第120話 新年攻勢の終焉
ナツコは防衛陣地の構築を終えるとタマキを探した。対空砲の元で警戒待機していたサネルマへと尋ねると、テント設営の指揮をとっていると教えてもらえたのでそちらへ向かった。
レーベンリザ中尉率いる小隊は、拠点占領後のために簡易テントをいくつか運んで来ていた。タマキはそんなテント群の傍らで、カリラとレーベンリザ中尉と話していた。
士官の2人なら分かるのだが、カリラが混じっているとなるとどういう組み合わせだろうとナツコは疑問に思ったが、まずは報告を済ませるためそーっと近づいた。
「あら、ナツコさんどうしました?」
ナツコに気付いたタマキが声をかける。ナツコは駆けよって、敬礼しようとしたがそれをタマキは制した。
「敬礼は不要です。どこに敵の目があるか分かりませんから」
「は、はい。では報告です。北東方面の防衛陣地構築完了しました」
「ご苦労様。ではフィーさんと共にリルさんの手伝いへ向かって。南方面です」
「はい! あ、あのそれとお願いが」
タマキは無言で頷いて先を促した。
「トーコさんの様子が気になるので、面会の許可を頂きたいなあと」
「今は安静にさせておきたい所ですが――少しだけですよ」
「はい! 分かってます!」
「念のためユイさんの確認をとって、許可が得られたら構いません」
「ありがとうございます――え? ユイちゃんですか……」
ナツコは喜びから一転、表情を曇らせた。
ユイはあまりナツコのことを良く思っていないようで、会う度にグズだの間抜け面だのと罵倒されてきた。そのユイがトーコとの面会を許してくれるかどうか、ナツコには薄らと答えが分かっていた。
「しっかり許可をとるように。それが条件です。よろしいですね?」
「……はい」
あまりよろしくは無かったのだが、ここで断ってタマキの許可すら得られないとなると微塵も希望がなくなってしまう。ナツコは渋々と頷いた。
「そういえばカリラさんはどうしてここに?」
「ヴェスティに見つかって声をかけられたから仕方なく来てやっただけですわ」
「うん?」
カリラが面倒そうに手のひらで示したヴェスティと呼ばれた人物は、指揮官機を装備していた。指揮官機を配給されるのは、最低でも分隊長。ナツコと同じ一等兵扱いのカリラが呼び捨てに出来る相手ではないはずの相手だった。
「ええと、ヴェスティさんはカリラさんと知り合いなんですか?」
尋ねると、ヴェスティは凜々しい顔を緩ませて答える。
「カリラとは同級生でね。ハツキ島ではよく遊んだ――というより、イスラに連れ回されて良いように遊ばれてただけかも知れないが、そういう仲だ。
中等部を出た後はトトミ惑星首都の士官学校に通って士官になったんだ。今じゃニシ少尉のお兄さんの世話になってる」
「へえ。ってことは、ヴェスティさんもハツキ島出身なんですね!」
ナツコは同郷出身のヴェスティに会えたことを喜んだが、タマキは咳払いして中尉を名前で呼んだことに対して修正を求める。
「レーベンリザ中尉です。言葉遣いに気を付けること」
「あ、ごめんなさい、そうですよね」
ナツコの謝罪に対して、ヴェスティは微笑む。
「構わないよ。カリラの友人で同郷の出となれば家族も同然だ」
「そうやって適当なことばっか言って。相変わらずですわね」
相手が士官だというのにカリラは態度を気にする素振りすら見せず、タマキに細めた目で睨まれても訂正しようとしなかった。
「カリラさん、お友達でしたら是非ハツキ島義勇軍に」
「いけませんわ。これでも一応中尉だそうですから、引き抜いてしまっては少尉さんの立つ瀬がありませんもの」
カリラの物言いについていよいよタマキは怒ろうとしたのだが、それを察知したヴェスティは先に口を開く。
「ニシ少尉の下で働けるなら光栄だけどね」
そのせいでタマキはカリラを叱りつける機会を逃し、むすっとした顔で「冗談は困ります」と返す。
「昔はさておき今はお偉い中尉さんだそうですから期待してますわ。ではわたくしは作業がありますから失礼します」
カリラは重装機を装備したまま優雅に礼をして、〈音止〉の駐機してある方向へと向かっていった。
「カリラは変わってないようだね。修理工場で働いているときいたが、大学へは進学しなかったのか?」
「してないはずです。確かに中等部の成績は良かったようですね」
答えたタマキは取り出した士官用端末を見る。
カリラの経歴には大学進学の記録は無く、中等部後期課程を終えた後は修理工場で働くために職業訓練学校へ進学し、資格取得後はイスラと共に働いていた。
「特に技術分野では飛び抜けていてね。それだけでなく生物や脳科学も専門家顔負けの知識を持っていて、大学から推薦を貰っていたんだ。でも結局工場を選んだみたいだね。昔から〈R3〉とイスラのことが大好きだったからそうだろうとは思っていたけど、ちょっと残念だ」
「初耳ですね」
公式な記録には中等部課程に存在しない応用生物学や脳科学については記されることはない。
それに課程に存在しない分野の知識をカリラがどうやって習得したのかも謎だった。とはいえ独特の家庭環境で幼い頃から無資格で〈R3〉をいじっていたようなので、学問へ興味を持つきっかけは存在したのだろうとは考えられた。
「へえ、カリラさんが……。意外ですね」
ナツコが思ったことを口にすると、タマキに視線を向けられた。
タマキは何をいうでもなくそのまま見つめていたが、伝えたいことが伝わっていないと理解出来ると口を開く。
「ナツコさん、あなたが今やるべき事は何ですか? 必要無いのであれば先ほどの許可は取り消します」
「あっ! そうでした! 直ぐユイちゃんに許可貰って来ます! 失礼しました!」
慌てて頭を下げたナツコは早足でカリラの後を追いかけた。
タマキはその背中を、大きなため息をついて見送った。
〈音止〉の元ではカリラを待っていたユイが、ようやくその姿が見えると「遅い」と早速文句を言い始めた。
されどカリラもその辺りの扱いには慣れているようで、軽く謝ると直ぐに作業の話を切り出して指示を受けた。
遅れてやってきたナツコは、指示を出し終えて〈音止〉に乗り込もうとするユイへ声をかける。
「ユイちゃん、ちょっといいですか?」
「良くない。グズの相手をするつもりはない」
言い切られて思わず身を引きそうになったが、ナツコは一歩踏み出して告げる。
「トーコさんのことです。面会の許可を頂きたくて」
「面会だ?」
無視して作業を続けようとしていたユイだが、トーコの名前が出されると反応し、〈音止〉の昇降用ワイヤーにかけていた足を下ろしてナツコの元へずかずかと、小さな体で精一杯大股で歩いてやってきた。
「面会してどうする」
「あの、様子を伺いたいなと。トーコさんのこと、心配で」
「お前が会って何になるって言うんだ」
「それは――でも……」
会いたいから、と消え入りそうな声で告げた。
ユイは濁った瞳を半分閉じたまま、ナツコの顔をまじまじと見つめる。
「お前みたいな鈍くさい奴がどうして……」
次に出てきたユイの言葉は自分に問いかけるようで、そのままユイは瞳を更に気怠げに細めると、不服そうに告げる。
「あたしゃ〈音止〉の整備士としてパイロットの整備を行う義務がある。だがあのバカと来たら、腕が悪いのはともかく精神にまで欠陥を抱えてやがる。生憎カウンセリングはあたしの本分じゃ無い。
お前みたいのに任せたくは無いが、あいつがお前に心を許しているのは事実だ。不本意だが、その点においてお前は利用価値がある。
あいつの睡眠時間を奪わない限りは好きにしろ。そして無駄なことをせず今は寝てるように言いつけておけ」
散々言われながらも結論だけ言えばトーコとの面会許可を得られたので、ナツコは大きく頭を下げた。
「ありがとうございます、ユイちゃん! あの――」
「言ったはずだ。お前の相手をするつもりはない。分かったならさっさと行け」
「はい!」
厄介払いされたが、それでもナツコは許可を得られたことに喜んで、その場を離れて司令部跡へと向かった。
一階の奥の部屋へ進み、カーテンで仕切られた向こう側へ声をかける。
「あの、トーコさん。起きてます?」
「ナツコ? 起きてるよ」
返事を確認するとナツコはカーテンを開けて、仮設病室へ入る。
トーコは手にしていた拳銃を枕元において出迎えた。上体を起こしたトーコの元でナツコはかがみ込む。
「どうしたの? 何かあった?」
「え? 何かあったのはトーコさんですよ! また無茶して!」
「してないって。普通に拡張脳を使って、普通に体調崩しただけ。倒れてもいないし、意識もはっきりしてる。何ともないよ」
「私、トーコさんが無事かどうか確認しに来たんです。本当のことを教えて下さい。本当に何ともないんですか」
ナツコはなるべく感情を小さくして、トーコが体で隠すようにしていた氷嚢を引っ張り出すとそれをトーコの額へと押し付ける。
不意をつかれたトーコは居心地悪そうに唇を噛み、それから全てを諦めて正直に話した。
「言ったでしょ。普通に体調崩しただけ。熱と頭痛が酷いけど、ちゃんと休んでたら治るから」
「やっぱり何ともなくないじゃないですか」
「寝てたら治るから大丈夫だよ」
「分かりました。じゃあちゃんと寝て下さい」
体を起こしていたトーコへと、ナツコは枕の位置を直して見せて横になるよう示す。
トーコはあらがう手段も無く、示された通り横になった。
「休むのも兵士の大切な仕事ですからね」
ついさっき自分が言った言葉をそのまま返されたトーコは唇をとがらせた。
ナツコはトーコに対して言ってやれたことに気をよくしたが、体調不良のトーコを心配して小さな声で話す。
「拡張脳を使ったトーコさんとっても強かったです。多分、使わなかったら私たちは山頂まで辿り着けなかったと思います。――でも」
「リスクはどんなものにだって存在するから。それに、今回はちゃんとそれも調整できた」
「トーコさんがこんなに体調を悪くしてるのにですか?」
ナツコは一度氷嚢を取り上げた。結露した水で濡れた額は白かったが、次第に熱によって赤く染まっていく。
「拡張脳を使ったら熱が出る物なの。でも前より悪くない。多分だけど、私が拡張脳の扱いに慣れればもっと影響は小さくなる。だから、これからも使うべきときが来れば何度だって使う」
トーコの決意の籠もった瞳で見つめられたナツコだが、それでも首を横に振った。
「私にはそれを止める何の権限もありません。でも納得したわけじゃないです」
「うん。分かってる」
「今はしっかり休んで下さい。ユイちゃんにも、しっかり寝るよう言いつけておくよう命令されましたから」
「ユイがナツコに? 珍しいね。でも寝るのは了解。隊長命令でもあるし。それに、日が昇る前に帝国軍が攻めてくるだろうから、それまでに体調戻しておかないといけないからね」
「帝国軍はやっぱり攻めてきますかね?」
ナツコは氷嚢を戻しながら尋ねる。
トーコは答えに迷いを見せたが、小さく頷く。
「普通ならね。でも――」
「何か気になることが?」
「そこまで言うほどでもないけど、ユイの様子がね」
「ユイちゃん?」
トーコとの面会を許可してくれた金髪碧眼の少女の顔をナツコは思い浮かべる。
ナツコはユイに毛嫌いされているようでまともに相手をしてもらえないことが多かったが、トーコはパイロットとして扱われている。
自分が気にならないようなこともトーコなら気がつくのだろうなと、ナツコは先を促した。
「うん。どうも平然としてるというか、平然としすぎてるというか。この山頂基地を奪還しようとしたら帝国軍は〈ハーモニック〉を持ってくるだろうし、後方基地から砲撃もしてくるだろうけど、あんまりそのあたり気にしてる風じゃないんだよね。
〈音止〉も拡張脳使えないし出力も下がってて私もこんな状態なのに、戦闘始まったときのことなんてまるで考えてもいないみたいだし。
ナツコはユイと話したんだよね? どんな感じだった?」
「どんな……」
山頂に来てからのユイの様子をナツコは懸命に思い返す。
タマキは帝国軍が攻めてきたときのためにあれこれ考えているようだったが、ユイはそんな風では無かった。
対歩兵のガトリングを〈音止〉に装備させようと言う話が出たときも最初面倒だと口にしていた。
でも作業はしっかり進めていたようだし、〈音止〉の整備も行っていた。
トーコの疑問にしっかりと答えるような解答は出来そうになく、ナツコはかぶりを振って答える。
「ちょっと私には判別がつかないです」
「そっか。そうだよね。ユイのことはなかなか分からないよね」
力になれなかったことを謝罪したナツコへ、トーコは気にしないでと返した。
でもナツコの頭の隅にも何かが引っかかっていた。帝国軍はこの山頂には攻めてこないかも知れない。そんな考えが芽生える。
「きっと大丈夫ですよ。今度は私がトーコさんを守りますから」
「心強いね。それじゃ、私は自分の仕事に戻るよ」
「はい。しっかり寝て下さいね」
ナツコはトーコが目を閉じるのを確かめて、仮設病室から出るとカーテンをしっかり閉める。それから、言い渡されていた任務へと戻った。
◇ ◇ ◇
防衛陣地の構築は深夜まで続けられ、山頂司令部と新たに設営されたテント群を守るようにして兵士が配置された。
ナツコはフィーリュシカと共に、山頂北東側に位置する簡易陣地に〈ヘッダーン1・アサルト〉を装備した状態で配置された。
武装は12.7ミリ機銃。カートリッジ式のグレネードと煙幕弾を投射可能な汎用投射機。それにロケット発射機。ロケットの弾頭は〈ハーモニック〉の振動障壁を無効化し損傷を与えることが可能な、3連タンデム弾頭が2発。
後は個人防衛火器に拳銃、ハンドアクスも所持しているが、対〈R3〉戦では個人防衛火器しか役に立ちそうになかった。
訓練は重ねてきたが、それでもナツコは近距離の戦闘がどうしても苦手だった。
長距離での戦闘でも、遠くの的を撃つためにはしっかり集中して狙える環境が必要だ。そうでなければ、弾道計算が中途半端にしか行えず弾はあさっての方向へ飛んで行ってしまう。
警戒は交代制。
日付が変わり、統合軍21年の2日目になった頃から配備についたナツコとフィーリュシカは、闇の中、木の幹と土嚢で構築された陣地で、山頂へと通じるルートへ目を凝らす。
暗視スコープは数に限りが有ったため2人には配備されなかった。
侵攻ルートとして可能性の高い北東側だが、タマキはフィーリュシカが配備されたことで警戒態勢に問題はないと判断した。
フィーリュシカ自身も、任せて頂いて構わないと、暗視スコープ無しでの夜間警戒を引き受けた。
月は雲に覆われていて、明かりは乏しく山中は闇に等しかった。
聞こえてくるのは風の音と、断続的に響く砲撃音。
そんな中で警戒に当たっていると、フィーリュシカが消えそうな声でナツコの名を呼んだ。
「ナツコ」
「はい。見えました」
ナツコは即座に応える。
闇の中、山頂へ続く斜面を、一歩一歩確かめながら帝国軍の偵察機〈コロナC型〉2機が移動している。
2機とも暗視スコープ装備。主武装は14.5ミリセミオート。
闇の中を移動しているはずだがナツコは敵機そのものも、それによって動かされる背の低い草の揺らぎすらしっかりと認識していた。
「出力を上げないで。隊長殿へ連絡を。攻撃許可を求めて」
「はい」
フィーリュシカは装備している14.5ミリ機銃を〈R3〉の駆動力に頼らず、音を立てぬように動かし始めた。
重装機の〈アルデルト〉ではそういった動作は困難なはずだが、フィーリュシカのやることにいちいち驚いていたらきりがない。ナツコは自分のやるべき事を優先した。
「こちら北東班。偵察機〈コロナC型〉2機確認。偵察目的と思われます。攻撃許可を」
辺りに声の響かないよう口の中でぼそぼそと呟くようにしたのだが、タマキには通じた。即座に返答が返ってくる。
『了解。少し待って』
タマキは指揮官であるヴェスティの許可を求めたのだろう。
言葉通り少ししてから、ツバキ小隊全員宛に通信が繋がれた。
『ツバキ各機へ。敵機の接近を確認。各員、敵の攻撃に備えて』
それからナツコとフィーリュシカへ向けた通信がされる。
『北東班、攻撃許可。可能な限り撃破を』
「承知した」
フィーリュシカとナツコは返答する。
既に銃を構えているフィーリュシカは、右側を移動している班長と思われる機体を狙っていた。
ナツコは出力を押さえた状態で〈ヘッダーン1・アサルト〉の左腕を動かし、装備している12.7ミリ機銃の銃口を左側を移動している機体へと向けた。
こういうとき旧型の機体は使い勝手が良い。あれやこれや装備のついていない旧型機体は、低出力状態でも意のままに操ることが出来た。
「自分1人でも2機撃破は可能」
「いえ、撃たせて下さい。出来ることは全部やらないと、胸を張ってハツキ島に帰れませんから」
「そ。分かった。射撃後出力回復。念のため反撃に備えて。5秒後に撃つ。5、4、3、2、1……」
フィーリュシカのカウントが始まると、ナツコは目を凝らし、自分が攻撃すべき〈コロナC型〉を注視した。
低出力モードのため注視点ズームも火器管制のロックも働かない。
されど、ナツコは灰色に染まった視界に映る敵機の姿を、その動きを、正確に捉えていた。
使い慣れた12.7ミリ機銃の弾道は完璧に頭の中に入っている。
風向き、標高、気圧、温度、周辺の状況を頭の中に取り込んで、敵機までの弾道を計算。
距離500メートル。
的は動いているが遅い。山頂方面を確かめながらゆっくりと動く姿は、集中したナツコの前では止まっているようにすら見えた。
フィーリュシカのカウントは1までで終わった。
ナツコは最後の1秒を自分で数え、脳内で0を告げると同時に仮想トリガーを引ききった。
――ごめんなさい。謝っても許してもらえることじゃないことは分かってます。でも、それでも私は、故郷のために戦う事を決めたんです。
乾いた銃声が2発同時に響く。
2発の銃弾は、銃声に驚いた〈コロナC型〉2機の脆弱な装甲を貫通し、その内側へ致命的な一撃を加えた。
その瞬間をナツコは見届ける。
撃てと命令された。相手は自分たちの敵だった。見逃したら仲間を、そして自分の命すら失う。
そんなのは言い訳に過ぎない。自分で相手を殺すと判断して、自分で引き金を引いたのだから。その苦しみは、自分が抱えるべきものだ。
「辛いなら思い悩む必要はない」
タマキへと敵機撃破の報告をいれ、警戒待機を命じられたフィーリュシカは返答の後、そうナツコへと声をかけた。
「いいえ。辛いから思い悩む必要があるんです」
だがナツコはそれを否定する。
それから通常出力に回復された〈ヘッダーン1・アサルト〉の光学ズームを使って周囲の警戒を開始し、直ぐに敵機がもう存在しないことを確かめた。
「そ。あなたがそう思うならそれでいい」
「はい。心配してくれてありがとうございます」
ナツコはあらためてトーコの強さを知った。
自分はたった1人を殺しただけでこんなにも辛い思いを抱えてしまうのに、トーコは今日だけでも数多の敵兵をなぎ倒し死に追いやった。それでも戦う意思を失わず、拡張脳ですら使うべきならば何度でも使うと言い切ってしまう。
それに対して自分は、なんて中途半端なのだろうか――
「どこまで見えている?」
後ろ向きなことを考え始めた最中、ふとフィーリュシカが問いかけた。
その言葉に思考を切り替えて、返答しようと目を凝らして遠くを見てみる。
月は雲に隠れたままで闇も同然だったが、意識を集中すれば明るさは増し、遠くまでよく見えるようになる。
「600メートルまでは見えてます。その先は障害物が多くて」
「昔から目は良いのか」
「それなりでした。でも自分でも不思議なんですが、最近になってからどんどん良くなっているんです。それも目を凝らせば凝らすほどに」
「そう。でも目が良くなったのでは無い。ただ脳が補正を加えて良く見えるように処理しているだけ。その能力が急速に成長している」
「え? あ、でもそう言われると、そうかも知れないです」
寝起きや集中を切らしているときはいまいちぼんやりとしか見えていないことを思い出してナツコは頷いた。
「あなたの射撃は正確だが効率的とは言えない。既にあなたの脳は十分な思考能力と認識能力を有している。もし出来ることは全部やりたいと望むなら、複数のことを同時処理可能なよう訓練すべき」
フィーリュシカに言われて、ナツコは気がついた。
確かに狙撃するのにも、1つのことに集中しているようでその実、無意識のうちに複数のことを実行している。
遠くの的を捉え、その動きを予測し、風速を読み取り、弾道を予測し、着弾時の運動エネルギーを計算し、装甲と衝突したときの銃弾の軌道を計算し、他にも細かい処理をいくつも重ね、さらにそれを何度も繰り返して最適な射撃方向を調整している。
無意識のうちにやっていたそれを意識して出来るようにしたならば、今よりもっとハツキ島のために出来ることが増えるかも知れない。
ただそれは同時に、敵とはいえ人を殺すことが増えることも意味しているのだが――
「助言であって強制ではない」
「いえ、ありがとうございますフィーちゃん。私、出来ることは全部やるって決めたんです。だから今度、訓練に付き合って下さい。ハツキ島を取り戻すためにはもっともっと強くならないといけないんです。
――それに、トーコさんに無茶させないためにも。
フィーちゃんより強いくらいじゃないと、〈音止〉のかわりにはなれませんから!」
ちょっと大きく出すぎたかなと思うナツコに対して、フィーリュシカは無感情に短く「そ」とだけ返して、それから言葉を続けた。
「あなたがそれを求めるのであれば訓練には付き合う。だが自分は他人に物事を教えることが不得意だと自認している。可能なら他者を当たった方が良い」
「自覚、してたんですね……。でもフィーちゃんに是非教わってみたいです」
「そ。なら構わない。だが今は難しい。任務の最中」
「分かってます。付近に敵影無し。出力、落としましょうか?」
「落として。そのまま警戒待機」
「はい! 了解です!」
ナツコは〈ヘッダーン1・アサルト〉を低出力モードに変更し、そのまま警戒を続けた。
◇ ◇ ◇
早朝、日が昇る頃まで警戒は続けられたが、帝国軍はST山地へ攻勢をかけることはなかった。
結局山頂防衛作戦での戦闘はナツコとフィーリュシカによる偵察機撃破のみで、早朝には統合軍の特科部隊が山頂に到着し、ST山地は統合軍砲撃陣地が築かれ、統合歴21年2日目の反転攻勢を大いに助けた。
統合歴21年、年明け未明に開始された帝国軍による攻勢、通称新年攻勢は大失敗に終わり帝国軍側に10万以上の死傷者を出した。
対して統合軍による防衛作戦、及びその後の反転攻勢は大成功を収め、統合軍は惑星トトミでの戦いにおいて初めて戦略的勝利を掴んだ。
その影響はあまりに大きく、トトミ中央大陸で帝国軍側に傾いていた戦力バランスは拮抗。最前線における主戦力を失った帝国軍は壊走しレイタムリット基地を放棄。
統合軍はこれを奪還した。
大勝利に沸く統合軍は、ある前線において発見された、不可解な形で壊滅していた帝国軍大隊にさして注目することもなく、それは杜撰な調査の後、1枚にも満たないレポートにまとめられてデータベースの海に投棄された。
◇ ◇ ◇
〈ハーモニック〉2機、〈バブーン〉3機を含む帝国軍大隊がST山地に隣接する山地麓にて全滅。
帝国軍歩兵のほとんどは〈R3〉を装備せず。残されていた機体から回収されたデータは僅か。
攻撃の痕跡から100ミリクラスの榴弾砲、いくつかの近接武器の使用を確認。死体調査結果から強力な音波による攻撃が行われた可能性有り。
真相は不明。追加調査の必要を認めず。
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