10‐3 喪失、苦悶、無力……

 打ちひしがれてどれくらい経っただろうか?

 エイジとマックの間を遮った防壁が下がる。そこにはマックの死体を貪る、エリーだったタコの化け物がいた。

 もう、もう――いたいけな少女ではない。悍ましいケダモノだ。

 もはや、遠慮はいらない。

 エイジはすくっと立ち上がると、ゆっくり歩いて化け物のところへ向かう。ヘルメットのシールドにかかっている濃いスモークの下には、何も表情はなかった。感情は顔から一切消えている。年月を経た能面のような不気味さをたたえ、肩を揺らしながら、歩くその様は――幽鬼のようであった。

 光を一切、失ってしまったマックの瞳はエイジの方を向いていた。

 死んでしまったマックに目をくれると、エイジは銃を構えた。むき出しになっているタコの化け物の核、肉に沈むエリーの横顔に弾丸をたたき込む。

 少女の横顔は鉛玉によって破壊される。核を破壊され、手足のないマックに乗る化け物は沈黙した。それを引きはがすとエイジはそいつに拳をたたき込んだ。肉は潰れ、血が爆発する。

 ヘルメットのシールドが真っ赤に染まる。

 エイジはヘルメットを脱ぎ捨てると、物言わなくなった化け物を見下ろす。10本もの触手に、タコのような体。その体に傷つけられた大きな傷からは、体の内側のもの――人間の臓腑らしきものが顔をのぞかせた。

 それに唾を一つかけると、エイジはマックの元へ。

 手足はどこにもなく、食い散らかされた腹を晒すマック。心臓は止まっている。だから、マックは何も言わない。ただ静かに、たたずんでいた。

 ここでようやく、エイジは感情を露わにした。

 唇をかみしめ、思い切り目をつぶった。地球にいる、マックの家族に何と説明をしたらいいのやら。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいであった。本当は泣け叫びたい、できるのならば、もっとあの化け物を殴りたい。が、あの化け物はエリーだ。無理やり薬を打たれ、化け物に変身してしまった少女。

 本当に悪いやつは、エリーに薬を打ったやつだ。

 地面に落ちていたロザリオがエイジの目に入る。それを拾い、自分の首にかける。キリスト教徒ではないから、神様は信じていない。

 マックが後生大事に身に着けていたものだ。彼そのものと言っていい。

 できるのならば、遺体を持って帰りたいが――そう言ってはいられない状況にある。

 エイジはマックのウェアラブルデバイスを取りだすと、コードを打ち込んだ。すると、マックが身に着けている強化外骨格からナノマシンが散布。噴出した煙は、マックの体を食らいつくし、塵に変えてしまった。

 ここでできる唯一の埋葬。

 ごくわずかな時間であるが、エイジはマックの冥福を祈る。

 完全にマックがいなくなったのを確認すると、エイジはこの部屋を後にした。

 何も言うことは出来ない。言葉を出す気力は失われていた。

 エリーに薬を打った男が、マックが出入りした扉から出た。慎重、という言葉はエイジの頭の中から失われていた。群がるサイファーの感染者を掃討しながら、前へ進む。研究所の最深部へと向かうのであった。

 ジメチルアミンのことが、ウソだったということはわかっている。それでも、魚臭い。サイファーの感染者は魚臭くなるらしい。アンモニアの臭いがたまらなくキツいのだ。

 けれども、そんなことには構っていられない。

 前に進むのみ。

 そして、エイジは研究所の最深部で見つけるのであった。サイファーにまつわるデータを。沈黙していたサーバー群に電気を入れると、マックの形見であるウェアラブルデバイスを起動し、データの取得を行うのであった。

 当然のことながらウェアラブルデバイスにはロックがかかっている。鍵を開けるためには、パスワードが必要だ。そのパスワードがマックの奥さんの名前と、誕生日と結婚記念日を足して2で割ったもので構成されている。目頭が熱くなるのを感じながらも、エイジはロックを解除した。

 取得したデータを改めると、ジョンが言っていたことは真実だったことがわかった。




 ・サイファーは、人間の癌組織に酷似したバクテリアであること。

 ・サイファーはコルロと呼ばれる高エネルギーを生み出す鉱石に付着していたこと。

 ・核融合炉の実験に用いられたのはこのコルロ鉱石だということ。

 ・核融合炉の事故でサイファーが拡散してしまった。拡散した原因は調査中。

 ・空気、血液感染はしない。胃から取り込むことによって感染。(胃酸に反応する)

 ・感染すると体の細胞が異常に増殖すること。

 ・ナノマシン抑制剤で細胞の増殖を抑えることは可能だということ。(理由は不明)

 ・しかし、あくまで細胞増殖の進行を遅らせるだけだということ。

 ・経口感染し、7日後に脳炎を発症。脳炎にかかると、感染者が凶暴化すること。

 ・薬は脳炎にかかる時間を3か月へ引き延ばすだけだということ。

 ・脳炎を発症してから、2週間後に体細胞の増殖が異常に活発化すること。

 ・そして、最終段階に入るとタコのような軟体動物になってしまうこと。

 ・そうなってしまったら、治療不可となること。

 ・そうなった場合は腹部にできる細胞核とよばれる部位を破壊する必要があること。

 ・細胞核を破壊したら、宿主の生命活動が停止すること。




 データを洗い、エイジはごちる。


「気持ちが悪いな……なんだこれ? サイファーというよりかは――タコの怪物、クラーケンとか言った方がいいような気がする」


 無機質なファンの音で満たされているサーバールームで、エイジは立ち尽くしていた。

 人がタコの化け物になるという設定の小説か漫画をどこかで見たことがある気がした。それがどこなのかを虚ろな顔をして考えあぐねていたら、……あの男からの通信が入るのであった。


「ご機嫌はいかがかな? フナサカ少尉。クトゥルフ神話の世界はどうだい?」


 なだらかでいて、小川のせせらぎのようにささやくような声。

 自然とこめかみに力が入るのをエイジは感じた。

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