バレンタイン
「え?」
私は思わず、目の前の人物に声を失った。
「ん? どうしたの? マイちゃん」
いつもどおりの、親しげな声。
スキンヘッドの男性が、にこりと笑う。
「田野倉さん?」
「そうだけど?」
帰り際。わざわざ着替えたのであろう。ぴしっと着込んだスーツ。非常に、カッコイイのではあるが……。
「法衣はどうなさったのです?」
「デートを申し込んだら、坊さん姿は嫌だと言われたらしい」
悟が、苦笑しながらそういった。
「ああ、なるほど」
私は頷く。
田野倉は決してモテないタイプではない。いや、むしろモテても全然不思議ではない。
──その独特のファッションでなければ。
「法衣を着ていないと、誰だかわかりませんね」
「洋服着ていることが、ほぼないからな」
悟が苦笑する。
田野倉は、春夏秋冬、法衣袈裟懸けスタイルなのだ。
「結婚式も、法衣でしたよね」
「……あれは、浮いた」
悟がくすくすと笑う。
神式の結婚式の参列に、法衣で現れた田野倉は、正直、浮きまくっていた。
もちろん、和服のひとはいるにはいたんだけど、やっぱり法衣袈裟懸けは目立つ。
「とっておきの袈裟で行ったのに」
わかってないなーと田野倉は首を振る。
「ひょっとして、田野倉さん、デートに法衣で行ったことが?」
「いままで、ダメって言われたことないけど?」
しれっと答える田野倉。なるほど。田野倉を相手に選ぶ女性は、かなりのツワモノなのだろう。
もっとも、悟ほどではないとはいえ、田野倉は二枚目ではある。
濃いめのスキンヘッドなので、スーツを着ると妙にやーさん臭くなるけど。
「やっぱ、神社の娘は、坊さん姿は気になるらしくってさ」
田野倉は仕方ないねーと、そう言った。
どうやら、少し前、仕事が縁で知り合った女性らしい。
「いや。さすがに、バレンタインデートに法衣で行くのは、どうかと思うぞ」
悟が苦笑する。
「おおっ。さすがに結婚すると、如月も言うことが変わるねー」
ふむふむと、田野倉が頷いた。
「じゃあ、マイちゃん、チョコありがとうね」
田野倉はそう言って、いそいそと帰っていった。
「チョコ? 俺、まだもらってない」
悟が不機嫌に私を見る。
「同じ家に帰るのに、職場で渡す必要はないと思うけど?」
「朝一番で、くれたっていいのに」
悟は、そう呟いてから。
「まあ、いいか。家に帰ったら食べ放題だしな」
私の耳に、熱くささやく。
職場だというのに、まったく周りを気にしないで私の肩に手を回す。
結婚しても、だんなさまは、信じられないくらい甘くて……私は、うつむくしかなかった。
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