時間と密度と距離のカンケイ 6

 あのふたりがそんなことをするはずがない。それは信じているのだけど、吸血鬼と人間のペアなんて、そんなにあるものではない。

 遥さんと紫綺しきくんみたいな関係ではないふたり組。吸血鬼が人間を非常食として関係を結んでいる可能性がある。その場合、人間の側が隷属しているのか、心酔しているのか。


 長谷部さんがその人物とは思えなかった。けれど、とりあえず手がかりは彼しかない。

 免許証に記載されていた住所へ、透さんが車を走らせてくれる。引っ越ししていないと良いのだけど。


 住居は普通のアパートだった。お部屋に大勢で押しかけるのもご迷惑なので、裕翔くんと誠史郎さんと私というお昼と同じ顔ぶれで行くことになった。

 誠史郎さんがインターホンのボタンを押すと廊下を歩く音が扉の向こうから響く。

「はーい……」

 ドアを開いたのは20代とおぼしき、セミロング髪の女性だった。お風呂上がりなのか髪が濡れている。かわいいけれど目のやり場に少し困ってしまうワンピースの部屋着にカーディガンを羽織って現れた。

「あれー?ピザ屋さんじゃなかった」

「はい。申し訳ありません」

 誠史郎さんの笑顔を女性は頬を染めて見惚れている。


「何勝手に出てるんだよ!」

 奥から男性の少し怒ったような声が聞こえた。

「えー、だってピザ来たと思って……」

 女の人は中にいる相手に言葉を投げかけている。

 どすどすと足音がして、現れたのは長谷部さんだった。


「あ……あんた」

 誠史郎さんの顔を見てぎょっとしたようだけど、どこかほっとしているような空気もある。

「こんばんは。突然押し掛けて申し訳ありません。長谷部さんはどなたから真堂家への依頼を頼まれたのかお教えいただきたいと思いまして」


「えー、なになに?」

「お前は首突っ込むな!中で待ってろ」

 女性はおどけるように肩をすくめて部屋へ戻って行く。少しかわいそうな気がした。長谷部さんも、そんな言い方をしなくても良いと思う。


「何かマズイことでもあるの?」

 裕翔くんは首を少し傾けて呟く。

「あんたたちに関係ないだろ!」

「和服の男性に脅されましたか?女郎蜘蛛に食い殺されるか、吸血鬼に協力するか選べと」

 誠史郎さんの眼鏡の奥の両眼が鋭く光る。長谷部さんは言葉に詰まって唇を噛んだ。

 女郎蜘蛛さんの言っていた懲らしめなければいけない悪い男というのは、彼のことだろうか。


「……ど、どうして」

「こちらもプロですから、舐めていただいては困ります」

 誠史郎さんの口元は穏やかに微笑んだけれど、切れ長の双眸は鋭く細められる。

「何か特徴は覚えていませんか?」


「き、傷……」

 長谷部さんは怯えていた。それは誠史郎さんに対してなのか、彼を無理やり協力者にした相手に対してなのか、私にはわからなかった。

「左の手に、大きな傷痕があった……」

「左手に傷、ですか」


「もういいだろ!俺には関係ない!帰ってくれ!」

 誠史郎さんが一歩退くと、バタンと乱暴に扉が閉められる。

「おやおや」

 小さくため息をついて背の高い彼は私と裕翔くんの方へ振り向く。


「珠緒さんに伺ってみましょうか。傷のある吸血種なんて珍しいでしょうから」

 廊下を歩き始めた誠史郎さんの背中に私と裕翔くんはついて行く。

「あの人さー……」

「裕翔くんの言いたいことはわかります。しかし私たちも慈善事業ではありませんから、彼の心がけ次第です。吸血種の言ったことをきちんと聞いていれば、命を狙われていることは理解できるのですから」


 あの様子では、脅されたので怖がってはいるけれど、本当に生命の危機にさらされているとは思っていないだろう。

 たくさんの女性の恨みが募って女郎蜘蛛が呼び出される事態なんて相当なのに。


 裕翔くんの優しい気持ちに、私は彼の手を握りたくなった。誠史郎さんに気づかれないようにそっと指を絡める。裕翔くんはちらりとこちらを見て小さく微笑んだ。

「ま、とりあえずオレを悪者にしたい吸血鬼に会わないとね」

 思いなしか、いつも明るい声が更に弾んでいる気がする。


 相手の目的がさっぱりわからないけれど、裕翔くんに良くない感情を抱いていることは間違いない。

 穏便に済ませることができればいいけど。



 家へ帰るとすぐに珠緒さんに連絡をして、左手に大きな傷痕があって人間と行動を共にしている吸血種のことを聞いた。

 人間だった吸血種でもともと傷痕があったひとか、最近大ケガをしたのか。どちらにしても珠緒さんには探しやすいみたいで、特定にそれほど時間はかからないだろうと、力強い言葉をもらった。


 何だか今日は長い一日だった。もう日付が変わってしまっている。

 一番最初にお風呂に入らせてもらって、部屋に戻る。ベッドにうつ伏せで倒れ込んでいると、小さくドアをノックする音が聞こえた気がした。

「はーい……」


 のろのろ起き上がってドアを開くと、お風呂上がりの裕翔くんが笑顔で立っていた。

 どうしたのだろうと少し首を傾げて彼を見上げるけれど答えはなく、すぐに猫のようにするりと部屋に入ってしまう。

 あっけにとられているうちに、裕翔くんが私のベッドに潜り込んだ。

 ニコニコと手招きをされて戸惑ったけれど眠気に負けて素直に従ってしまう。


「おじゃまします……」

 布団に入るなり裕翔くんにぎゅっと抱き締められて、おでこにキスされる。

「今日はちゅーしてない」

 鼻の先が触れ合う距離で唇を尖らせた。困っておろおろしてしまうと裕翔くんは頬を緩ませ、触れるだけの短いキスを唇に落とした。


「みさきは気持ち良いなー」

 引き寄せられて、裕翔くんの胸に顔を埋めるような格好になる。いつも通りの彼で良かったと安心すると急に睡魔が襲ってきた。

「……みさき?」

 頭上で裕翔くんが私を呼んでいるけれど、もう答える気力がない。声がどんどん遠ざかって行くと感じながら、瞼が閉じてしまった。

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