第147話 燕止水②

「堂杜君……本当にここでいいんですか? 門の前で。玄関の前まで……」


「はい! ここでいいです、ここがいいです! 神前さん」


 今、祐人がいるのは四天寺家の広大な敷地を囲う大きな壁の間に作られた大きく立派な門の前である。

 瑞穂とマリオンの護衛の観点から、昨日から四天寺家まで送り迎えを始めた祐人は、そわそわしながら、明良の運転する車の横で立っていた。

 一昨日の夜に瑞穂から機関とのやりとりの話を聞き、その後、自分たちを襲ってきた闇夜之豹所属の能力者たちの、再襲撃の警戒のために祐人が瑞穂とマリオンの学院と登下校の送り迎えを買って出たのだ。

 そして、今日がその二日目の朝である。


「ですが……朱音様は堂杜君のお顔を見たいと考えていると思いますよ? 昨日の夜に十分なおもてなしができなかったと、残念がられていましたから」


「いー! あ、いえ、もう十分におもてなししてもらいましたから! これ以上は僕の体が……いや! お気を使わせてしまうのは申し訳ありませんから!」


「そうですか? 朱音様は、とても楽しんでいるように見受けられましたけど」


 昨日、祐人は下校時に瑞穂とマリオンを送っていった際に、瑞穂の母親である朱音から呼び止められたのだ。そして、そこで夕食をごちそうになり、それはそれは大層な歓待を受けた。


(朱音さんに……どんな顔で会えばいいか分からないよ。それにまた会って強引に夕食とかに誘われると、断りづらいし……)


 昨日も祐人は申し訳ないと夕食の誘いも断ったのだが、朱音と話していると何故か主導権を完全に握られて、いつの間にか屋敷の中に連れ込まれてしまった。

 祐人は昨日の朱音からのおもてなしを思い出すと、思わず顔が上気してしまう。

 その様子を明良はニヤニヤとそれは楽しそうに見つめていた。


「祐人! 行くわよ! 早く車に乗りなさい!」


 そこに瑞穂とマリオンが屋敷の敷地内を走り抜け、急ぎ早にやって来る。


「祐人さん、早く!」


「え!?」


 二人に大きな声で促され、祐人は驚きつつもすぐに明良の車の助手席に乗り込んだ。


「明良、早く出して!」


「はい、分かりました、瑞穂様」


 急ぐ瑞穂に対し落ち着いた口調で応答する明良は、いつも通りに運転席に乗り込み車を出した。瑞穂とマリオンは屋敷の玄関から門までの結構な距離を走ってきたようで、祐人の後ろで息を切らしている。

 瑞穂は何となく後ろを振り返ると、門のところににこやかな母親が立っているのが見えて、何とも言えない引き攣らせた顔をした。

 そして、ふうー、と息を整えて前を向き、マリオンと目を合わせる。


「危なかったわ」


「はい……朱音さんは祐人さんを気に入りすぎです」


 二人の会話を前で聞いている祐人は、どうやら二人が朱音をまいてきたことが分かり、さすがにそれは可哀そうではないかと思ってしまう。


「あはは……二人とも普通に来ればよかったのに。さすがに朱音さんが可哀そうじゃない? 僕が屋敷の中まで失礼しなければいい話だし」


 その祐人の発言に瑞穂とマリオンは半目になり、額の血管を浮き上がらせた。


「昨日の件があって、あなたがそれを言う? これだから男は……」


「祐人さんのその無防備さは危険です。よく監視が必要なのがよく分かりました」


「あ……」


 祐人は瑞穂とマリオンから静かなる暗黒の闘気を感じて、これ以上、二人に触れないように前を向いた。

 運転席の明良は笑いを堪え、体が震えている。


 瑞穂たちの乗った車を門の前で見送る朱音は、微笑していた。


「あらあら……祐人君に朝の挨拶をしたかったのに……。まあ、これから、いくらでもチャンスがありますし、良しとしましょうか」


 朱音がそう言うと、朱音と一緒に出てきた和装の使用人たちが頭を下げて、中に戻り始める。朱音も戻ろうとすると、柔和な表情を変えずに車が消えていった方向に振り返った。


「……あまり良いものが待ち受けてないわね。これは……マリオンさんかしら?」


 朱音は前を向くと唯一、洋装の初老の家令に視線を移す。


「大峰と神前の者たちを呼びなさい」


「承知いたしました、奥様。直ちにお声をかけてまいります。それでどちらの方に?」


 大峰家と神前家は四天寺家の分家であるが、周囲からはこの三家をまとめて四天寺家と呼ぶことがある。四天寺家では常にこの三家の中から男女の区別なく、最も優秀な者を四天寺家に招き、当主として就任させる。

 その意味では大峰家、神前家は分家と言いながらそれほど格の低い扱いは受けず、むしろ同格ともいえ、この三家の結束の固さが四天寺家の大きな力になっているといえるのだった。

 そして、その四天寺家の戦力は有数な能力者の家系でトップクラスであることは言うまでもない。

 また、大峰家、神前家の屋敷はこの広大な四天寺家の屋敷内にある。


「広間の方へ、お呼びなさい。……どちらの者が来るのかは分かりませんが、四天寺の客人に手を出すということがどういうことか、教えて差し上げないと。あと、うちの将来の大事なお婿さんに傷をつけることがあれば……」


 朱音が言葉を切ると、初老の家令は額の冷や汗を白のハンカチで吹き。すぐに各分家へ連絡を入れるべく、移動を開始した。




 祐人は車内の空気の重さに顔を硬直させていた。

 その原因は瑞穂とマリオンである。

 先ほどから不機嫌さを隠さない、というより隠しきれずに、はみ出ているのだ。

 黒いオーラが。ちなみに運転手の明良は笑顔。

 祐人は決して後ろを振り返らず、とにかく早く学院に着くことを念じながら前を向いていた。何事もなく、学院に着くように、と。だが、この願いは瑞穂によって無残にも、ごみ箱に丸められて捨てられる。


「祐人」


「はい! 何かな?」


「まさかとは思うけど……あなた、人の母親に邪まな感情を抱いていないわよね」


 壮大にこける祐人。

 笑いをこらえる明良。


「ななな、何を言ってるの! あるわけないでしょう!」


「本当ですか? 祐人さん。実は年上が好きなんじゃないんですか? でも、いくらなんでも人妻はだめです、犯罪です」


「だから、何を言ってるの、マリオンさん!? あるわけないって!」


 後部座席からの、尋問のような質問に祐人は必死に答える。


「年上の女性とか、そんな拘り、僕は持ってないから! というより、それ以前の問題だよ! 二人ともどうかしてるって」


 瑞穂とマリオンはまだ半目だ。

 昨日の四天寺家での歓待のことが、この誤解を招いているのが分かり、祐人も焦る。

 それはすべて朱音が取り仕切っていた。


(た、確かに昨日の朱音さんのは過剰なもてなしだったから……。でも、どう見ても朱音さんが僕をからかっていたというしか……)


「じゃあ、聞くけど……何歳くらいがいいのよ、祐人」


「え!? 何を言って……うう、そんなこと考えたことないけど」


 なんでこんな質問を受けるのか? と、祐人は思うが、後部座席からの不可思議な圧力に、これに答えなければならないと感じとる。


「ううう、やっぱり……同い年くらい?」


「「!」」


 瑞穂とマリオンは頭の上にピコーン! とエクスクラメーションマークが出たように背筋を伸ばした。


「そう……そうよね! 安心したわ、祐人。あなたがお母さんにデレデレしてるから心配したわ」


「はい! 祐人さんがそんな偏った趣味の持ち主でなくて良かったです!」


「そ、そうだよ! ましてや、友達のお母さんなんて、あるわけが……」


 ようやく、誤解が解けそうになり、ホッとする祐人。ようやく車内の空気も和やかになろうかというときに、瑞穂の目のあたりに影が覆う。


「……じゃあ、胸は?」


「は?」


「あなた昨日、お母さんの胸ばかり……」


「え!? 見てないよ!」


 と、言いつつ、祐人は朱音のふくよかな胸を思わず思い出し顔を赤くした。


「あ、あなた……」


 その祐人の反応の機微を見逃さない瑞穂はワナワナと顔を引き攣らせる。

 逆にその横に座るマリオンは顔を赤くして、どこか嬉しそうにした。


「あ、祐人さんは……大きいほうが好きなんですね? それは男性なら仕方がないことかも……」


 瑞穂はマリオンをキッと睨む。

 昨日、発覚したマリオンの胸のサイズ……。

 今まで女子高にいて他人の胸など個性にしか思っていなかった瑞穂はマリオンの胸の大きさなど気にしたことはなかった。

 しかも、恥ずかしがり屋のマリオンは着替える時も一人でそそくさとあっという間に着替えるので、マリオンの胸をしっかり見ていなかった。同じ家に住んでいるとはいえ、部屋は別々でお風呂だって当然、一緒に入ることはない。

 さらに、マリオンは自分の胸が恥ずかしいのか、または、動きづらいと考えていたのか、きつめの下着でがっちりと押さえることを好んでいたため、小さいとは思ったことはなかったが、あれほどとは瑞穂は思っていなかった。いや、というより、気にもとめていなかったというのが正しい。

 昨日までは。


「どうなの!? 祐人! 大きいのにこだわりがあるの!? お母さんのような!」


 何故か涙目の瑞穂。


「……」


 祐人、無言。


「!」


 青ざめる瑞穂。


「……!」


 はにかむマリオン。


「……(フルフル……)」


 笑いを堪えすぎて、運転がままならなくなってきた明良。

 車の中で4人の視線が散らばる。


「ま、まあ……ククク! だ、大丈夫ですよ、瑞穂様。クク! 瑞穂様は朱音様の血を引いていらっしゃるのだから。お顔も朱音様に似ていらっしゃいますし……ぷ!」


「なな、何を! そんなこと気にしているわけじゃないわよ! 私は祐人が人の母親を邪まな目で見ていないかを気にしただけよ! ちょっと、なに笑っているのよ、明良!」


 4人を乗せた車は高速のインターに入り、ETCの車線に入った。

 祐人は決してこの会話に参加しないようにしている。

 マリオンは上機嫌に瑞穂を宥め、マリオンに宥められることで余計に機嫌を悪くする瑞穂。

 その時……祐人の表情が固まる。

 祐人は後ろに振り返り、後ろのセダン車を睨んだ。


「な、何よ、祐人」


 いきなり真剣な顔で振り返ってきた祐人に、何故か胸を隠す仕草をする瑞穂。

 明良もこの時になって、不審な連中が自分の探査風に触れたことに気づき、顔を強張らせた。


「こいつら……いつの間に!?」


「みんな気をつけて! 先日の奴らの仲間かもしれない!」


 祐人の警告に明良も含め、全員が車の窓の外を睨む。


(この感じは……学院で襲われた時にも感じたものだ……)


 祐人たちの車は高速の本線に合流して、スピードを上げた。

 すると、祐人は前方から凄まじいプレッシャーを感じる。

 その前方の高速がなだらかなカーブに差し掛かる辺りに、高速道路上で立っている男を祐人は視認した。


(あれは……!)


 祐人の肌にピリピリと伝わってくる、その男の闘気に鳥肌が全身にたつ。


(これは仙気! あいつは……仙道使い! しかも、この充実した仙気は!?)


「明良さん! 瑞穂さんたちは後ろの連中に気をつけて! 僕は前方の奴をやる! 気を抜かないで! 多分、僕は瑞穂さんたちのフォローはできない!」


「え!? 祐人!」


「それは!」


 瑞穂とマリオンは祐人の実力を知っている。

 その祐人が、戦う前から余裕がない、と言い放ったことに驚いた。


「みんな、最初から全力でいって! とりあえず、マリオンさんは後方から援護! 瑞穂さん!」


「分かってるわ!」


 瑞穂は祐人の言うことを正確に理解している。

 それは敵の狙いがマリオンである可能性が高いと祐人が言っていたことを指しているということを。


「行くよ! 僕も全力で行く!」


 そう言うや、祐人は時速100キロ近いスピードで走る車の中から飛び出し、車の上にポジションをとった。


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