愛の病 6
学校が終わって一度家に帰ってから透さんのミニバンにみんなで乗せてもらう。
県をまたいで隣の市にある依頼者のお宅へ伺った。到着したときにはすでに日は暮れてしまっていた。
住宅街にあるコンクリート打ちっぱなしのおしゃれなワンルームマンションの一室で、コンビニでバイトをしている大学生さんが独り暮らしをしているそうだ。今日は彼女さんもここに来てもらっている。ふたりとも少し疲れているように見えた。
近所の方には事前に住人から少し騒がしいかもしれないと挨拶をしてもらっておいた。
彼らに事情を説明して、部屋の中央に並んで座ってもらう。ふたりを護るための結界を誠史郎さんが張り巡らせた。そして眞澄くん、淳くん、裕翔くんが外側でそれぞれの武器を手に護る。私は邪魔にならないように誠史郎さんの隣に座っている。
内側にいるのでまず戦うことはないとわかっているのに、緊張から護身用の破魔の短刀を膝の上で握る手に余計な力が入ってしまう。落ち着かなくてはと深呼吸するけれどうまくいかない。もう一度大きく息を吸ったとき、誠史郎さんの大きな手が私の手の甲を包んだ。
どきりとしてゆっくり振り向くと柔和に微笑む誠史郎さんがいた。
「安心してください。何が起こっても私がみさきさんを守ります」
他のひとには聞こえない小さな声でに耳元で優しく囁かれる。
「……ありがとうございます」
少し照れてしまうけれど、妙に張りつめていたものが解けた。
いつも霊が侵入を試みる窓の前に透さんが立つ。その背中はいつもの飄々とした透さんとは違い、闘志に溢れている。
「ほんなら、行くで」
ちらりとこちらを振り返った口角には、不敵な微笑がひらめいていた。
悪霊たちが入ってこられないようにするための札が窓枠に何枚も貼られているので、流れるような動作で透さんが剥がして行く。
窓の外には母娘の怨霊に引き寄せられた雑多な霊たちが封印の解けるのを待ちわびていた。私にはそれが黒い塊のように見える。中心には娘さんの怨霊とそれを抱き締めているようなお母さんの生き霊がいる。
霊力のないふたりにも見えるようで、彼らは後ろで悲鳴を上げて抱き合いながら後ずさった。
「ここから出ないでください」
背後のふたりへ誠史郎さんが冷静に告げる。
最後の1枚を剥がすのと同時に、バン、という大きな音がしてひとりでに窓が内側へ開いた。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前!」
透さんが手刀で九字を切る。それだけで周囲の空気が清廉になり、触れた霊たちが浄化されていく。
「ノウマク・サマンダ・バザラタン・カン!」
凛とした声音で真言を唱えると、数枚の退魔の符を鋭く放つ。それでもう対峙するのは1番強い親子の霊だけになった。
「凄い……」
眞澄くんから思わず溢れた言葉。私も同感だった。
生き霊は透さんを倒さなければ先には進めないと感じたようだ。怨霊と共にこちらへ威嚇するような表情を見せて、黒い靄を鞭のようにしならせ何本も伸ばしてくる。
狭い空間で器用にそれを避けながら長い指が印を結んでいた。だけど黒い靄は触手のように透さんを絡め取ろうと蠢いている。
「ノウマク・サラバタタギャテイバク・サラバボッケイビャク・サラバタタラタ・センダマカロシャダ・ケンギャキギャキ・サラバビギナン・ウンタラタ・カンマン」
言い終えた瞬間にゴオッと音を立てて大きな赤い円が炎のように燃え盛り、透さんを襲おうとする邪気を焼き払う。
「カン!」
研ぎ澄まされた一声で怨霊と生き霊は業火に包まれる。炎と共に彼女たちが完全に消え去るまで、私も皆も固唾を呑んで、いつでも打って出られる構えを崩さないでいた。
窓の外が正常な気配に戻り、住宅街の夜はぼんやりと街灯に照らされている。
親子を注視して最後の印を結んだまま微動だにしなかった透さんが、大きく息を吐いて崩れるように床に座り込む。その身体を支えるように眞澄くんが傍らに滑り込んだ。
「大丈夫か?」
「……おかげさんで」
少し横を向いた透さんの顔は消耗していた。それだけ精神を集中していたのだろう。私もほっとして肩の力が抜ける。隣にいて手を握ってくれていた誠史郎さんを見上げて頬が緩んでしまった。誠史郎さんも優しく微笑み返してくれる。
透さんは眞澄くんの手を掴んで立ち上がると、不敵な笑顔を作ってこちらへやって来る。
「もう問題ないけど、しばらく浄めの塩と護符はしといた方が安心やと思う」
依頼者のふたりは何度も透さんに礼を言って頭を下げていた。
部屋の片付けと今後の話を終えてお暇する。
廊下を数歩進んだところで後ろから透さんがおぶさってきた。
「みさきちゃん。俺、もう一歩も歩かれへん……」
猫なで声でそう言った透さんは、さっき凛々しく除霊していたひとと同一人物とは思えない豹変ぶりだ。だけどきっと、とても疲れているのだろう。
「透さん……」
透さんの手を握ろうとしたとき、淳くんの白い手が伸びてきて私より先に掴んでしまった。
「そんなにお疲れだと気がつかず申し訳ないです。みさきでは支えられないので、僕の肩をどうぞ」
「……ほな、お言葉に甘えようかな」
透さんはすんなり淳くんに身体を預ける。そして上着のポケットから車の鍵を取り出した。
「センセ、悪いけど運転頼むわ」
誠史郎さんがそれを受けとる。眞澄くんが空いている透さんの腕を取って肩にかけた。
「お疲れ」
「大ケガしたみたいやなー」
ニコニコしながら軽口を叩いていたけれど、本当は指先ひとつ動かすのも億劫なほど疲弊しているみたいだった。
†††††††
一見して長い間手入れがされていないとわかる、周囲とは異質の淀みを感じる家の前に遥と紫綺は立つ。中からは微かに地を這うような呻き声が響いていた。
紫綺が不機嫌そうに眉をひそめる。
「もう中のババアは何もできない。放っておけばいいだろ。自業自得だ」
「確かに彼女のしたことは良くないことだけれど、相応の罰は受けた。それに放置したらまた周りのひとに迷惑がかかるかもしれないだろう?」
遥が玄関のドアノブに手をかけると、鍵はかかっていなかった。
「お邪魔します」
丁寧に挨拶をしているが、勝手に上がり込む遥の背中を紫綺は慇懃無礼だと半ば呆れて眺める。それでも彼の後をついて行く。
仏壇の置いてある和室で、家主が透に生き霊を返された影響をまともに喰らって七転八倒していた。
「透は繊細さが足りないね」
遥は鬼のような形相で痛みと苦しみにのたうち回る女性の傍らにしゃがみこむと、彼女の両目を掌で覆う。
「……幸せな夢の中で生きてください」
みるみるうちに彼女は大人しくなり、窶やつれた顔には幸せそうな微笑みさえあった。
「貴方……」
紫綺はふと仏壇に目をやる。そこには亡くなった娘の写真と並んで、夫と思われる人物のものもあった。
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