
慌てて携帯を取り出した工作員を……瞳孔の定まらない百眼は唇を大きく歪ませた。
だが、百眼のこの焦りと恐怖は……その背後から追ってくる大峰、神前両家の精霊使いの存在を気づかせる機会を失わせてもいたのだった。
襲撃を撃退した祐人たちは、学校に行くことを一旦諦め、あのあとすぐに現れた大峰、神前家の用意した車に乗り、機関の研究所に向かっていた。
そこには機関専用の医療施設もあり、また日紗枝や志摩も状況の確認のために来るとのことだった。
「祐人さん、大丈夫ですか?」
祐人の右横からマリオンが涙目で聞いてくる。
「うん、大丈夫だよ、マリオンさん。だから、そんなに心配しなくても、こういうの僕は慣れてるから……」
「馬鹿! こんなことに慣れてどうすんのよ! あなた左肩がイッてるのよ!?」
顔を真っ赤にして怒る瑞穂がマリオンの反対側の横から大きな声を出す。
「あはは、ごめん……」
車は大峰家の者が運転し、助手席に明良、後部座席にマリオンと瑞穂に挟まれて座っている。体中に傷を負い、左肩の鎖骨が折れ肩鎖関節を痛めた祐人のことを考えて、ゆったりと2台に分けて向かおうとしたが、祐人の横を瑞穂とマリオンが譲らず、結局、今のような状況になった。
「堂杜君、実際、無理をしないでください。きつかったらすぐに言ってくださいね。すぐにその二人を後ろの車に移しますから。まったく……お二方も堂杜君が心配なのは分かりますが、一緒に乗ることもないでしょうに」
そう明良が言うと、瑞穂もマリオンも気まずそうに顔をそむける。
明良はため息をつくが、今は本当に祐人の体を心配していた。
明良にしてみれば、祐人は自分と主である瑞穂の命の恩人と言っても過言ではないのだ。明良は今回の祐人と燕止水との闘いを目の当たりにして、祐人の実力を見誤るほど馬鹿ではない。祐人がいなければどうなっていたか、と考えると背筋が寒くなる思いだった。
それ故に明良は祐人に対し恩義を感じていたのだ。特に主である瑞穂、四天寺家の客人であるマリオンを救ってくれたことに。
「堂杜君……ありがとうございます。君がいなければ、私たちは今、こうしてはいられなかった」
「いえ、気にしないでください、神前さん。それに悪いのは襲ってきたあいつらですよ」
祐人は両側から瑞穂とマリオンが自分の傷をすべて確認するように、体中に視線を動かしている状況が少々落ち着かない。二人は祐人の応急処置のために、片手に傷薬の軟膏を持ちながら、祐人を手当してくれていた。
「あ、瑞穂さん、マリオンさん、大丈夫だから。痛みに僕は強いし、瑞穂さんたちも傷を負ってるんだから、まず自分のに塗って……」
「黙ってなさい! 祐人」
「駄目です。動かないでください」
ピシャリと二人に言われ、黙る祐人。二人の少女は傷のひどいところに、抗生物質の入った軟膏を塗ってくれるのだが、どうにもくすぐったいし、顔を近づけて塗ってくるので、なんと言うか……恥ずかしいのだ。
二人は分かっているのだろうか? 後部座席に三人座って、ただでさえ、お互いの間に隙間がないのにも関わらず、それ以上近づくと、どういう状況になるのかを。
祐人は顔を上気させてしまっているのだが、瑞穂とマリオンは治療に夢中で気づかず、体を寄せてきて、制服のスカートも乱れている。
祐人の傷が心配な明良は二人を諫めようと振り返り、その祐人の状況を確認すると……ニイと笑って何も言わずに前を向いた。
しばらくして、機関の研究所の近くまで来ると明良は真剣な顔で祐人に話しかけた。
「堂杜君……聞いていいかい?」
「なんですか?」
「君は……一体、何者なんだい?」
「……」
その明良の問いに瑞穂とマリオンも思わず祐人の傷の手当をしている手を止めてしまう。
「いや、すまない。失礼なことを言っていると分かっているよ。ただ、私だけではないと思うんだ、こう思ってしまうのは……。君のあの闘っている姿を見た者なら誰しもがね……」
「……神前さん。僕は……堂杜祐人です」
「え?」
「僕は機関の定めるランクDの天然能力者、堂杜祐人ですよ。それ以上でもそれ以下でもありません。ちょっと能力が近接戦闘に特化されているだけですよ」
祐人の説明に明良は表情を変えず黙って聞いていた。
そして……数秒経ち、片側の口角を上げて目をつむる。
「……分かった。君がそう言うなら間違いがないね。私は君の言うことを信じるよ。君がそう言う限り私はそう信じる。変なこと言った。すまないね、堂杜君」
「はい……それでお願いいたします、神前さん」
瑞穂とマリオンはそのやりとりを聞き、胸を撫でおろすような気持ちになったが、二人も明良の気持ちは痛いほど分かった。二人は堂杜祐人という能力者がどういう能力者か知っている数少ない人間だ。
だが、明良と同じ疑問を持っているのだ。
堂杜祐人は何者なのか? と。
ただ、二人はその答えを自分から聞くものではないと何となく察していた。それはいつになるのかは……分からない。でも、いつの日か、それを祐人の口から聞く日を待つしかない……と感じていたのだ。
「しかし……あいつらの目的は何なんだ。あれだけの戦力を用意してまで遂行しようとする目的は。今回の二度目の襲撃で瑞穂様かマリオンさんのどちらかに執着しているのは間違いないのは分かったが……」
明良は話題を変えるがこちらも確かに重要な問題だった。
これだけの騒ぎを起こしてまで何をしようというのか? しかも、もう秘密裏にという体裁すら整っていない。
「真の目的は分かりません。ただ、あいつらのしようとしていることを僕は聞きました」
「何だって!? 堂杜君、それはあの敵から聞いたのかい?」
「はい……。敵の言うことなので真実かどうかは分かりませんが、あいつは言っていました」
祐人はマリオンに視線を移し、マリオンの碧い瞳と目が合う。
「あいつらは……マリオンさんを拉致して中国に連れ去るのが目的だったと……」
「私ですか!? 何故、そんな……? 」
マリオンは驚愕し、明良も驚く。そして、瑞穂は目に力を入れるが、やはり……という顔をした。
「僕の個人の意見ですが、おそらくこれは本当だと思います。前回の襲撃でも、あいつらがマリオンさんを意識しているように感じました。それにあれだけのことを起こしている最中にそんな嘘を僕に吹き込む意味もないと思います。それにあいつは……仙道使い」
「それは本当ですか!? 堂杜君!」
仙道使いなど知識では知っているが、明良は会ったことなどない。
しかも、知識上の仙道使いは強力な力を持っているが、このような浮世の関わりに関心のない者たちとも聞いている。
「はい……そして、あいつは自分から名乗ってきました」
明良は思わず後ろに振り返り祐人を見た。
「あいつは自分を燕止水……と言っていました」
「燕止水……? 燕とは聞き覚えはないですが……まさか! 死鳥!? 死鳥の止水ですか!?」
その名を聞き言葉を失う明良。
そして、祐人たちの車は機関の研究所の門の前に到着した。
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