巫女の姿の女性は、すぐに意識を取り戻した。ただ、ショックを受けたせいもあるだろう。

少々めまいがするらしい。とりあえず、社務所の休憩室に布団を敷いて、休んでもらった。何にしても、怪異にあったのだから、私たちの仕事の管轄である。

 彼女の名前は、菅真理亜すがまりあ。清楚可憐という言葉を体現したような、可愛らしい女性だ。

 年齢は二十歳。今回の映画で、ヒロインとして、スクリーンデビューをする予定のシンデレラガールらしい。

 目はパッチリしていて、しかも澄んでいる。まつ毛がびっくりするほど長い。

 最近、美形インフラをおこしている私の周囲ではあるが、その中でも抜群に可愛い。彼女の巫女姿のポスターがあったら、それだけで映画を見たくなるくらいだ。

 彼女たちが撮影していたのは『千年先も君が好き』という映画。平安の時代に、鈴菜という巫女とリュウという若者が恋に落ちたものの、鈴菜が貴族に召し上げられてしまい、リュウが蛇神に力を乞うて、都を一つ壊滅させてしまうところからはじまり、現代に転生したリュウと、鈴菜、そして、貴族だった男のバトル恋愛映画らしい。どう考えても、都を壊滅させるとか物騒であるが、蛇神の力を持ったリュウが、ヒーローらしい。

 ちなみに。そのヒーローを演じるのは、あの『青の弾丸』の映画で、私の大好きな南条を演じた、沢渡浩司である。後でサインとかもらいたいとか、ちょっと思うけど、さすがに不謹慎なので我慢しようと思う。

 彼女の周りに結界を張っていると、ふらりと、悟が入ってきた。

「マイ、大丈夫か?」

「なんとか。彼女も大丈夫そうです」

 私は答える。布団に寝ころんだままの真理亜が、悟の姿を認め、ほんの少し顔を赤らめた。

 日ごろ美形を見慣れている芸能人の彼女から見ても、悟は美形なのであろう。

「今、柳田たちが他のスタッフの事情聴衆をしている。へえ、マイも結界がきちんと張れるようになったじゃないか」

 悟は、そう言って、手を伸ばし私の髪をくしゃりとした。仕事に関しては、悟は私にとても厳しい。

 だから、こうして褒めてもらえることはマレで、思わずうれしくなった。

 悟は、ぐるりともう一度私の結界を確認してから、真理亜の布団の横にすわり、彼女の顔を覗きこんだ。

「おうかがいしたいことがあります」

 悟は真理亜に問いかける。彼女は、悟と目が合って、恥ずかしそうに頷いた。私は、悟の仕事の邪魔をしないように、少し離れた位置で座る。

「あなたは、映画のヒロインであると同時に、この神社の贄姫も引き受けたと聞きましたが」

 悟の問いに、真理亜は頷いた。

 三十年に一度の贄姫ともなれば、メディアもこんな田舎の神社に多少は訪れる。映画の宣伝になるし、そもそも、この村には、贄姫にふさわしい村民がほぼいないらしい。村の若い女性といえば、ほぼ既婚者というだから、お互いに好都合であったようだ。彼女も贄姫としてブログを発信しているとのことだ。ブログに関しては、神社、非公認らしいけど。

「撮影のまえに、贄姫としてすでに一度、拝殿しました」

 つまり、彼女は、映画の役だけでなく、本当に『巫女』として祭りにも参加するのだから、蛇神に魅入られたとしてもおかしくはないのだ。

「今日のこととは関係なく、ここ最近、変わったことはありませんでしたか?」

真理亜は、少し考え込んだように間を置いて、口を開いた。

「そういえば、昨日くらいから、静かになると鈴の音がシャリンシャリンと空耳が」

「鈴ね」

 何か思い当ることがあるのだろうか。悟の目が鋭くなった。

「あの祠の前で、何を撮っていたのですか?」

 悟の問いに、彼女の瞳に怯えの色が浮かぶ。

「大丈夫。もう、何も起こりませんから」

 少しだけ、言葉に霊力をのせ、私は話しかけた。呪言を多用するのは規則違反だけど、この程度なら問題はない。

「今日の撮影は、鈴菜が、リュウに泣きながら、別れを告げるシーンでした」

 真理亜は大きく息を吐いた。

「そうしたら、あの……祠から何かが噴き出してきました」

 彼女の演技に反応して、祠から何かが噴き出したのだろうか。

それとも、彼女が『贄姫』だからなのだろうか?

「何か、感じましたか?」

 悟の問いに、彼女は首を振った。

「チガウと、言われたような気はしました」

「チガウ、ですか?」

 悟の問いに、彼女は「はい」と小さく頷く。

「厄介だな」

 ふーぅっと、悟は息を吐く。

「マイ、霊符はあるか? できれば小さい木札がいい」

「はい。車にのせてあります。とってきます」

「ああ。頼む」

 霊符というのは、呪力を込めた符のことだ。たいていは紙に書くのであるが、持ち運びや耐久性を考えると、こうした魔に(今回の場合、正しくはカミサマだけど)狙われている人間を守るなら、木に書いたもののほうが相応しい。

 私は、立ち上がり、部屋を出る。

 廊下に出ると、隣りの大部屋では、柳田と杉野が、大人数相手に事情聴衆をしている。

 すごいのは、きらびやかな芸能人の俳優さんと並んでも、二人は充分に美形であるということだ。

 私は、ひとり、玄関を出て、車に向かうと、外で喫煙をしている男が二人、こちらをむいた。

 ひとりは沢渡浩司。最初に見た時は狩衣姿だったが、さすがに着替えていて、ラフなトレーナーと、ジーンズ姿だ。もうひとりは、美形ではないけど味のある演技が定評な梨田廉也なしだれんやという四十代くらいの男性。ぴしりとしたスーツを、隙なくきこなしていて、さすが芸能人である。思わず、贅沢な喫煙ショットに写メを向けたくなったが、じっとがまんして、ぺこりと頭を下げた。

 防魔調査室が、必要以上に美形揃いで良かったと思う。そうでなければ、私は興奮のあまりに仕事どころではなくなってしまったに違いない。良くも悪くも、最近は『目が慣れて』しまった。

 私は、彼らのそばを通り抜け、駐車場の車へと向かう。

 社務所の入り口を通り抜け、本殿に背を向けて歩く。

 シャリン。

 不意に、鈴の音がした。

 すでに夕刻が近い。傾き始めた陽に照らされた境内は、他に人もなく、風も吹いてはいない。

 ひんやりとした山の霊気が頬をなでていく。

 私は、本殿の方角を振り返った。

 特に何もない。西日にあたって、大きな影を落としている石灯篭。掃き清められた境内。

 シャリン。

 もう一度、どこかで鈴の音がする。ただし、怪しげな魔のような気配はどこにもない。

 私は、大きく息を吐いて、車へと向かい、トランクを開けて、大きなアタッシュケースに手を伸ばす。

 ざくっ、ざくっという玉砂利の音が聞こえた。

 ついっと目をやると、沢渡浩司だった。彼は、車のキーを開け、ロケバスに乗り込んでいった。

 その仕草が、映画で見た南条そのもので、つい目で追ってしまう。彼は、悟と同じで見られることに慣れているのだろう、私の視線に気づいても、気に留めた様子もなく黒い鞄を手にして、降りてきた。

 なんとなく、視線が合ってしまい、私はあわててアタッシュケースへと視線を戻しトランクを閉めようと腕を伸ばした。

「菅さんは、大丈夫でしょうか?」

 不意に、声を掛けられて、びくりとした。

 ガシャン。

 思わず、締めたトランクの扉が悲鳴のような音を立てる。

「あ、は、はい」

 私は、リアル南条フェイスにどぎまぎしながら、頷いた。

 リアル如月悟で、慣れているのだ。リアル南条だって大丈夫なはずである。しかも、南条の場合は、『俳優さん』で、このひとは、『沢渡』という別人なのだ。私は、内心、阿呆な葛藤をする。

「もう意識は戻られております。念のため、休んでいただいているだけですので。沢渡さんも安心なさってください」

 私は平静を装いながら、そう答えた。沢渡は、嬉しそうな顔をした。

 あれだけ可愛い菅真理亜である。特殊な感情があろうがなかろうが、心配でないはずがない。

「ずいぶんと、大きなアタッシュケースですね?」

 私の持っているアルミ製のアタッシュケースを彼は指さした。

「ええ、まあ」

「重そうですね。持ちましょうか?」

 私の仕草を見て、沢渡はそう言った。

「あ、いえ。大丈夫です!」

 私は、答えて、思わず、一歩下がったら、ずるりと足が滑る。

 体勢を崩した私の身体を沢渡の腕がつかみ、私は尻もちを免れた。

「大丈夫ですか? そんなに怖がらなくても」

 くすくすと笑いながら、沢渡が私の身体を支えてそう言った。

「も、申し訳ありませんっ!」

 私は、あわてて彼から離れる。

「あ、えっと。ありがとうございました」

「君、可愛いね」

 にっこりと沢渡は笑った。一瞬、何のことだかわからず、ポカンと、口が開いてしまう。

「そんな漫画みたいな反応するコ、初めて見た」

 そう言われて。ああ、「ドジッ子」反応が、面白かったのだな、と思う。正直に『面白い』じゃなく、『可愛い』と言ってしまうあたり、天性の女たらしなのであろう。さすが芸能人は違う。

「えっと。沢渡さんは、まだデビュー間もないから仕方ないのかもしれませんが」

 私は、軽く首を振る。

「不用意にファンに向かって、『可愛い』なんて言ってはいけません。勘違いして、ストーカーされちゃいますよ」

 私の言葉に、沢渡は楽しそうに目を細めた。ちょっとだけドキリとする。

「ファンなんて言ってもらうと嬉しいな。君、ストーカー、してくれるの?」

「し、しません! しませんけどもっ!」

 私はアタッシュケースを持って、ざくざくと神社の方へと足を向ける。どうも、調子が狂ってしまう。

 沢渡は、私の横をつかず離れずの距離で一緒に歩く。

「オレ、まだ、デビューしたばっかりだから、名前覚えていてもらっただけでもすごく嬉しい」

「私、『青の弾丸』の原作の大ファンですから」

 私がそういうと、沢渡は、さらに嬉しそうに笑った。

「オレも好き。いや、もう南条役なんて、夢みたいだった。オーディション受けたの、審査員に作者の天草先生が来るって書いてあったからでさ、自分が合格するって思っていなかった」

「そうなのですか? イメージ、ぴったりすぎてびっくりしましたけど」

 こんな南条を絵に書いたようなひとがいたことが驚きなのに、本人は全くそう思っていなかったみたいだ。

「うわっ、本当に嬉しすぎる。君、本当に、イイ子だねっ!」

 キラキラと輝かんばかりの笑顔を向けられて、私は戸惑う。このひと、ファンにこんなに無防備で大丈夫なのだろうかと、心配になった。まあ、退屈しのぎに、私をからかっているだけかもしれないけど。

 シャリーン

 本殿の前を横切った時、再び、あの鈴の音がした。

 私は、足を止める。くるりと辺りを見まわすが、相変わらず、風一つ吹いておらず、鈴はどこにも見えない。

「今、鈴の音がした……?」

 私は沢渡に問いかけた。

「鈴?」

 感じるのは冷たい山の冷気だけ。取り立てて、危険な様子はどこにもない。

 沢渡は首を傾げ、「聞こえていない」と、そう言った。私の空耳だろうか。

「遅いぞ、マイ」

 社務所に戻ると、悟が待っていた。

 私が沢渡と一緒なのを見て、少し怪訝そうな顔を浮かべる。

「それでは、私はここで」

 私がぺこりと頭を下げると、沢渡は「じゃあね、マイさん」とにこやかに笑い、撮影スタッフのいる部屋へと戻っていった。

「今の誰?」

 あわてて駆け寄った私に、悟が不機嫌に口を開く。

「沢渡浩司さんです。映画の主役の俳優さん」

「なぜ、マイの名を?」

「え? 私名乗っていませんよ。さっき、悟さんが呼んだからじゃないですか? 芸能人て、耳ざといのですね」

「それだけか?」

 私がそういうと、悟は不安げに私を見る。

 何がそんなに心配なのか、よくわからない。沢渡は確かにカッコイイ。でも、悟はそんな芸能人の横にならんでも、全く遜色ないどころか、それ以上にカッコイイのである。

 それに。たとえ、私が美形に心がふらついたところで、相手にだって、選ぶ権利があろう。私が、地味な背景人間であることは、今も昔も変わらない。

「彼は、菅さんが心配で、私に声をかけてきただけですよ」

 私は悟の背を押しながら、菅さんの待つ部屋へと向かう。

「それならいいが」

 ホッとしたように悟が息をついた。全くもって、理解不能。それより、私がいない間、悟があの愛らしい菅真理亜に心を奪われる可能性の方がよほど高いと思うのに。

「そういえば、菅さん、鈴の音を聞いたって言っていましたよね?」

 私は、先ほど聞いた音のことを思い出した。

「私、さっき、外で聞きました。妖気とかは感じませんでしたけど……」

「え?」

 悟は、びっくりしたように私を見た。

「……マイの霊的魅力が桁外れなのを忘れていた」

 ぽつりと、呟く。

「鈴の音は、蛇神が贄姫を捜している音だ。蛇神は、候補を決めかねているようだ」

 悟の目が険しくなる。

「菅という女性は確かに美人だが、霊的魅力は乏しい。チガウという言葉は神の不満を表している」

 悟は首を振った。

「不満って。あんなに美人の何が不足なのでしょうか。もちろん、気に入ったからと言って、彼女をどうこうされたら困りますが」

「たまたま、マイが鳥居をくぐってしまったからな……蛇神も言いたいことはあるのだろう。なんといっても、マイは、伝説クラスの美女だから」

「……カミサマなら、もっと一途で誠実であるべきだと思いますね」

 カミサマのくせに、決められた女性でない、別の女にふらつくなんて、ずいぶん残念な奴だと思う。

「まったくだ」

 悟はそう言って、深いため息をついた。

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