第七十三話 彼女の名前

 ルチアは、ゆっくりと瞬きをし始める。

 ぼんやりとしていた視界がはっきりとし始めた。


「良かった、気がついたんだな」


「あれ、私……」


 目覚めたルチアを目にしたクロスは、安堵している。

 ルチアは、あたりを見回すが、まだ、状況が把握できてないようだ。

 何があったんだろうと思考を巡らせているところであろう。


「大丈夫か?起き上がれるか?」


「あ、うん……」


 クロスが、ゆっくりとルチアを支えながら、起こす。

 クロウは、不器用に、手を伸ばし、ルチアを手をつかみ、起こした。

 クロウの表情は、冷静だ。

 だが、内心、安堵している。

 ルチアが、目覚めてよかったと。


「ここ、船?」


「うん、今、レージオ島に向かってるんだ」


 ルチアは、あたりを見回し、自分が、海賊船の中にいるのだとようやく気付いた。

 クロスが、ルチアに教える。

 今、海賊船は、レージオ島に向かっているのだと。

 つまりは、ロクト島を離れたことになる。

 ルチアは、そう、察していた。


「あの後、私、どうなったの?」


「……気を失ったんだ」


「そうなんだ……」


 ルチアは、空中帝国が出現した直後の記憶が曖昧のようで、尋ねる。

 クロスは、言いにくそうに語った。

 気を失ったのだと。

 聞かされたルチアは、思い出した。

 胸が苦しくなって、意識が遠のいた時の事を。


「皆に、挨拶したかったな……」


「ごめんな。色々あったから、どうしても……」


「うん、わかってる。空中帝国が出現したんだもん。無理もないよね。それに、皆に迷惑かけちゃったし」


「そんなことないさ」


 ルチアは、ネロウやヤージュ、コロナに挨拶をしたかったと、残念そうに語る。

 もちろん、クロス達も、そうさせたかった。

 だが、空中帝国の出現により、そうも、言っていられなくなった。

 一刻も、早く、レージオ島に向かい、ルーニ島を救わなければならないのだ。

 そうでなければ、空中帝国は、何を仕掛けてくるか、わからないのだから。

 それに、ルチアが、気を失ってしまった。

 皆に、迷惑をかけてしまった事を悔いているようだ。

 そんなルチアに対して、クロスは、優しく頭を撫でる。

 大丈夫だと告げるかのように。


「……ヴィクトル達に報告してくる」


「あ、うん。ごめんね」


「……気にするな」


 クロウは、ヴィクトル達に、ルチアが目覚めたと報告しに行くと言って、ルチアに背を向ける。

 心情を悟られないように。

 ルチアは、謝罪するが、クロウは、背を向けたまま、返事をし、そのまま、部屋を出た。

 ルチアから、遠ざかるかのようだ。

 やはり、迷惑をかけてしまったから、クロウは、怒っているのではないかと、ルチアは、不安に駆られた。


「クロウ。実は、ルチアの事、すっごく、心配してたんだ」


「そうなの?」


「うん。そりゃあ、そうだよ」


「あとで、ちゃんと、謝らないとね」


 クロスは、ルチアに教える。

 本当は、クロウが、人一倍、ルチアの事を心配していたのだと。

 ルチアは、気付いていなかったようで、尋ね、クロスは、うなずいた。

 クロウが、戻ってきたら、ルチアは、もう一度、謝るつもりだ。

 心配かけてしまったのだから。


「大丈夫、クロウは、気にしないよ」


「うん」


 クロスは、もう一度、ルチアの頭を優しくなでる。

 クロウなら、大丈夫だと。

 ルチアは、安堵したかのように、穏やかな表情を見せ、うなずいた。



 クロウは、廊下を歩いている。 

 ヴィクトル達に報告するためだ。


――ルチアが、目覚めた。だが、何とかしないと……。


 クロウは、安堵している。

 ルチアが、目覚めたのだ。

 心の底から、うれしかった。

 だが、同時に、不安に駆られた。

 ルチアの魂が消えかけている事は、確かだ。

 何も知らないルチアは、ヴァルキュリアに変身するであろう。

 いや、知っていたとしても、ルチアは、ヴァルキュリアに変身し、妖魔を倒すはずだ。

 自分を犠牲にしてでも。


――ルチアが、死ぬかもしれない……。


 もし、このまま、何もしなければ、ルチアは死ぬ。

 クロウは、そう、推測したのだ。

 それだけは、避けなければならない。

 クロウは、ルチアの為に、ある事を決意した。



 その後、クロウは、ヴィクトルにルチアが目覚めたことを報告した。

 もちろん、自分が、ヴァルキュリアに関することを聞いたとは、話さないで。

 ヴィクトル達は、ルチアの様子をうかがったが、ルチアは、いつも通りだ。

 いつ、魂が消滅するかは、わからない。

 ゆえに、ヴィクトル達も、不安に駆られていた。

 時間が経ち、日付が変わった後、ルチア達は、レージオ島にたどり着いた。

 ヴィクトルは、ルチア達をアジトの中へと案内し、休ませ、自分は、フランクに報告した。

 島を無事に救ったが、妖魔が、元帝国の者のなれの果てであった事、そして、ルチアが、ヴァルキュリアの力を使い続けると、魂が消滅してしまう事を。


「なるほどな。そんなことあったとはな」


「ああ」


「魂を代償にしていたとはな。神様ってのは、力をタダでくれやしねぇのかよ」


「まったくだ」


 フランクは、ため息をつく。

 なぜ、ルチアだけが、常に過酷な戦いを強いられてしまうのだろうかと。

 その上、魂を無意識に捧げさせていたとはと。

 そう思うと、神のことを呪いたくなるほど怒りを露わにしていた。

 それは、ヴィクトルも、同じだ。

 ルチアの事を思うと、心が痛んだ。


「で、どうするつもりだ?まさか、このまま、連れていくとは言わねぇよな?」


「もちろん、いうわけがない。あいつを犠牲にするつもりはない。これ以上な」


 フランクは、ヴィクトルに問いかける。

 ルチアをこのまま連れていくというなら、食い止めるつもりなのだろう。

 フランクだって、ルチアを失いたくないのだ。

 もちろん、ヴィクトルは、ルチアを失わないように、作戦を立てるつもりだ。

 ルチアは、今まで、過酷な戦いを強いられていた。

 妖魔を殺したくないと思った事もあっただろう。

 それでも、感情を押し殺して、戦ってきたのだ。

 魂を救うと。

 だからこそ、ヴィクトルは、これ以上、ルチアに、宿命を背負わせたくないと思っていた。


「望みは、あの研究者のレポート結果か」


「そういう事だな」


 だが、ヴァルキュリアの力を借りなければ、ルーニ島は、救えない。

 騎士の力だけでは、どうにもならないのだ。

 ルーニ島は、多くの妖魔が、徘徊しているはず。

 戦いは、避けられない。

 一時的に消滅させても、戦力が、低下することはないだろう。

 完全に、戦力を低下させるには、ルチアの力が必要であった。

 ゆえに、フランクは、あの研究レポートに望みをかけるしかないと思っているようだ。

 それは、ヴィクトルも、同じであった。

 


 時間が経ち、暗くなり始めたが、ルゥは、部屋に閉じこもり、解読を続けている。

 フォルスとジェイクも、同じ部屋におり、ルゥを見守っていた。 

 解読は、最後のページのみだ。

 だが、あともう少しだというのに、解読が、進まなくなってしまったのだ。

 進むにつれて、暗号がさらに、複雑になっており、解読が難解になってきていた。


「どう?ルゥ」


「まだ、わかんない。肝心の部分が……」


「よほど、知られたくないようですね」


「これさえ、わかれば……いいんだけどな……」


 ジェイクは、ルゥに尋ねる。

 だが、ルゥは、首を横に振った。

 相当、難しいようだ。

 彼の様子をうかがっていたフォルスは、察した。

 よほど、知られたくないのだろう。

 つまり、重要な事が記されているという事だ。

 ルゥも、同じことを思っていたようだ。

 最後のページさえ、解読できれば、ルチアは、助かるかもしれない。

 ルゥも、望みをかけて、解読を進めようとしていた。



 ルチアは、一人、部屋にいる。

 ようやく、ここまで来たのだと、感じながら。

 そして、同時に、不安に駆られながら。


――私、本当に、魂が、消えかけてるのかな……。それって、死ぬってことだよね?嫌だよ……。死にたくない……。でも……。


 ルチアは、自分の異変に気付いていた。

 自分の魂が、消える兆候なのではないかと。

 魂が消えるという事は、死ぬという事だろう。 

 それだけは、避けたい。

 まだ、生きたいのだ。

 クロス達と、みんなで。


――戦わなきゃいけない。皆を守るために。ルーニ島を救う為に……。ここまで来たんだもん。最後まで、戦い抜こう。


 ルチアは、覚悟を決めてしまった。

 たとえ、自分の魂が消滅して、命を落としたとしても。

 自分を犠牲にしてでも。 

 皆を守り、島を救いたいと願っているのだ。


――ごめんね、クロス、クロウ……。ヴィオレット……。


 ルチアは、涙を流しながら心の中で謝罪した。 

 クロスとクロウに。

 だが、その時だ。

 ルチアは、知らない名を心の中で呼んでいたのだ。

 「ヴィオレット」と。


「あれ?」


 ルチアは、我に返ったようにはっとした。

 無意識のうちに、知らない名を呼んだからであろう。


「ヴぃ、ヴィオレットって……?」


 ルチアは、思考を巡らせる。

 「ヴィオレット」とは、いったい誰のことなのだろうか。

 いや、知っている気がした。

 ルチアは、ふと、あの菫色の瞳を持つ少女の事を思い浮かべた。


「あの子の事かな……」


 もしかしたら、「ヴィオレット」は、あの菫色の瞳を持つ少女のことかもしれない。

 彼女なら、その名にふさわしいであろう。

 と言っても、これは、推測でしかない。

 ルチアは、ベッドの上に横たわり、彼女の事を考えていた。

 彼女は、何者なのかと。


 

 考えているうちに、ルチアは、眠りについたようだ。

 だが、ルチアは、気付かなかった。

 クロウが、ルチアの部屋に入った事を。 


――ルチア、すまない。


 クロウは、ルチアに心の中で謝罪しながら、机の引き出しを開ける。

 それも、鍵で開けて。

 引き出しの中には、宝石があった。



 時間が経ち、朝になる。

 目覚めたルチアは、あくびをしていた。

 ベッドから降りたルチアは、鍵を手にし、引き出しの鍵穴に差し込んで回す。

 そのまま、ゆっくりと、引き出しを開けた。

 しかし……。


「あ、あれ?」


 ルチアは、驚愕する。

 引き出しの中に宝石がないからだ。

 くまなく探したが、どこにもなかった。


「宝石が、ない!?」


 ルチアは、動揺した。

 ヴァルキュリアに変身するためのあの宝石が、なくなってしまったからであった。

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