呪言師

 濡れた長い髪は緩く巻いている。色っぽい切れ長な瞳は、少しだけ吊り目。綺麗にとおった鼻筋に、ふくよかな唇。

 赤いビキニは、とても挑発的で、グラビアから抜け出たような美しさ。

 その艶やかな美女の横に、鍛え上げられた上半身をさらしている如月がいて、まるで、一対の絵のようだ。

――彼が、他の女性の誘いに乗ったら。

 日野の言葉が頭の中に響く。

 賭けに勝つことを考えるなら、すぐにでも如月の傍に駆け寄って、無理やりにでも視線を自分にむけさせるべきであろう。

――無理、だよ……。

 私は、バスタオルを羽織ったまま、プールサイドに設置された椅子にしょんぼりと腰かけた。

  少しだけ、頭痛がする。昨日の疲れが残っているのだろうか。

――貴女が彼から告白されれば、私は諦めます。

  日野の言葉は、あまりにも挑戦的だ。

 私は、首を振る。

  あり得ない勝利条件。私は赤の絆の痕をなでるように手で隠す。痕が少しだけ熱を持った。

「どうした?」

 不意に声をかけられて、私はびくりとした。

 顔を上げると、如月が心配そうに私を覗きこんでいる。

「霊傷だな。結構、深い」

 すっと、如月の手が私の額に伸びる。この手の感触はよく知っている、と思う。

「何かあったのか?」

「……電話が」

 言うべきかどうか、迷う。

「いえ、たいしたことでは」

 私は首を振った。如月に余計な心配をかけたくない。それに、「私に告白してください」なんて、言える訳もない。

「マイ、霊傷は、原因がわからないと俺には癒せない。俺は専門家ではないから……」

 困ったように、如月が私の頬を撫でる。

「日野から電話があっただけです。覗いているようなことを言われて……気持ち悪くなって」

「……なぜ、電話をとった?」

 如月の声が怒っている。怒られても仕方はない。

「ごめんなさい。どうしてでしょう。とりたくなかったのに……」

 如月はそっとわたしの唇に手で触れる。

「マイ、日野は呪言師だ。電話でだって、お前に術をかけることができる」

「術?」

「調査によれば、奴は超一流の霊能力者だ。用心したほうがいい」

 如月の目がとても強い眼光を放っている。仕事の時の目だ。

「マイは、呪言系の術には、抵抗力があるはずだから、大丈夫だとは思うが……」

「そうなのですか?」

「二つの魂の両方に術をかけることは不可能だからだ」

 そういえば、以前、如月に私に記憶操作は無理だと言われたことがある。

「日野に何か、言われたのか?」

 私は、迷う。やはり、賭けの内容は言えない。

「レンタルの水着はセクシーだと……」

「そうか。式が朝からうろうろしていると思ったら、日野か」

 ニヤっと如月は口角を上げるが、目は笑っていない。

 日本で指折りと言われる、霊能力者の如月のプライドが刺激されたように見えた。

「俺に、喧嘩を売るつもりか」

 如月はそう言うと、突然、私の身体を、姫抱きにした。

「き、如月さん?」

「喧嘩は買う……ただし、力じゃない形でね」

「お、おろして下さい」

 私は、大衆の面前で抱き上げられて、私は焦った。ただでさえ、如月は目立つ。

 その目立つ如月の隣にいるのですらいたたまれない気分になるのに、これは恥ずかしすぎる。

「ダメ。今日は、デートだから」

 如月は私を見て、ニヤリと笑う。

 いや、デートするカップルならこれが当たり前というわけではないことくらい、私にもわかる。

「手を離したら、他の男に攫われそうだ。思った以上にセクシーだった」

「え?」

「安心しろ。日野には、絶対に触れさせない」

 燃えるような瞳で見つめられて、心臓が早鐘を打つ。

 それが、たとえ恋の情熱じゃないとしても、嬉しかった。

 私はコクンと頷いた。





 プールと言っても、競泳みたいにガシガシ泳ぐわけではなく、私は浮き輪に座り込み、如月がそれをただ押しながら、他愛のない話をする……そんな時間を楽しんだ。

 話した内容は、食べ物の話や、テレビの話が中心で、本当に意味のないものばかりだけど、如月が身近に感じられた。

 私は、かつてないほど舞い上がっていた。

 如月の目が、時折、厳しい目で宙をにらむのも、目を伏せて何かに集中した仕草を見せるのも、気が付かないふりをした。

 彼が、日野、もしくはそれ以外の誰かと、激しく何かをやり合っているのはわかっていたけれど、それを指摘してしまったら、その瞬間に、これはデートではなくなってしまう。

「そろそろ昼にしようか」

 如月が微笑みに、私は頷く。

「マイは、結界は張れるか?」

「……無理です」

 小説では、結界の張り方などは詳細に書かれていない。

 霊能者として生きていくためには、マジメに、一度修行しないといけないかもしれない。

「どうしてですか?」

「女子更衣室は、俺では守れない」

 真面目な如月の言葉に私は苦笑した。

「他の人もいますから、そんなに、すごい攻撃なんてされませんよ。電話も、もう出ませんから」

「……覗かれるじゃないか」

 そうか。式で見張られているみたいだから、当然、更衣室にやってきて、覗きまがいのこともやりかねない、と。

「中学生じゃありませんし、そこまで、セコイでしょうか?」

 私は首をひねる。そもそも、日野が私に恋愛感情を抱いているということ事態、信じられないのだ。

 あれ程の二枚目である。女の裸なんて、珍しくもなく眺めているに違いない。

「見せたいわけではないですが、見られただけなら、減るものでもありませんし……」

「ダメだ……やっぱり、ホテル全体に結界を張るか」

「霊力の無駄です」

 私はくすりと笑う。

「如月さんのそのお気持ちだけで、充分ですから」

 そもそも如月はリフレッシュに来たのに、いつの間にか呪術抗争をすることになってしまったのだ。

 しかも、なんの事件とも関係がないのに。非常に申し訳ない気持ちになる。

「……マイのためというより、俺が嫌なだけだ」

「負けず嫌いなのはわかりましたけど。お仕事でもないのですから」

「そういう訳でもない」

 如月は不満そうに顔をしかめて、「マイは……本当に鈍いな」と呟いた。




 特に何事もなく、着替えも済み、私はロビーに出た。

 如月から、『三十分ほどロビーで待ってほしい』とメールが届く。

 仕事が入ったのかな、と思い、ロビーのソファに腰を下ろした。

 水に入ったせいか、身体がけだるい。

 そして、夢のような時間に酔って、ふわふわした気持ちだ。

だからだろう。

 隣に、人が座るまで、気配に全く気が付かなかった。

 くっくっくっと、忍び笑いがして、横を見ると、日野が座っていた。

「賭けは、私の勝ちのようですね」

「え?」

 日野は、嬉しそうに、カフェの向こうの中庭を指さした。

 ガラスの向こうに、如月が、女性と歩いていた。先ほどプールにいた美女だ。

「まだ、今日は終わっていません……」

 どうしても声が小さくなる。告白は今日中という期限だったはずだ。

「それに、仕事かも」

 私がそう言うと、日野は、ニヤリと笑った。

「私は、『彼が他の女性の誘いに乗ったら』と言った。どんな理由であろうと、彼は、『女性に誘われていった』のではないですか?」

 日野の目がギラリと光る。

 そんなのは、屁理屈だ。如月は、少なくとも私に帰れとは言っていないのだ。たとえ美女に魅かれていたにしても、私を放り出して口説くような人ではない。誘われたといっても、それは色恋の意味ではないだろう。意味が違うのではないだろうか。

「私のものになると、『約束』しましたよね?」

 頭が……痺れる。

「私、了承はしていません……」

 頭が割れるような痛み。

 いけない。と、思う。ハメられたのだ、と気が付く。

 『日野は呪言者だ』

 如月はそう言った。日野が私に投げた言葉は、呪言。

 彼の言葉は、力なのだ。

「……なかなか、しぶとい」

 日野が面白げに口を歪める。

「簡単には落ちてこない。ますます、欲しくなりますね」

 日野の手が私の肩に伸びて、私は抱き寄せられた。

 ゾッとして、逃げようとするが、身体が動かない。

「約束は、守ってもらいますよ……舞」

 頭に痛みが走る。身体は、金縛りにあったようだ。

「私と来なさい。貴女は私を選ぶと、言ったでしょう?」

「嫌、です」

 絞り出すのがやっとの声で、拒絶をする。

「貴女は、彼の恋人ではないのでしょう?」

 日野のその言葉は、ナイフのように私の心に突き立てられた。

 激しい頭痛がして、全身に痺れが広がる。

「……さすがに麗奈ひとりでは、長時間は無理か」

 日野は眉を寄せる。そして、私を抱き上げると、そのままホテルのエレベータへと乗り込む。

「ナイトは、どれくらいでお姫さまにたどり着けるか、楽しみですね」

 エレベータの扉が閉まると、私は意識を失った。

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