第82話 マットウの娘ニイナ
祐人はマットウ邸の部屋から出て、長い廊下を歩いていた。廊下には使用人が見当たらず、飲み物をもらうにも調理場の方に訪ねるのがいいだろうと祐人は考え、一階に降りようと横幅の広い螺旋状になった階段を下る。
日も沈みかけてきており、全体的に薄暗いが、マットウ邸は部屋以外は照明が弱めに設定されているのもあるのだろう。
祐人が階下のフロアを見渡せるところまで降りてくると、ちょうど良く執事のアローカウネが他の使用人と会話をしていた。
祐人はアローカウネに声をかけようと正面玄関の前に広がるフロアに来たところで、先にアローカウネが祐人に気付いた。
「如何なされましたか? えー、あー、お客様?」
「あ、堂杜です」
「はい、堂杜様」
祐人はそういえば名乗ってなかったこちらが悪かったなと思いつつ、アローカウネに飲み物を頼む。
「畏まりました、堂杜様。もうすぐお食事ですので、甘いものではなくさっぱりしたものをご用意いたしましょう。それではお部屋の方に運ばせましょうか? それともこちらの応接室が空いていますので、そちらでお飲みなられますか?」
「じゃあ、申し訳ないですが部屋の方に持って来て頂けますか?」
そう祐人が応えると同時に、先ほど降りてきた螺旋階段の方から凛とした声が発せられた。
「アローカウネ、ここにいましたか。ちょっと明日、出掛けたいのです。車の用意をしていただけませんか? あら? そちらの方は……お客人ですか?」
祐人が声の方に顔を向けると、階段途上に薄い褐色の肌をした理知的と呼ぶのが相応しい容貌の少女が立っていた。華奢な体ながら背筋を伸ばし、その姿勢の良さから品の良さが漂っている。恰好はミレマーの正装なのか、非常に長く大きな帯を体に巻き付けたような民族衣装のようなものを着ていた。
アローカウネはその少女に正面を向き、軽く歩み寄ると頭を下げる。
「承知いたしました、ニイナお嬢様。はい、こちらはマットウ様の護衛で日本から来られた…………お客様です」
「え? ちょっと! 堂杜ですよ!」
「あ、申し訳ありません。堂杜様です」
祐人はついさっき名乗ったのにも関わらず、名前を覚えていないアローカウネを睨む。
(会ってもいない、瑞穂さんとマリオンさんは覚えていたくせに! このおっさんは……ってニイナお嬢様? じゃあ、この人がガストンの言っていた……)
祐人はニイナを確認するように見てしまう。ニイナは階段を降りるとアローカウネの横に立ち、軽く会釈をした。
「大変失礼しました、堂杜様。後ほど夕食の際に同席させて頂き、ご挨拶をするつもりだったのですが、私はニイナと申します。私の父マットウが大変お世話になっておりまして、ありがとうございますね」
「いえ! とんでもないです。こちらは仕事をこなしているだけですので、感謝されるようなことは何もしてないです」
「いえ、父から聞いています。その歳に似合わぬ冷静さを持つ方だと」
「え!? い、いや~そんなことないですよ。本当にそんなことを? 参ったな~」
普段、褒められ慣れていない祐人はふにゃけた顔で応じる。
「ええ、そうですとも! …………………………チョロそうな人、話と違うわね……」
「え?」
「いえ、ところで堂杜さんはこちらで何をされていたんですか? まさか、お仕事中でしたら申し訳ありません」
「え? ええ! もちろんです! やはり、護衛をする者として、この屋敷の構造は理解しておかねばならないですから!」
祐人がそう応じるとアローカウネは無表情にニイナに体を向け、頭を下げる。
「こちらの堂杜様は先ほどまでお部屋でお休みなられていて、今、喉が渇いたとのことで飲み物を所望しに来たところです。さらに、堂杜様は先ほどまでお休みになられていた部屋にお飲み物をお持ちするようにと仰っていました。他の護衛の方々でありますシュリアン様はマットウ様と会議に、四天寺様はお部屋で報告等のお仕事をされていたようです」
「…………」
「あ……いや、その後、僕も仕事をね? あはは……(こ、このおっさん、悪意を感じるんですけど!)」
ニイナのジト目で肌がヒリヒリしている祐人が渇いた笑いをしていると、ニイナはニッコリと笑い、思いがけない提案をしてきた。
「ああ、喉が渇かれたのですね? ミレマーは日本に比べると日差しも気温も暑いので慣れないのでしょう。それでしたら、そちらの部屋で私と一緒に頂きませんか? 私も初対面の方々の前で挨拶をして、お食事をするよりも少しでもお話しをしたことのある方がいた方が、落ち着きますから」
「え? い、いや……これから僕も仕事をしようかと」
「それではついでに私が屋敷の見取り図を説明します。そうすれば一石二鳥でよろしいんじゃないですか? 後で実際に見るにしても先に屋敷の構造を知っておくほうが便利ですよ?」
正直、喉を潤して今日は休もうと考えていた祐人であったが、ニイナの申し出は良い申し出に思えた。他には瑞穂やマリオンに仕事をさせておいて、自分だけ休むのも悪いと思う気持ちが沸いたのもあったが。
「……そうですね、ではそうさせて頂きます。ありがとうございます、ニイナお嬢……」
「ニイナで結構ですよ」
「あ、じゃあニイナさん」
「はい、ではこちらに。アローカウネ、ではこちらの応接室に飲み物を二つお願いね」
「承知しました、お嬢様。それではご用意してお持ち致します」
ニイナは頷き、祐人を広い玄関前のフロアー横にある応接室まで案内し、中に入るように促した。
そこは立派な応接室で重厚な本棚等が並び、中央に牛革製の大きなソファーが設置されている。ニイナは祐人を先にソファーに座らせて、本棚から四つ折りにされている屋敷の見取り図を取り出して、テーブルの前に広げた。
「堂杜さん、こちらが屋敷の見取り図です。自由に見て結構ですよ。それと何でも聞いて下さいね」
「ありがとうございます。では、失礼しますね」
祐人はそう言い、見取り図を自分に見やすいように回転させて、上下を合わせた。
大きな屋敷は三階建てで、それ以外は特徴もなく何か工夫を凝らしているようには見えなかった。取りあえず、建物よりもその周囲を見る方が先かな、と祐人は考える。
他に重要な事と言えば、マットウの所在を把握しておくことだろう。
「ニイナさん、失礼ですがマットウ将軍の寝室やこちらに居られるときによくいる場所を教えてもらえますか?」
「ええ、いいですよ」
ニイナは祐人の前のソファーから立ち上がると、祐人の横に座り細かく説明を始める。
「三階にあるこの部屋が父の寝室です。それで今、行われている会議は一階のこの部屋で、そうですね、父は普段は三階にある書斎にいることが多いですかね」
「なるほど……」
ニイナは祐人に肩が触れるほど近づき、細かく説明をしてくれる。
祐人は真剣に説明を聞き、考えるように見取り図を眺めていた。
そこに祐人たちのいる応接室のドアがノックされる。
「失礼いたします。お飲み物をお持ちしました……は! お嬢様!」
アローカウネは頼まれていた飲み物を用意して部屋のドアを開けた途端、驚いたように大きな声をだしたので、祐人は吃驚して見取り図から目を離し、アローカウネに目を向けた。
「お嬢様! そのように見知らぬ殿方と親し気にされるものではありません! ささ、そこから離れて」
「別にいいじゃない。堂杜さんは父の護衛に来られた人よ? 見知らぬ殿方っていうのも失礼でしょう、アローカウネ」
「え!? あ、ごめんなさい!」
そこで、祐人はニイナが思ったよりも近くにいることに気付き、慌ててニイナと距離をとった。その祐人の態度にニイナはつまらなそうに嘆息すると、立ち上がり祐人の対面のソファーに腰を掛ける。
アローカウネはコースターを置き、二つのグラスを祐人とニイナの前に差し出すと姿勢を正した。
「ニイナお嬢様は殿方の本性を知らないのです。殿方というものは隙あらば、いつでも野獣のようになる生き物です。堂杜様も無害な顔をしていますが、その内側ではどんな邪なことを考えているか分かりません。ましてやニイナお嬢様のように穢れのない可憐なレディーを前にするとその抑えも効かなくなり……」
「ははは、抑えって……(このジジイ!)」
祐人が何とも言えない笑顔のままで固まっていると、ニイナは片方の肘をソファーの上にかけて、足を組み、先ほどからの品のある様子と打って変り面倒そうな顔をする。
(あれ? 態度が大分変ったような……)
「ああ、もう、分かった、分かったから。アローカウネはこの手のことに煩すぎるわ。この方はこの私があんなに必要以上に近づいているのに何にも気付かない人よ? こんな木石みたいな人が、父がいる家で私に何かする勇気なんてあるわけないじゃない。ここはいいからもう行きなさい」
ニイナはそう言い、空いている右手を出て行くようにと振る。
(木石? 木石って何? うん、後で調べよう……何となくいい意味ではなさそうだ)
「それとアローカウネ、あなたの発言はお客様に失礼だったわ。今すぐに謝罪なさい。客人をもてなすのがあなたの仕事でしょう?」
(いや、ニイナさんも負けずに失礼じゃ……)
「ぐぬぬ」
(あ、このおっさん、ぐぬぬって言ったよ! リアルのぐぬぬって初めて聞いたよ!)
ニイナに無礼を指摘され、祐人に謝罪をすることを指示されるとアローカウネは大きく息を吐き、祐人に体を向けた。そして深々と頭を下げる。だが、下げた頭と祐人の顔が異様に近い。
「堂杜様、まことに申し訳ありませんでした。お客人に向けてあるまじき発言でした。このアローカウネ、どのような罰も受けます。そして、いざという時はこの老体を使い、相討ちも辞さない覚悟で……」
「あ、気になさらないで下さい、アローカウネさん、僕は全然、気にしていない……って相討ち?」
アローカウネは相当に無理をした笑顔というものを、祐人に至近で見せて体を起こすと部屋を出て行った。
(もう……なんだかな~)
アローカウネが出て行くとニイナはふうーと息を吐き、祐人に顔を向ける。
「申し訳なかったわね、堂杜さん。アローカウネはいつもこうなの! 私のことになると、もう本当に! 私って小さい頃から周りに大人ばっかりだったし、みんな私のことを大事にしてくれてるのは分かってるんだけど、どうにも変わった人ばっかりで……」
「はあ、でもニイナさんも十分に変わって……」
「何かしら?」
「何でもないです」
「まあ、あなたの言うことは分かるわ。堂杜さん……ああ、そういえば下の名前は?」
「あ、祐人です」
「じゃあ、祐人でいいわね。私は堅苦しいのが本当は苦手だから、お互いに気を使わないで話しましょう」
「え? はい……(いきなり、呼び捨て?)」
「もちろん、私のことはニイナさん、でいいわ」
「……(立ち位置に差を感じるんですけど)」
「分かった?」
「分かりました!」
祐人の返事にニイナは頷くとアローカウネの持ってきた冷たいお茶の入ったグラスに口をつける。そういったところの所作は相変わらず上品に見え、育ちの良さは伝わってくるものだった。
「祐人、実はちょうど良かったと私は思っていたのよ。あなたとはお話がしたいって思ってたから」
「僕と? 何故です? 会ったのはさっきが初めてですけど」
「そうね、会うのは初めてだけど、あなたのことは父以外からも話で聞いてたのよ」
「そうなんですか!? 誰です?」
「あなたの友人のガストンさんよ」
「え!? あ、あいつ~!」
祐人はガストンからニイナことも含め、色々と聞いてはいたが、ガストンがニイナと接触していたのは聞いていない。そういう大事な事は先に言って欲しかった。それとガストンには、さん、が付いているのも何か釈然としない。
「ガストンさんの話だと、あなたのことを一番頼れて信頼できる人だ、みたいなこと言っていたけど本当かしら? 私が見る限り、そうは見えないんだけど。まあ、ガストンさんは信用ができる人だと思うから、その辺は納得するしかないわね。父も褒めていたし……」
「ははは……ガストンの信用の上での評価ですか。それで、僕と話してみたいと思ったんですね?」
「そうね。それもあるんだけど……」
「何です?」
「え、えーとね……実は、その……」
今まで滑舌も良かったニイナが突然、しどろもどろな感じになって祐人は首を傾げる。とりあえず、何故かモジモジしているニイナが話し出すのを待っていると、ニイナは意を決したような顔になった。
「わ、私は同世代の人と話したことがほとんどないの! だから、話をしてみたかったの!」
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