そして泉波へ

川森商事を出て、社用車に乗っても泣き止まぬ私を、熊田が持て余しながらも、背中をさすってくれた。

 ごめん、と、謝りながら、私は顔をゴシゴシとハンカチでふく。ファンデーションがはげて、既に酷い顔になっているだろう。

「大丈夫か?」

 心配そうな熊田に、私は泣き笑いを浮かべ、そっと頷く。

「……聞いてもいいか?」

 熊田が、遠慮がちに私の顔を覗きこむ。私は涙をふいた。

「六年前……まだ大学生の時だけど」

 ふっと上を見上げる。

「泉波で大きな土砂災害があって。私はそれで、家と家族を亡くしたの」

 時が過ぎて。すっかり立ち直ったつもりでいたのに、想い出すと、まだ辛い。

「避難所で茫然自失となっていた私の世話を焼いてくださったのが、佐久間亜紀さん。佐久間さんは保育士の資格を持っていらっしゃって、避難所の子供たちの世話をしていて。私に、子供たちの世話をするようにって」

「子供の世話?」

「うん」

 私は頷く。

「子供たちの家も水に浸かって、遊び場もなくて。私、正直、迷惑だと思ったけど、子供たちといたら、笑顔になろうって思えるようになったの。今思えば、佐久間さんが誘ってくれなかったら、私、立ち直れなかった」

「……そうか」

 熊田は、そっと私の手に触れた。励ますように、手を握りしめられ、少しドキリとした。

「マスコミに追いかけられたって?」

 熊田が、遠慮がちに口を開く。

「たいしたことではないの。家族が全員死亡して、たった一人生き残った女子大生が、健気に子供の世話をしているって、報道されて。しばらく、面白がってワイドショーが追っかけてきただけよ」

 他に大事件がなかったから、と私は苦く笑う。

「一年くらい、地方紙はインタビューには来たけど、たいていは一言二言コメントとりに来ただけ。ちょっとしつこいひともいたけどね」

 今思えば、たいしたことでは、なかったのかもしれない。根掘り葉掘りほじくられるのが嫌だったからそう感じただけなのかもしれないな、と思う。

「辛かったな」

 熊田の暖かい手にギュッと握りしめられ、私は戸惑った。

「うん。でも、もう済んだことだから」

 私がそう言うと、熊田は私の手を放した。

「なあ、田中」

 熊田はエンジンキーを手にして、エンジンをスタートさせながら、私の方をちらりと見る。

「こんなこと言いたくねえけど。郡山には、気をつけたほうがいい」

「え?」

 熊田は首を振る。

「アイツがお前のタイプだって言うなら話は別だが、アイツがお前を見る目つきはふつうじゃねえ」

 気のせいならいいけどな、と言い添える。

「正直に言うと、六年も前に会った女とただ話すためだけにこんな面倒なこと、ふつうしないだろ? それに……半年前のお前ならともかく、最近のお前、随分雰囲気変わっていて、俺だったら声なんかとてもかけられねえって」

 今の私はふたつの魂が同居していて、半年前の私とは違う。でも、その変化に気が付くのは、熊田が鋭いからじゃないだろうかとは思う。

「別に、外見に変化ないと思うけど」

 私がそういうと、熊田は苦笑した。

「おめー、男できただろ。色気がダダもれだ」

「は?」

 ハンドルを切りながら、熊田は少しだけ首をすくめる。

「この前、駅のロータリーにすげえ美形が迎えに来ていただろ」

 それは、ムーンライトホテルへ如月と出かけた日の事だろうか。

「恋人じゃないよ……あれは、車に乗せてもらっただけなの。私なんかを相手にするひとじゃないから」

 ちらりと、エレベータから手をつないでおりてきた如月と杉野の姿が脳裏によぎって、胸が痛くなる。

「惚れているのは、否定しない訳ね」

 ふうっと熊田は息をついた。

「……ま。俺は、いつでも相談に乗ってやるから」

 ほんのりと苦い口調で熊田はそう呟く。

 待っている、とそう言われたような気がして、私は思わず熊田から視線を外した。自意識過剰な空耳にあきれながら、車窓を眺める。

「とにかく、お前にとって郡山は、言われるまで気が付かなかった程度の知り合いだろ? ふたりきりになるのは、気をつけたほうがいい」

「うん。ありがとう」

 私はそう言って、ふと如月の言葉を思い出し、くすりと笑った。

「どうした?」

 不思議そうに聞き返す熊田に首を振る。

「つい最近、同じようなことを別の人に言われたの。私、そんなに危なっかしい女かな」

「……それは、さっきの美形?」

「うん」

 否定するのもおかしい気がして、私は頷いた。

「田中、おめー、どうしようもなく、鈍い女だな」

 呆れたように熊田が息をついた。




 そして、土曜日。

 いろいろ迷った末、佐久間さんに連絡を取り、私は泉波を訪れることにした。

 家族は、寺に永代供養になっているため、墓はない。墓を作らなかったのは、当時の私が自分の未来に展望が持てなかったからだ。

 久しぶりにやってきた生家の跡地は、綺麗に整地され、面影はどこにも残っていなかった。

 小さな石碑が一つと、小さな花壇だけが、唯一の記憶だ。

 崩れた山の斜面は削り取られ、大きな工場が出来ていた。

 ――何も残っていないのは、ある意味で救いでもあるわ。

 鈴木麻衣の記憶がその光景に重なる。

 麻衣の生家を焼いた炎は、町内一帯を焼き、街が再建した後も、黒い石塀が少しずつ残っていた。

 少なくとも、この風景には、災害の痛ましさを連想させるものはない。

 私は、佐久間さんと待ち合わせをした泉波小学校へと足を向ける。

 待ち合わせは二時。

 小学校は、私の生家があった場所から、少し離れた高台にあり、充分に間に合う時間だ。

 車が通れない狭い路地裏の道を抜け、竹林を抜けていく。

 時が止まったような、小道。

 舗装はしてあるものの、不安を誘うような薄暗さだ。竹林のすぐそばには、大きなお屋敷のような家がある。昔からの地主さんなのだろう。立派な日本家屋を眺め、歩いていく途中で、不意に背筋がぞわりとした。

 まだ、昼間である。風もない。気温は高く、陽は天高く輝いている。

 気配がした。

 ひとでないものだ。

 私は、ゆっくりと振り返る。

 木漏れ日の下、人でないものがそこにいた。

 身長130センチくらい。ぎろりとした目。二本の角。鬼としか表現のしようのないそれは、白いものをくわえていた。

 そのくわえたものから、何かが、滴っている。

 ――手、だ。

 そのくわえたものの正体に気が付き、私は、身構えた。

 刀印を結ぼうとしたその時、ソレはニタリと笑い、竹林の中へと跳躍した。

 それを追おうとして、私は大地を濡らしている赤い血に気が付いた。まだ乾いてはいない。

 滴り落ちた血痕は大きな屋敷の塀の中へと消えている。

 塀の高さは、一メートルくらい。乗り越えられなくはない。

 ――不法侵入だけどっ!

 私は、思い切って、塀を飛び越えた。

 塀の傍の庭木にも、血液が残っている。

 視線の先に。縁側に女が一人、倒れていた。血だまりが出来ている。

 全身に、爪で切り裂かれたような傷があり、あちこちから出血していて……右の腕が切断されて、そこになかった。

 女の意識はない。ないが、苦しげな息づかいが聞こえた。

 ――生きている!

 私は、女に駆け寄り、布瑠ふることを唱える。

「一二三四五六七八九十、布瑠部由良由良止布瑠部」

 ――止まって!

 切断箇所に、ハンカチを押し当て、私はひたすらに唱え続け……意識を失った。



「マイ、しっかりしろ、マイ!」

 暖かい自分のものでない体温を肌に感じて、私は、目を開く。

「きさらぎ、さん?」

 心配そうな瞳の睫は、とても長い。なんてきれいなのだろう、と、ぼんやりと考える。

「……無茶をしすぎだ」

 ぽつりと、ホッとしたように如月の唇から言葉がこぼれる。

  「でも、このお嬢さんのおかげで、一つ命が助かりそうよ」

 艶やかな女性の声に、見上げると、栗色の髪の美女と目があう。杉野亜弥だ。すらりとしたパンツスーツスタイルがよく似合う。V字カットされた胸元に、深い谷間が刻まれていてとてもセクシーだ。

 ――私、これでも、貴女より年上ですよ。

 お嬢さん呼ばわりに、つい、そう言いたくなるのを我慢する。

 小説の杉野亜弥は二十五歳だったはずだ。年齢が小説と違う可能性もあるし、年齢に関係なく色気は彼女のほうがずっと上であるから、仕方がないとは思うけど。

「噂通りね。柳田が欲しがるわけがわかったわ」

 私は、ゆっくりと身を起こす。徐々に、自分が何をしていたかを思い出した。

 身体が、血だらけだった。

「あのひと、どうなりました?」

 起き上がった場所は、先ほどの縁側のすぐそばのようだ。傷ついた女性の姿はない。

「救急車で搬送した。マイのおかげで、失血死は免れそうだ」

 如月が言葉少なにそういった。

「どうしてこんなところに?」

 杉野が私を覗きこむようにそういった。

「その塀の向こうの道を歩いていたら……鬼が手をくわえて」

 思い出しただけなのに、ゾクリとする。

「鬼は、竹林へと消えました。それで、血痕を追って、この家に」

 私の言葉に、如月は眉間に皺を寄せた。

「できれば、その段階で電話の一本くらいしろ。君は『超法規』に守られていない。立派に不法侵入罪が成立するし、場合によっては傷害罪までひっかぶる可能性があるのだから」

「すみません」

 私は、素直に頭を下げる。

「如月さんたちは、どうして、ここに?」

 不思議そうな私を杉野がニヤリと面白げに笑った。

「あなたは、現在、如月の監視下にあるの。だって、あなた『潜りの霊能力者』ですもの」

 そういえば、柳田が「如月の監視下に」って言っていたような気がする。

 いつもタイミングよく助けに来てくれるのは、そう言った事情があったのか、と得心する。

「それは……お仕事とはいえ、お手間をかけさせて申し訳ありません」

 私がそう言うと、如月は少しムッとした顔を杉野に向けた。

「ところで……、今、何時ですか?」

「三時、すぎだな」

 如月の言葉に、慌てて携帯を取り出す。交信履歴に、佐久間さんの番号が記されている。

「電話の相手には、トラブルに巻き込まれたから、後ほどかけ直すと言っておいた」

「え? 出てくださったのですか」

 私が目を丸くすると、「緊急事態だから」と如月はバツが悪そうにそういった。

「いえ、ありがとうございます。お世話になった方を待ちぼうけさせることになるところでした」

 私の言葉に、如月はホッとしたような顔をした。

「しかし、その格好だと、街は歩けないわね。風呂はこの家で借りるとして、服は私のを貸してあげるから着替えなさい」

「え?」

「サイズ、同じくらいでしょ。んー、でも、胸のサイズは負けているかなあ」

「はい?」

「如月、どーせ測ったことあるンでしょ? このコ、見た目よりデカいわよね? サイズ、いくつよ?」

 測った? 何を? 胸を? 如月さんが?

 私は意味がわからず顔が熱くなる。

 見れば、如月の顔も赤くなっていて。しかも目線が私の胸元に向けられていて、私はつい両手を組んで胸元を隠した。

「杉野、お前、そういうところ直さねえと、また男に逃げられるぞ」

 コホン、と如月は咳払いを一つする。

「余計なお世話よっ」

 杉野亜弥は小説と違って、多少スレた感じの女性なのだなと、私はぼんやりと思った。

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