お節介女は見た
第21話 N香の目撃〜再会
咄嗟に手が伸びてネックレスをキャッチしたものの、またいらぬお節介をしてしまったと、N香はすぐさま後悔の念に見舞われた。
紳士が振り向いた瞬間、またこのおじさんに説教を食らうのだろうかと、息を呑んだ。
『頭の上にネックレスを載せてはいけないと定めた法律でもあるのかね』
とかなんとか……。
紳士は
「なんだね」
と、一言放った。
N香は、息を吸い込んでから、
「あの、すいません、2階から何か落ちてきたみたいだったので、受け取ったんです」
と答えた。
よくわからない説明だったが、紳士は、
「ああ、ありがとう。」
と、まさかの謝辞を返して見せた。
N香は拍子抜けした気分だったが、キャッチしたネックレスを両手でつまんで広げて、紳士に見せてみた。
紳士は会釈してからN香に背を向け、一階奥の受付カウンター方向へと向き直した。
予想を裏切る紳士の反応に、N香は戸惑いを隠せない。
しかも、何だろう、前回とは大分、雰囲気が違ってる。
なんだか優しいオーラに包まれている。
N香が呆気に取られていると、2階から、ネックレスの持ち主らしき女性がこちらに手を振ってなにか言っているのに気づいた。
こっちへ降りてくるらしい。
その時だった。
「え、L子先生!」
さっきの紳士の声だ。
結構な大音量だった。
名声会W総合病院の玄関ホールのど真ん中で、例の紳士が、10メートルほど離れた廊下を歩いている女性を、大声で呼び止めたのだ。
力が入りすぎて、やや裏返ってしまいそうなほどの大声だ。
吹き抜けの天井は高く、声が何倍にも増幅されて、辺りに響き渡った。
玄関ホールや外来受付の周辺には、そこそこの人がいて、一斉に大声の主に一瞥をくれたが、紳士は気にも止めない様子。
二階にいる人たちも柵から頭を出して階下を覗き込んでいる。
エスカレーターに乗っている人も……
あれ? あの人どこかで見たような。
は、電車の中で見た、ズボンが破れていた営業マンだ。
みんな、玄関ホールでこれから何が起こるのか、それとなく注目していた。
ただ、老婦人の様子だけが、何か違っていた。
両手で顔の下半分を覆い、ああもうだめだ、なんてことでしょうというようなことを、ぶつぶつ言ってる。
「あの、どうかしました?」
放っておけず、N香が聞いてみると、
「違うの、知らないほうがいいのよぉ〜」
とかなんとか、言って、全く要領を得ない。
一体私にどうしろというのか。
するとまた、紳士の声が響いた。
「L子先生、私です、S辺です!」
L子と呼ばれた女性は、目をぱちくりさせて立ち尽くしている。
パジャマにカーディガンを羽織った姿に、大きなトートバッグが不似合いだ。
年齢は五十歳前後といったところか。
きれいな黒髪ロングが特徴的だ。
でも何か不思議な印象を受ける。
「あら、S辺先生?」
と、少し驚いた様子で、冷たい視線を紳士に向けている。
紳士は、
「本当に、お久しぶりです。入院は長いんですか?」
「ええ、まあ。」
「それは大変ですね。実は今日、L子先生にどうしてもお伝えしたいことがありまして。」
「……。」
相変わらずの大音量だ。
なぜ遠く離れて突っ立ったまま会話しているのかはよくわからない。
L子の反応は微妙だし、紳士の声が心なしか震えている。
「L子先生、あのときのお弁当、本当に、本当に、ありがとうございました!」
「……。」
L子は思い出せないのか、固まっている。
お弁当って、なになに? この二人はどういう関係?
「もうお忘れかもしれませんね。ご迷惑かと思いましたが、あの時、きちんとお礼を言えなかったことがずっと気になっていまして……」
「お弁当……」
「はい、お恥ずかしい話ですが、仕事がうまくいかず、私がしょぼくれていた頃、L子先生がわざわざ作ってきてくださった、あのお弁当です。本当に、勇気づけられたんです。」
なんだか中学生の初めての告白みたいだな。
おじさん、手が震えてるじゃない。
しかし次の瞬間、L子が慌てたように紳士の方へ近づいてきて、きっぱりと言った。
「ああ、あのお弁当を作ったのは、私じゃありません。」
「えっ……?! ど、どういうことですか?」
紳士がたじろぐ。
な、何?この展開?!
ちょっと、いや、大分気になる。
しかしN香は、ただ見守るしかなかった。
「私は、ただ、頼まれてあのお弁当を渡しただけなんです。」
……え?!
なんか気まずくなってきたよ?!
おじさんがっくりきてるし。
「え? あ、そ、そうだったんですか? あれ? 頼まれて……って、誰に?」
「それは、私の口からは……。」
なんじゃそら。
そこまで言うならはっきり言いなよっ……って、私が口を挟む義理は、残念ながら、ない。
エスカレーターで降りてきたズボン破れの営業マンと、ネックレスを取りに来た女性も、この中年男女の奇妙なやりとりに、しばし目を奪われて立ち尽くしていた。
その時、私の背後にいた老婦人が、声を震わせて言った。
「お弁当を作ったのは私なのよおぉぉぉ」
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