恋の棘 5

「レイ、何を言ってるの……?」

「人違いですよ」

 狼狽する彼女に誠史郎さんは眉根ひとつ動かさない。

「貴女は僅かな残留思念に悪意を注がれただけの、インキュバスの傀儡です。本当の彼女は土に還りました」

 彼女は誠史郎さんの中に入ろうと試みたけれど、タリスマンが跳ね返す。


「浄化する手助けはできます。私たちに従ってください」

「断ったら?」

「力ずくで祓います」


 誠史郎さんは淡々としているけれど、それは表面上だけだと思う。大切に想っていたから、だけど苦しかったから、彼女を描いた思い出を捨てられずに奥に仕舞いこんでいたはずだ。どうしたらそれが伝わるだろう。だけど私が横から口を挟むのはたぶん良くない。何とももどかしい。


?」

 裕翔くんが彼女に尋ねた。これほど裕翔くんの純粋さが頼もしいとは。

「貴女は誠史郎が好きだったんでしょ?どうして残っていたのが夢魔に肥大させられるような負の感情だったの?」


「……裕翔」

 淳くんが裕翔くんを諌めるように肩に手を置いた。

「僕らにはわからない事情だってある」

「そうだけどさ、この人は誠史郎に執着してるからここにいるんでしょ?」

 裕翔くんの澱みのなさが淳くんの言葉を詰まらせる。


「何が気に入らないの?」

「……ずっとずっと、レイは私だけのもの……!」

「なるほどー」

 彼女の言い分に裕翔くんは大きく頷いた。私は言いたいことがたくさんあるけれど言えなくて、裕翔くんの大胆不敵なところが羨ましい。彼を見習ってちゃんとアウトプットできるようにならなければ。


「だけどさ、誠史郎は貴女の好きだったレイとはもう違うよ。全然違う。吸血種じゃなくて、みさきの眷属だ。そうなるっていうのは、オレたちにとって一回死んで生まれ変わったってこと。経験者にしかわからない感覚だから、口で言っても解ってもらえないと思うけど」

 一点の曇りもない大きな瞳は彼女だけではなく、誠史郎さんや淳くんまで貫いたみたいでみんな微動だにしない。

「貴女とレイのことはわからない。だけど誠史郎はレイだっていうなら、好きだったひとの幸せを祈ってあげてよ。ま、誠史郎にみさきを渡す気はさらさらないけど」


 裕翔くんが私に向かって上手にウインクしてみせるのでドキリとしてしまう。

「……って、そっか。そういうのがない残留思念か。昔の誠史郎に妄執してる……」

「好きだから、だよ……。受け入れられないんだ。自分だけが変わっていない事実を」

 琥珀色の両眼に寂寥が揺れているように感じた。


「俺たち外野が何を言っても届かない。誠史郎の声しか、彼女は聞かないだろうから」

 何だか今日はいつもと違う。眞澄くんと裕翔くんが落ち着いていて、淳くんと誠史郎さんが感情的だ。何がそうさせているのだろう。

「……玲は」

 何か言いかけた誠史郎さんはきつく唇を真一文字に結ぶ。


 その様子で私はようやく理解した。彼女の情念に誠史郎さんは反発して、淳くんは共感している。彼女とは魂が共鳴しやすいのだろう。

 ふたりに落ち着いてもらうためには、同じ女性である私が彼女に同調して何か引き出せないかと精神を集中してチャンネルを探る。

 チャネリングは1回お祖父ちゃんに教えてもらったことがあるだけで、専門の訓練を受けたことがない。とても危険なことだとわかっていたけれど、誠史郎さんの好きだった人に安らかに眠ってもらいたかった。

 目を閉じると瞼の裏に知らない光景が広がる。これは多分、彼女とレイさんの思い出。愛し合っていた頃の記憶。大きな木の下でふたりは額を寄せて微笑みあっている。だけど彼女が何か呟くと、彼の表情が凍りついた。唇の動きだけでは何と伝えたのかわからなかった。


「みさき?」

「この、バカ……っ!」

 眞澄くんと裕翔くんに背中を支えられて意識が引き戻される。どうやら私は倒れてしまいそうになったらしい。

「いきなり吹っ飛ぶな!」

「ごめ……」


 眩暈がする。彼女にシンクロするつもりが失敗した。だけど僅かとはいえ記憶に触れられた。多分彼女にとってとても大切だったこと。

 ふたりの力を借りて何とか体勢を立て直そうとしたけれどまだ足元がふらついてしまい、眞澄くんと裕翔くんの腕にしがみついてしまう。

「大丈夫?」

「無理するな」

 頷いて額を抑える。まだすぐには私ひとりで立てそうになかった。


「みさき……」

 淳くんの心配してくれていると判る声が聞こえる。呼吸を整えてふたりの腕から離れ、淳くんに笑ってみせた。

「ごめんね。もう大丈夫」

 誠史郎さんと彼女へと歩み寄る。緊張しながら口を開いた。

「すみません。差し出がましいですが、おふたりでは埒が開かないようなので」

 ペコリと頭を下げてから彼女を見る。

「あの、お名前を教えていただけますか?」

「……名前?」


 彼女は自分の名前も覚えていなかった。誠史郎さんへの未練だけがそこにあった。

「……八千代さん、です」

 俯いてぽつりと呟いた誠史郎さんは目を閉じる。それ以上は何も言わなかった。

「誠史郎さん、ありがとうございます」

 誠史郎さんは何も言わないで小さく頭を振った。私は八千代さんへ向き直る。


「レイさんは、貴女を大切に想っていました。間違いないです」

 ぎゅっと彼女の手を握った。とても冷たい。真っ直ぐ目を見ながら、慎重に言葉を選ぶ。

「八千代さんが伝えた言葉に、とても哀しそうな顔をしていました」

 背後で誠史郎さんが息を飲んだように感じた。


「誠史郎?」

 みんなも彼の異変を察知したようで、裕翔くんが首を傾げる。

「私の……伝えた言葉……」

 八千代さんにも何か感じるところがあったようで、あれほど冷ややかだった瞳に戸惑いの色が見える。思い出すことができればインキュバスに植え付けられた憎悪の呪縛から解き放たれるかもしれない。

「誠史郎さん、覚えてますか?」

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