22-3 木星から帰ってきた男

 あの夢の出来事を、つい先ほど見た夢のようにエイジは思い出せた。例えそれが、44年後だとしても。

 数十年にも及ぶ長い夢を見た後、エイジは現世に帰ってきてしまった。

 ミサイルで撃墜されたと思っていたが、運が良かった。エイジは生きていた。ミサイルを食らい、瀕死の状態に陥った後、エイジが着ていた強化外骨格のコールド・スリープ機能が発動した。それにより、死の寸前で時が止まった。時が止まったまま、EFFの戦艦に拾われるまで木星の衛星と化していた。

 それから、40年以上もの月日が経ち――木星周辺を巡航している駆逐艦『ベアトリーチェ』に回収された。

 治療を受け、5日が経過した。刻まれたエイジの体にあった傷は、44年後の科学の力により治療された。無くなった左腕は再生され、体のあらゆる傷痕は全てなくなった。

 駆逐艦『ベアトリーチェ』巡航任務中だからか、エイジに自由は与えられていない。治療が終了した後、あてがわれた独房でじっとするしかなかった。

 独房でじっとしていたら、スペースコロニー616『シャングリ・ラ』で起こったことが胸に帰来する。あの地獄のような光景がまぶたの裏に再生された。だからか、エイジは自己嫌悪に陥り、鬱状態に陥っている。

 ずっと――こう、考えていた。自分だけが生き残ってしまった。あれだけ人を殺しまくったというのに生きている。それなのに、だ。仲間二人は何を想って、こんな自分を現実に押し戻したのかエイジには全然わからなかった。

 エイジの心はマリンソンが見せた地獄絵図によって、蝕まれている。夜もろくに眠れていないせいか、日増しに目のクマは濃くなっていた。

 そんなエイジは、駆逐艦『ベアトリーチェ』の艦長であるロイド・テイラー少佐にスペースコロニー616『シャングリ・ラ』で経験した話をし終えた。


「……あのスペースコロニーであったことは以上です」


 虚ろな目をしてすべてを語ったエイジは、支給された衣服に身を包んでいる。茶色のTシャツに、カーゴパンツ。足元は黒のミリタリーブーツだ。

 独房のベッドに腰掛けるエイジと向かい合うのは、マックによく似た壮年の男、とイドであった。50代の軍服を着た品のいい男は、じっとエイジの胸元を見ている。エイジの胸元にはマックの形見である銀のロザリオが揺らめいていた。


「ありがとう。よく話してくれましたね」ロイドは優しく微笑んだ。「ここに来てから、調子はどうですか?」

「相当なストレスになっているみたいで、ここに来てから無気力でつらい。なんというか。あれからもう、44年も経つのか。俺の知っている奴はほとんど生きていないだろうな。皆、きっと死んでいるんだろうな」

「フナサカさん、あなたは地球に帰った後、心的外傷の治療をする必要がある。あのスペースコロニーで、あなたが経験したことは筆舌尽くしがたい」


 ロイドは唇をかみしめ、小さく何度も頷いた。その瞳は潤んでいる。

 エイジの目の前にいるロイドは、父親であり、エイジの戦友でもあるマック・テイラーの息子であった。


「……父の最後を聞けて良かった」


 話が終わり、一言感想を付け加えたロイド。


「本当に申し訳ない、ロイドさん。俺は、俺はあなたの父親を救うことができなかった。幼いあなたのもとに、マックを……帰してやれなかった」


 深く頭を下げるエイジに、ロイドは言った。「気にしないでください。もう、過ぎたことです。あなたは最善を尽くした。それに悪いのはEFIAの工作員です」


「それでも――本当に申し訳ない」


 ただ、エイジは謝ることしかできなかった。

 ロイドは気にするなと言ってくれる。憎むべきは、EFIAから悪しき男を派遣した組織なのだと。しかし、エイジとしては攻められた方が良かった。誰かに罰を与えて欲しかった。自分を殺して欲しいと考えていた。

 心の中に巣食う闇がささやいている。それが大きくなって、エイジの心を覆いかぶさろうとしていた。


「ロイドさん、このロザリオを――あなたの父親の形見です」


 まだ、人の心を持っている間にエイジはマックの形見である銀のロザリオを差し出す。ロイドは父親が肌身離さず持っていたものを受け取ると、何とも言えない顔をして受け取るのであった。

 ロザリオを渡した後、エイジは顔を伏せる。マックの遺族であるロイドの顔を見られなかった。胸の内は、罪悪感ではちれそうだった。


「あなたまで、あの男の狂気に充てられることはない。あなたは違う」ロイドは息を吐くと、「今日はこれくらいにしておこう。また、あなたさえよければ、父の話を聞かせてほしい。もう、あなたしか父のことを話せる人はいないのだから」


 エイジは口を開き――閉じた。

 言いたいことはあったが、伝わらない。だから、


「ロイドさん、今も――人類は戦争を続けていますか?」


 こんな質問をすることにした。

 宇宙を駆ける駆逐艦に拾われたということは言うまでもない。戦争があるから兵器が作られるという訳だ。だがしかし、それでもエイジは聞かずにいられなかった。


「そうだな……今もまだ、続いているよ。これから大きな戦争が起きようとしている。まだ、地球外生命体じゃあないだけましかな?」


 ありがとうございます――と、ロイドに礼を言うエイジ。

 それから、マリンソンと対峙している時のような透き通る目をして、エイジは語る。


「この体で44年のテクノロジーの素晴らしさを感じました。けれども、どれほどテクノロジーが進歩したとしても……人間というものの本質は変わらない。戦争が続いているということは、そういうことなのでしょう。人間はどこまで行っても残酷なものだ。地球という環境に生きるために、私たちは適応している。その過酷な環境で生き残るために人間、いや――生物というものは、時として残酷な行動を取る。自分の子供を虐げたり、人を殺したりする。人間が人間を殺すのです。だからこそ、法という首輪が必要なのでしょうね」


 人間の本質は残酷なのだと。それは進化せず、これからも延々と受け継がれていくものだ。だからこそ、人間には首輪や枷となるもので残虐性を抑制しなければいけないと語るのであった。

 44年もの間、何があったのか、エイジはロイドからざっくり教わっている。過ぎ去って行った歴史を聞き、まず思ったことがこうであった。


「かもしれない。でも、そう深く考えることはない。思考の深淵にはまることはない。呑まれてはダメだ」


 鬱状態にあるエイジに、優しく言葉を駆けるロイド。

 幼少期、ロイドはエイジにあったことはない。だが、話には聞いていた。こんなやつと一緒に世界の平和を守っているのだと。陽気な男だと聞いていたが、話に出てくる男とは全然違った。

 心的外傷に苦しむ孤独な男がそこにいた。


「人間が産まれてから、産まれた時から、私たちに根ざしているものは残酷なものだと私は思います。だからこそ、私は笑いながら心に蓋をして、大勢の人を殺すことができた。どうして、私は生かされているのか分らない。自分が人間であることすら――」


 聞いていられない。聞くに堪えなかった。自分が思っていたエイジ・フナサカの像をロイドは崩したくなかった。


「長話の腰を折ってしまってすまない」ロイドは1つ断わりを入れると、「人間であることか。そんなことは誰だってわからないものだよ。気付いた時には人間だった。ただそれだけだ。それでいいじゃないか?」

「そうですね……ロイドさん、あなたの言う通りだ。気付いたら、人間として生を受けていた。ただ、ただ、それだけだった。この体が人間たらしめていた。ただ、それだけだった。けれども、そのせいで――生きるのが非常に苦しい」

「生きることが苦しい人間は君だけではない。地球に帰ればたくさんいるはずだよ。私も手助けする。一緒に探そうじゃあないか?」


 ロイドは手を差し出す。若き父の友人を助けるために。

 しかし、エイジはその手を取ることはなかった。


「ありがたいですが、ロイドさん。でも、44年前の人間は私だけです」

「君だけではない。君と同年代、77歳の人間はいる。人間の寿命は100年だ」

「いいや、私だけですよ」


 うつむくエイジはゆっくり頭を振った。両肩をガクガク震わせると、


「44年前のあの日から、時が止まってしまった人間は……それに、先ほど言っていたではありませんか? シャングリ・ラの生き残りはいないって、さっき。生存者はゼロだと。だから――あそこで何が起こったのか、わからない。そう言っていたじゃないですか? それに、俺の話を聞くたび、あなたは信じられないとでも言いたげな顔をしていた」エイジの口角が吊り上った。「私の機械義肢に記録されている映像を見るといい。そこに全部残っているはずだ」


 底冷えするような声でエイジは言った。

 この男がどんなものを見てきたのか、ロイドにはわからなかった。話はさっき聞いたが、エイジがすべて話してくれている訳ではないことを声色で悟った。ならばと思い、艦長室に帰ってエイジの左腕の中に入っている映像を見てみることにした。


「……本当に、今日はこのくらいにしておこう。フナサカさん」ロイドは息を吐くと、「艦にカウンセラーがいる。毎日彼女に来てもらうとしよう、か。君はまだ、整理ができていない。だからこそ、人に話をする必要がある」

「あなたがそう言うのであれば、そうなのでしょう。すみません、本日はありがとうございました」

「気にすることはない。君は深く傷ついている。その傷を癒やさなくてはならない。そのために君を無事に地球に送り届けよう」


 それから、エイジは何も言わなかった。

 ロイドが部屋から出ていくとエイジはベッドに身を横たえた。天井を見て、考えることはひとつ。自分がどうして生かされてしまったのか、だった。

 そんなエイジの枕もとには、ダンテ・アリギエリが書いた神曲(地獄編)が置かれていた。暇つぶしに読書でもというロイドの配慮であったが、エイジにとって煩わしいことこの上ない。なぜならもうすでに読んでいたし、実際に見てきたから。それを手に取り、数ページほど読むとエイジは本を部屋の隅に投げるのであった。

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