恋の棘 7
「レイは誠史郎なんだよね?」
裕翔くんの言葉に私はぎょっとしてしまう。天井を仰いでいた誠史郎さんは裕翔を見て、困ったように双眸を柔らかく細めた。
「玲は自ら命を絶とうとしましたが死にきれず、周の血を一雫もらい……私が生まれました。私と玲は、別人です」
はっきりとそう言った誠史郎さんは憑き物が落ちたようだった。八千代さんの残留思念が現れてからどこか不安定な感じがしていたので、私は胸を撫で下ろす。
「さて……」
座ったままの誠史郎さんが背もたれに体重を預けた音がした。くるりと椅子ごと回転してこちらを向く。
「私は売られた喧嘩は高く買う
指を組んでにっこりと笑ったけれど誠史郎さんは怒っている。もちろんそれは私たちに対してではない。
次にインキュバスと対峙するときはどうなってしまうのだろう。
「センセの件は片付いたんや」
透さんは私が洗った食器を受け取ってきれいに濯いでくれる。私を挟んで眞澄くんも手伝ってくれようとしているけれど、透さんがすいすい奪っていく。
誠史郎さんはリビングで本を読んでいる。淳くんは裕翔くんに勉強を教えるためにふたりで裕翔くんの部屋へ移動していた。
「八千代さんのことは一応……」
誠史郎さんは今何を考えているだろうと思いながら蛇口からまっすぐに流れ落ちる水を眺める。
「そんな顔して他の男のこと考えんといて」
頬に透さんの唇が触れた。それはすぐに理解できたのだけど、頭が真っ白になってしまう。ややあって血が全部顔に集まってきたのではと思うくらい熱くなる。
「……透っ‼」
眞澄くんが慌てた声を出したけれど、透さんは涼しい顔をしている。
「俺にも権利あると思うんや」
透さんの艶やかな視線が私に向けられる。
「みさきちゃん、俺と結婚してくれへん?」
「……け」
「結婚!?」
私より眞澄くんが大きな声を出した。
「ご結婚なさるのですか?」
声の方を振り返ると、いつの間にか私たちの後ろに誠史郎さんが微笑みながら本を片手に立っていた。透さんはそれに不敵に鼻で笑って返した。
「みさきちゃんが俺のお嫁さんになってくれるなら、な」
背後から抱きすくめられる。手が濡れたままなのでどうすれば良いのかわからず、されるがままになってしまう。
「かわいいなぁ。ちっちゃくて柔らかいから気持ちええわー」
頬ずりをされた私は硬直してしまう。
「俺は本気やで」
耳朶に唇が触れる距離で低く囁く甘い声。膝から崩れ落ちそうになる身体は透さんの腕力に支えられている。頭がくらくらする。
「……あ、えっと……」
「今すぐ決めんでええよ。でも、もう遠慮せえへんから」
顎を長い指に捕らえられて、上から私を覗きこむ透さんから目を離せない。ニヒルさを含んだ上がった口角がとても艶っぽく見えた。
突然、目の前が真っ白い本のカバーになった。
「それぐらいにしていただけますか?」
誠史郎さんの穏やかだけどどこかちくちくした声が本越しに聞こえる。
「嫌や」
さらに強く透さんの腕に力が籠められる。痛みを感じるほどの抱擁に思わず身動ぎしてしまう。
「あ、ごめんな」
締め付けが少し緩み、顎を持っていた手が離れると私は本におでこをぶつけた。
「すみません、みさきさん」
「いい加減に離れろ」
「お断りや」
背の高い3人の声が頭の上で行き交う。ふと水が出たままになっていたことを思い出した。止めたいけれど透さんに抱きすくめられていてできない。
「あの……」
みんなの視線が一斉にこちらに向けられて少し驚いてしまう。
「お水、止めてもらっていいですか?」
眠ろうとベッドに潜り込む。
最近心臓に悪いことが多すぎる。軽口の多い透さんだけど、さっきの言葉は冗談には聞こえなかった。
枕を抱えて考えていると、不意に保健室での淳くんの瞳が思い出される。上手く言えないけれど、琥珀色の双眸はいつもの春の陽射しのような優しい穏やかなそれではなかった。
まるで。
「負の感情に引き摺られて……」
こぼれ落ちたフレーズに自分自身驚いてしまう。淳くんにそんなことがあるだろうか。
だけど気になってしまう。明日、淳くんの目を見て確かめたいと思った。
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