13-4 焼き付く喉と朦朧とする頭

 気が付いた時、エイジの喉は焼きついていた。

 我に返るも、自分の身を守るために記憶は先ほどの殺戮を巧みに隠す。何があったのかは覚えていない。ただ、人間の生臭さがエイジの体にこびりついていた。それは余りにも酷くて、胃の中のものを全て掻き出した。

 ここにやって来てから、たいして何も食べてはいない。透明で少し粘り気のある液体を、先ほどの戦闘で破砕されたコンクリートにぶちまけた。

 口の中は胃酸の味でいっぱいだ。気持ち悪くてかなわない。気休め程度の措置ではある。エイジは犬歯を舐めて唾を出した。また、梅干しやトウガラシの味を思い浮かべて唾液をたくさん分泌した。極めつけに絡んでいた痰を口の中へ。それから、全部を地面にぶちまけた。

 唾も痰も貴重な水ではある。

 しかし、気持ち悪すぎて我慢がならなかった。すべてを吐き出さずにはいられない。盛大に何もかもを吐き出した。

 すっきりしたと思いきや――そうでなかった。

 エイジはまだ夢見心地だった。

 この場所から早急にはなれなければならなかったが、めまいが邪魔をする。平衡感覚とくらむ視界のせいでエイジはまともに歩けない。転がりながら、壁にもたれながらも、気が遠くなるのを我慢してこの場所からの離脱を計る。

 自分がどこにいるのか、わからない。敵がどこからやって来るのかも。


「あ――」


 たまらず、エイジは地面に転がってしまった。

 どこにいるか全く認知できない。まるで酔っぱらって海の中を泳いでいるような気分だった。息ができるから余計に、酷い。

 このまま目をつぶればなぁとエイジは思う。ここで眠ったら楽になれる。何もかも、嫌なことを忘れられる。このクソッタレな場所――いわゆる地獄から解放されるはずだ。そう考えたら、死ぬのもいいかもしれない。

 そんな考えが頭をよぎる。

 それから夢見心地なエイジの頭の中を駆け巡るのは、これまでの思い出。楽しかったことや悲しかったこと。

 それらが津波のように押し寄せ、どうにもならない自分がいた。


「ふぅ~」


 頭が悪いという訳ではない。なぜなら、エイジは特殊部隊員。体が丈夫なことは元より、頭が良くないとなれないものだ。狭き門をくぐり抜けた選ばれた人間である。本人は選ばれたとは微塵も思っていないのだが。

 まずい状態にあることはわかっている。けれども、エイジの弱い心が目蓋をゆっくりと下ろした。

 ――周りが騒がしい。

 何やら大勢、走り回っている。音は低く響き、何もかもをうやむやにした。もう何にも考えられない。

 そのまま、永遠のような時間が過ぎていく。

 気付けば何も聞こえなくなっていて、なんにもない。そのまますべてを――死神にゆだねようとした時だった。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!」


 金切り声を聞き、ハッと我に返る。

 どうもエイジは、死神からも嫌われているらしい。


「ああああああああああああああああああああくっそおおおおおおおおおおお!」


 サイファーの感染者だ。それが、襲ってきた。

 感染し、化け物に体を乗っ取られて日の浅い女だ。年齢はエイジと同じくらい。まだ、人間の形を保っている――いわば、生きる屍。人間の形をしたケダモノだ。エイジの首根っこを掴み、大口を開けて咬みつこうとしていた。

 やさしい世界から、急にどん底に突き落とされた。気がつけば、エイジは終わらないスペースコロニー616『シャングリ・ラ』の宵の中。路地にて、女に首を絞められている。

 蹴り飛ばし、女をつき飛ばすエイジ。

 もやがかかっていた頭は、はっきりしている。


「この……このぉ……くっそぉ!」


 女のせいで、安眠を奪われてしまった。そう考えたエイジは、烈火のごとく怒った。雷のような怒声を上げると、すかさず感染者との間を詰め、左の拳で白目を剥いている感染者を打ちのめした。

 女の顔はくぼみ、潰された。仰向けになり、ぴくりとも動かなくなった。路地の闇は深く、体は漆黒の中に沈んだ。


「まだ……まだ、俺は死ねないらしいな。どうも、死神からも嫌われているようだ」


 勇気も、正義も、義侠も持ち合わせていない。兵士としての誇りさえも、持ち合わせていない。ただ、どこまでも醜く、蔑まれようが生にしがみつく。どうして、そこまで生きたいのか? 自分でもわからない。何の為に生きているのかもさえ。

 しかし、それでも心臓が動き、脳みそが正常に動いている限り――エイジは戦い続ける。

 いいや、生き続けるといった方が正しいのかもしれない。エイジは生きるための方法として、戦うことを選んだのだから。

 餓えた狼のような男の背は、闇の中に消えていく――。

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