第142話 見える敵、見えない敵④


 法月秋子の入院する慈聖大学病院に祐人たちは到着した。立て直されたばかりのこの大学病院は都心部に位置し、先進医療にも秀でたこの大学病院には専門別に数多くのオピニオンリーダーの医師たちが在籍していることでも知られている。

 その10階建ての白い巨大なビルすべてに病院と医療研究施設が入っていた。

 瑞穂が一階の正面玄関に入ると、機関の黒服の男性職員が待っており、見舞いの花を持つ瑞穂の姿を確認すると静かに「こちらへ……」と病院内を案内してくれた。

 祐人は機関の職員に従うように歩いていく瑞穂の後ろについて行く。話を聞けば、ここには法月秋子だけではなく、その父親である法月貞二をはじめとした今回、原因不明の病気で倒れた実業家やその家族が一様に入院しているとのことだった。

 機関もこの病院にある程度の人員を配置しており、24時間の護衛をしている。おそらく蛇喰家の人間もそれらの護衛のためにいるはずだが姿を現さなかった。

 他の看護師や病院職員が忙しく行き来している廊下を進み、機関職員と共に祐人たちはエレベーターのところまでやってくる。


「10階の最上階の個人部屋にそれぞれが入院されています」


 機関の職員が説明をする。瑞穂は頷き、職員にお礼を言った。


「ありがとう、今回、倒れた人たち全員、10階なの?」


「はい、護衛の観点からそのようにしております。法月秋子さんはエレベーターを出て右側の廊下の左奥です」


「そう、分かったわ」


 祐人たちは職員に連れられて、法月秋子と書かれたプレートが貼ってある部屋の前までやって来た。職員がそのドアにノックし、中から返事はなかったがそのままドアを開けて、祐人たちを部屋の中へ促した。

 部屋は広めの個室で薄暗く、入って正面の厚手のカーテンで閉じられた窓際にベッドが設置されいる。そこに秋子が眠っているようだった。

 瑞穂は足音を立てずにベッドに近づき、同級生の秋子を気づかわし気な表情で覗き込んだ。


「!」


 瑞穂は静かに眠る秋子を見て絶句してしまう。

 秋子は聖清女学院の学院内では明るい振る舞いで、友人も多く、人付き合いがそこまで上手くない瑞穂ともよく言葉を交わしていた。

 その秋子が今、やせ細り、頬がこけて、黒ずんだ目の周りが沈んでいる。よく手入れがされていただろう綺麗だった髪の毛が、今は半分以下に減り、頭部の所々に地肌が見えるような状態だった。

 その変わり果てた秋子の姿に、花を携えた瑞穂の右手は震えている。

 その瑞穂の後ろから、マリオン、祐人、花蓮がその同い年の少女を見て体の動きを止めてしまった。マリオンなどは口を押さえ、目に薄っすら涙を浮かべるほど驚いている。


「私のかけた祝福ももうなくなってます……」


「先週からこの原因不明の症状が突然、進行し、今では自力で食事をとれなくなっています。現在のこの呪詛と思われる被害者の中で、最も状態が悪く……」


 祐人たちの背後から機関の職員が静かに、秋子の現在の容体を説明した。

 瑞穂は手を震わせながら無言で秋子のベッドの横にある棚に花を置く。


「祐人……呪いだけで人は殺せなのよね」


「うん……僕の今まで経験した呪詛や聞いた話ではそうだった。でも、これは……」


「私に見せて」


 そう言い、花蓮が眠る秋子の横に近づく。


「……ニョロ吉」


 花蓮の背中からスッと白蛇が現れ、秋子のベッドの上を秋子を調べるように秋子の身体の周りをうねるように移動した。その白蛇の様子を瑞穂たちは見守るようにしていると、白蛇は花蓮のもとへ戻り、その体に纏わりついた。

 花蓮はまるで白蛇から何かを受け取るように目を瞑り、両手を腰のあたりまで上げる。


「花蓮さん、どうですか? 何か分かりましたか?」


 マリオンが何かに耐えきれないように、花蓮に聞く。


「……これは、普通の呪詛ではない。こんなの初めて」


「な! それはどういうことよ、花蓮!」


 この場で最も呪詛に詳しいであろう花蓮の言葉に瑞穂が驚く。


「これは……ものすごい数の人の悪意や憎悪がこの子に集まっている。あらゆる方向から悪意、憎悪、嫉妬、妬み、恨みのような人の持つマイナスの感情が……この子に。こんなの有名人でもあり得ない。それがこの子の本来持つ、ご先祖や神霊からの加護を消し去って……違う、それらの加護が……ない。だから、この子は今、運気がゼロ」


 祐人たちが花蓮の言うことに理解が追いつかずに戸惑い、顔を強張らせた。

 花蓮は目を開けて祐人たちを見渡す。


「人はそれぞれ自分の持つ運気というものを持っている。それにプラスして数々の目に見えない加護もある。これらが合わさって、一般的にその人の持つ“運”と言われているものの強弱がでる、と蛇喰家では学ぶ。これは人それぞれ。本人の運気が異常に強く、加護が弱い者、またはその逆もいたりする」


「蛇喰さん……それは」


 まだ、祐人には花蓮の言うことが分からない。


「人からの悪意は人の持つ運気を弱らせる。けれども、余程のものでもない限りは、ご先祖やその人にまつわる高位の存在の加護で守られるもの。だから、普通は問題ない」


「それって守護霊のような?」


「そういう認識でもいい」


「じゃあ、秋子さんはどういう状態なのよ」


「呪詛とは様々な儀式や祭器、もしくは魔力、霊力を使い、この加護を突破して、標的にマイナスの思念を送り込み、本人の持つ固有の運気を直接、消そうとしたり弱めたりするもの。人の持つ運気はその本人の生命力、またはこの世で生きるための力に関わる。それを消されれば、一番最初に症状としてでるのは体調不良や病気、そして、事故……等々」


「それじゃあ、秋子さんは……」


「生きる力……特に生命力が極端に落ちている。他の被害者より病状が悪化したのは、この子の持つ生命力が比較的弱かったことが言えるかもしれない」


「そんな……何とかならないの!? 花蓮」


 瑞穂が思わず声を荒げる。


「一度、加護を突破されると厄介……。呪詛は守るより、送り込む方が容易。私のニョロ吉はその加護の強化が得意の能力のひとつだった……」


 心なしか花蓮も口惜しそうに俯いた。


「でも、花蓮さん。普通ではない呪詛というのは……?」


 マリオンが秋子を見つめていた視線を花蓮に移す。


「普通、呪詛のベクトル……呪詛の発信源は一つ。それなのに彼女はかなり多数の悪意を一斉に受けている。それぞれはさほど強くない思念。でもそれが束になってかかってきている状態と言うべき。それが大きな……呪いの力になっているように見える」


「そんなことあり得ないわ! 秋子さんは人から恨まれるような女の子じゃない。むしろ、その逆……」


 瑞穂は頬肉がそげて、かさついた肌を見せている秋子に目をやり、やるせなく震えるその瑞穂の肩に祐人が手を置き、花蓮に体を向けた。


「祐人!」


「その普通ではない呪いを、どこかの呪術者がやっているということなんだね? 蛇喰さん」


「恐らく……」


「……分かった」


「ちょっと祐人! なんでそんな簡単に割り切れるのよ……」


 瑞穂は祐人の顔を見て、目を大きくした。

 そこには隠しきれない気迫と仙氣を滲みだしている祐人がいたのだ。


「瑞穂さん、やっぱり今まで通りで行こう」


「祐人……」


「僕が敵の本丸を突き止めて、いち早くこのふざけた呪詛を払う。瑞穂さんは明日、機関に行って情報収集をお願い。それと昼に僕たちを直接襲った連中がもし、呪詛を放った組織と同じだったら……」


「祐人さん……」


 マリオンは頼もしい気持ちと不安が入り混じった顔で祐人を見る。


「機関も黙ってはいられないはずだ。その時に出す機関の動き……依頼は、必ず僕たちで受けて欲しい。いや、日本支部の主軸でもあるランクAの瑞穂さんやマリオンさんが、いきなりは動かしづらいということだったら、まず、ランクDの僕に依頼を出すように言って欲しい。初手としては丁度いいランクのはずだよ」


「!」


「……」


 瑞穂とマリオンに祐人の怒りが伝わってくる。


「祐人……私もやるわ。これは元々、私が出した依頼よ。それもあなたに任せたんではなくて、私とマリオンの補助という形でね」


「祐人さん! 私も行きます。一人は駄目です」


 祐人は内心悩んだ。というのも、隠密行動という意味ではこの中で自分が一番秀でている。瑞穂は中距離から長距離での攻撃力が高い精霊使い。そして、マリオンはエクソシストだ。隠密に行動するのに向いているとは言えない。

 祐人は瑞穂とマリオンの意志の込められた目を見つめる。


(ああ、こんなことが以前にも……魔界でもあったな)


“祐人は何でも一人でやろうとする! 悪い癖よ! 私も絶対行くから! 置いて行ったら、祐人に一生、補助魔法はかけないから”


“まったくだ……若い坊主は何でも自分が主人公だと酔いやがる。お前にすべて任せるほど、耄碌はしてねーよ”


“まあまあ、祐人君。私たちは仲間ですよ? 頼りにして欲しいし、仲間の心配ぐらいするんですよ。あなたが私たちを危険に晒さないように一人でしてしまおうと思うように”


 祐人の脳裏に藍色の髪のリーゼロッテと戦友との魔界でのやり取りが、目の前の状況に重なり、自嘲気味に笑った。


「……分かった。取りあえず、明日以降になると思うけどお互いの役割分担を決めよう」


「当たり前よ、祐人」


 前に迫るように言う瑞穂。


「はい!」


 祐人の返答にホッとしたように頷くマリオン。

 その二人の反応に祐人は自分の心に沸き上がる不思議な力強さを感じてしまって、意気が上がっていくのを覚える。

 祐人は大きく頷いて応えると秋子の方に視線を移した。


「その前に今、出来ることだけやっていこう。マリオンさん、法月さんに祝福をかけてもらえる?」


「あ、はい!」


 マリオンが霊力を集束させ、衰弱した秋子に出来る限りの強いエクソシストの祝福をかける。すると、祐人は秋子のベッドの横にある椅子に座り、秋子の額と秋子の下腹の辺りに布団の中から手を当てた。


「何をするの? 祐人」


「彼女の生命力を少しでも上げる」


 そう言うと祐人から濃密な仙氣が溢れ、その仙氣は祐人の手を通し秋子の身体に流れ出す。祐人は自分と秋子の間に仙氣を何度も循環させ、秋子の氣を己に自分の氣を秋子に、と何度も交換する。

 また、その間にも祐人は仙氣を練り、充実した仙氣を作り出していく。

 花蓮は不思議そうに祐人を見つめた。


「お前、何をやっている。不思議な能力……」


 暫く祐人はその氣の循環をさせていると……僅かに秋子の眉が動く。

 瑞穂とマリオンが驚き、ベッドに体を寄せて秋子の顔を覗き込んだ。


「秋子さん!」


「……う……うう、あ……、してん……じさん?」


 秋子が頼りないが、意識を取り戻し目を開ける。


「そうよ、四天寺よ。しっかりして!」


 秋子の目に僅かながら力が戻り、骸骨のようになってしまった窪みのある目を瑞穂に向けた。


「ああ、お見舞いに来てくださったの……ありがとう。シュリアンさんも……」


「はい、秋子さん! お花も持って来たんですよ?」


 秋子がベッドの横にある花に目を移す。


「ああ、綺麗ね……ありがとう」


 秋子はかすれた小さな声だがお礼を言う。

 すると、秋子は目に涙をためた。


「前に……従妹が来て、可愛いリボンを貰ったのだけど……飾るほどの髪がなくなちゃった……」


 秋子は弱々しく無理に笑おうとすると、その目尻から涙が流れる。

 瑞穂は咄嗟に秋子の手を握った。


「何を言っているの? すぐに髪の毛だって戻るわ! 秋子さんの自慢の髪の毛を見れば、今、来ている試験生の男子たちなんか、みんないちころよ?」


 秋子は少しだけ微笑むと……また、目を閉じ眠りについた。

 瑞穂は秋子の手を握りながら、そっとその痩せ切った手を布団の中に戻す。

 マリオンは秋子の涙を丁寧にハンカチで拭った。

 祐人は依然と仙氣を送り込み……そして、無言で立ち上がった。

 祐人はその瑞穂とマリオンの様子を眺めている。


「気が変わったよ。そちらが先に仕掛けたんだ。しかも……なんの罪もないこの子にこれだけのことをした。瑞穂さんとマリオンさんのクラスメイトに手を出したことの代償はキッチリ払ってもらうよ」


 祐人のその強い眼光を横で偶然、見ていた花蓮は、この少年から不思議な感情と得体の知れない恐怖を覚えた。


(何故、今日、初めて会った人のことで、こんなに怒れるのだろう……)



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