恋の棘 8

 朝起きてから、接しているとやっぱり何か変な気がする。

 と、いうか。微妙に避けられている。本当に微妙にだけど。多分、私と淳くんでしかわからないぐらいに。

 そう思っていたけれど、登校するまでの短い時間でもうひとりそれに気づいたひとがいた。


「淳のヤツ、何でみさきを避けてるんだ?」

 昇降口でそれぞれの靴箱へ別れ際に、みんなの邪魔にならない場所で私は1度歩みを止める。行ってしまう淳くんの背中をじれったい思いで見ていた私に眞澄くんがするりと寄ってきてそう囁いた。


「わかんない……。昨日八千代さんのことがあってから少し変だなって思っていたけど……」

 私は視線を爪先へ落とす。すると眞澄くんの手がふわりと髪に触れた。心臓が飛び出るくらいに跳ね上がる。

「何かあったら俺に言ってくれよ」

「……うん、ありがとう」

 柔らかい笑顔を残して眞澄くんは靴を履き替えに行った。こちらはこちらで気になっている。眞澄くんは何も言わないけれど。


 頬が熱い。高校2年生になってまだひと月も経っていないのに、この目まぐるしい変化。頭も心も追いつけない。

 そこではたと気がついた。私が鈍感過ぎるだけかもしれない。本当はずっと前から兆候はあったのではないだろうか。

 頭を捻っていると、後ろから勢い良く背中を叩かれた。

「おっはよー!」

 咲良の無邪気な笑顔に何だかほっとした。



 昼休み、咲良たちと教室でお弁当を食べ終えると私はひとり誘われるように実習棟の屋上へと歩を進める。時々お弁当を食べる棟の屋上とは違って老朽化している。だからそこは立ち入り禁止になっているので誰かがいるはずもない。そう思うのに、何かに導かれる。


 青空とコンクリートを隔てる無機質なドアの前で彼はいた。琥珀色の貴公子は屋上へ出ようと冷たい金属製のノブに手をかけている。

 偶然に目を見張った私は、踊り場から一段上へ片足だけ載せた状態で手摺を掴んで立ち止まってしまう。それに気がついて、長い睫毛に縁取られた柔和な瞳が薄暗い空間へガラス越しに僅かに射し込む光を含んで細められる。


「来てくれると思ってた」

 端整な口元に鋭く妖艶な微笑を湛えて淳くんは階段を下りてきた。その様子がいつもと違ってとても鋭利に感じられて、気圧されるように壁際へ後退してしまう。だけどその美しさから視線を逸らせない。


 蜘蛛の巣にかかったように私の背中は校舎の壁から離れなくなった。淳くんは覆い被さるように私の前に立ち、長い腕で行き先をなくす。

「……こんな僕を、君に知られたくなかった」

 そう言って私を見下ろした瞳は切なく揺れていた。八千代さんの悲しみに呼応してしまっているのだと思っていたから、何と声を掛ければ良いのかわからなくなった。


「淳くんは、淳くんだよ」

 絞り出した言葉に琥珀色の双眸が僅かに微笑んで私の頬を撫でる。

「……優しいね」

 どこか含みのある冷たい笑みが唇の端でひらめく。こんな淳くんを初めて見た。

「僕は八千代さんの気持ちもわかるんだ。みさきに忘れられないために、君の手で殺されるのも悪くないと思えるから」

 私は息を呑んだ。そして何も言えなくなる。だって、それは。


「それでも、同じことが言える?」

 白く長い指が私のそれに絡められる。私は彼を真っ直ぐ見上げた。

「……言えるよ。淳くんは、淳くん。ずっと私の傍にいてくれた優しい淳くんだよ」

 言えるに決まっていた。恋愛感情なのかはわからないけれど、淳くんのことが好きなのは間違いない。私が幼稚園児の頃からずっと一緒にいてくれた優しいひと。


「みさき……」

 大きく目を見開いた淳くんは、口で息を吸って続きを言おうとした私の唇に人差し指を押し当てる。

「……ありがとう。だけど、これ以上は言わないで。みさきの気持ちを無視して、僕が止まらなくなるから」

 鼻の頭が触れ合う距離で琥珀色の双眸が私を映している。


「本当にみさきには敵わないな」

 ふわりと破顔した淳くんは、私のよく知る穏やかで優雅な王子様に戻っていた。

「だけど」

 壁に貼りついていた私の背中を引き剥がすように淳くんに抱き締められる。


「じっとして」

 耳元で優艶な声音が囁いて、私の神経伝達網は乗っ取られてしまった。同時に戸惑いを覚えている。籠められた腕の力に淳くんも男性なのだと改めて思う。

 だけどそこに、肉体ではあり得ない固さの物が隠されていることに気づいた。私がはっと顔を上げてアンバーの双眸を見ると、白く形のよい顎が微かに縦に動く。


 淳くんの意図を多分正しく汲み取れたと思う。覚悟を決めて目を閉じた。初めてのことではないのに緊張で呼吸を止めてしまう。何度経験しても慣れない。

「……みさきを僕だけのものにしたい」

 大きな手が私の耳の辺りの髪を梳く。覗いた耳朶を淳くんが食む。くすぐったくて少し身体を捩ってしまったところに再び腕がきつく絡まり、首筋が彼の唇の柔らかさと熱を認識する。


「……あっ……」

 あられもない声が零れたことが恥ずかしかったけれど、どうすることもできなかった。


 鋭い痛みを覚えた次の瞬間、淳くんは振り向き様に制服の袖の中に仕込んでいた暗器銃を発砲していた。

「僕は眞澄ほど優しくないよ」

 淳くんの中に入ろうとしていたインキュバスの鳩尾を銀の弾丸は貫いていた。動けなくなった美しい悪魔を逃げられないように魔力を封じ込める特殊な縄で捕縛する。


 琥珀色の優美な青年は跪くインキュバスの眉間に、流れるような仕草でスラックスのポケットに隠していたデリンジャーを片手で構えて突きつけた。

「みさきを傷つける者を、僕は許さない」

「ボクに君たちのことを教えた相手を知りたくないのかい?」

 淳くんに苦しげだけど不敵な笑いを見せた。


「貴方に教えてもらわなくても、あちらから手を出してくるよ」

 怜悧な声にインキュバスは観念したような微笑みを口元に浮かべるのと同時に、引き金に掛けられた淳くんの白く長い指に力が入る。

「……残念だなぁ」

 そこからの光景はスローモーションに見えた。


 再び銀の弾丸を撃ち込まれたインキュバスは崩れ落ちながら光の粒子となって空間に溶けていく。淳くんは背中しか見えないのでどんな表情をしているのかわからない。

 私は黙ってその光景を見つめていた。


「ごめんね、みさき。でも嘘は言ってないから」

「淳くん……」

 少し困ったように微笑む彼の瞳は、燃えるように赤く色を変えていた。

「僕は君を愛してる」

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