10‐2 再会

 研究施設の最下層。

 エイジは慎重に歩く。サイファーの感染者がいるやもしれない、もしくはシャングリ・ラ市民防衛軍やEFF第66歩兵大隊の残党が陣取っているかもしれない。また、火気厳禁の毒ガスに取り巻かれているという恐れもある。気をつけることが多く、エイジにとって煩わしいこと、この上ない。

 しかし、この先にマックたちがいるかもしれない。そう考えるとおのずと足が前に出る。敵――エイジに民間人を殺させた男の罠かもしれないので、踏み出す一歩の繰り出し方を考えながら、なみなみと注がれた暗黒の中を歩く。

 研究所の最下層、5階の扉を開くと――大きな試験官が二列に並べられており、試験管と試験管の間を、物音をさせぬように歩くエイジ。

 よくわからない液体で満たされた試験管の中は、肉塊が浮かんでいた。サイファーを患った患者から剥ぎ取った細胞だろうか? 人間の指やら耳、はたまた目といった器官が一つの塊を形成していた。


「……何なんだ一体」


 エイジが護るべき仲間も、自分を守ってくれる仲間もいない。

 自分を騙し騙しやって来たが、意せず独りだけになってしまった。むき出しになる自分の心を覆う者は無い。

 ここで、自分の頭を撃ってしまえば楽になるんじゃないか?

 ごくわずかに芽生える、自殺願望。それと、スペースコロニー616『シャングリ・ラ』に蔓延るサイファーという謎の存在に対する恐怖。この二つに苛まれ、エイジは喘ぐように息をしていた。

 やたら、耳に着く自分の呼気。鬱陶しいことこの上ない。

 大きな試験管が二列に並ぶ部屋を後にすると、次は――サイファーの感染者が檻に押し込められている場所にやって来た。


「動物園だな……」


 獣のように檻の中を徘徊する患者や檻に手をかけ絶叫する患者を見て、エイジは無理やり鼻で笑った。

 檻の中の感染者はエイジを見るなり、歯をむき出して呻き出した。この――強化ガラスでできた透明な檻が無ければ、戦いを余儀なくされているだろう。しかし、感染者たちが檻を破ってくるかもしれない危険性があった。足早にこの場所からエイジは去る。

 サイファーの感染者たちが檻に押し込められている場所から、今度は――廊下に出た。

 廊下に来て、エイジのつま先を刺激したのは小型の情報端末。マックのウェアラブルデバイスだった。


「あいつ……この先にいるな。急がないと――」


 急がないといけないが、エイジは妙なものに気が付いてしまった。

 拾ったウェアラブルデバイスは、エイジの手の平の中で表示している動画を見るように催促していた。画面に表示されている再生ボタンを見たエイジは、周囲に何もいないことを確認すると、その動画を再生した。

 まず、エリーが抱いていた赤子が画面いっぱいに表示された。泣き叫ぶ赤子の元にやって来たのは、研究員らしき存在。赤子に何かを注射する。

 それから――だ。

 それから、赤子はエイジが入口で殴り殺したタコの化け物となった。そして、エイジを襲い、殺されるまでのダイジェストが流れた。

 胸をつく、嘔吐したいという感覚。それに駆られた。激しい怒りと後悔が激流のように押し寄せ、エイジをどこまでも苦しめた。その場に立っていられなくなるようなめまいと、何もかもを壊したくなるような破壊衝動に叩きのめされる。

 両膝を地面につけ、地面を何度も殴りつける。

 あの赤子だとは知らず、なんてことをしてしまったのだと悔やむエイジ。

 声なき慟哭を発する。

 心の奔流をなんとか、押し込めるとエイジは背を丸め、獣のように唸る。よろよろと立ち上がると、この廊下の先にいるであろうマックとエリーに思いを馳せる。


「絶対に……たすけて、助けてやらないと――」


 思いを口にすると、エイジは廊下を走った。

 あの二人だけは、絶対に救うのだと意気込み――廊下の先にある大きな研究室へと飛び込む。

 明るさのあまり、少し目がくらんだ後、暗視装置を切った。

 そこは――水族館のような場所だった。壁に埋め込まれた大きな水槽、そこには水ではなく空気が満たされていた。強化ガラスでできた透明な檻の中、拘束具をつけられたエリーが怯えていた。


「おじちゃん!?」

「エリーか!?」


 慌てて駆け寄るエイジ。

 しかし、透明な壁がエイジを遮る。

 強化ガラスを乱暴にノックするエイジ。助けてと顔を歪め、絶叫するエリー。そんな二人の元へ、物々しい防護服を身に包んだ妙な男が現れた。

 この男に何かをされる前に、何としてもエイジはエリーを助け出さなければならない。なぜなら、入って来た男の手には注射針が、針先が滴っている。あの赤子のようにエリーを化け物にしてはいけない。

 エイジはわき目もふらず、檻を破るべくガンガン拳を打ちつけた。


「クソッ! クソッ! ……チキショウ!」


 しかし、檻は破れない。エイジの左腕の鋼鉄の拳をもってしても、ヒビの一つも入れることは出来なかった。それでもエイジは悪あがきを続ける。いたいけな少女を助けるためだ。そのためにはいとわない。

 雄叫びを上げるエイジ。拳を鎚のように振り上げ、振り下ろす。鈍い音を突き立てて、壁を必死に壊そうとする。


「エイジおじちゃん! エイジおじちゃん!」


 痛々しいエリーの悲鳴。焦るエイジは死力を尽くす。


「待ってろ! 今行く! 今行くからな!」


 だが、しかし……檻は硬く破れなかった。

 エリーの腕に針がつき立てられ、ピストンが押し込まれた。深く――。


「エイジおじちゃん! エイジおじちゃん!」


 悲痛な叫びは止まない。

 男はエリーの腕に薬を投与した後、檻を破ろうとしているエイジに目をくれる。ガスマスクを向けた後、男はどこかへ去った。

 エイジは男を追うために、一旦壁から離れる。扉を見つけ、飛びつく。だが、扉はかたく口を閉ざしていた。何をやっても開かない。押しても、引いても、叩いても、蹴りを入れても、びくともしない。

 薬を投与されてから、エリーの体がひきつけを起こす。まるで悪霊に憑りつかれたかのように、白目を向いて、大口を開く。ガタガタ体を震わせて、体の底からこみあげてくる人間たる前の原初の衝動にすべてをゆだねる。


「うわあああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 絶叫したエリー、耳をつんざくような凄まじい声だった。これは何事かと、エイジが振り向いた時、少女の姿は変貌を遂げる。

 可愛らしい少女の体は膨れ上がる。増殖する体の細胞が、貼り付けられている小さなベッドを破壊した。大きな肉の塊ができた後、巨大な軟体動物が姿を現すのであった。タコともイカとも言えないケダモノ。おおよそ2メートルにもなる肉の塊。それが絶叫しながら、エイジに向かってきた。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」


 透明な壁のおかげで、事なきを得たエイジ。

 これが本当にエリーなのか? 目を疑わずにはいられなかった。エイジにかじりつこうとしたケダモノは、エイジの拳でも割れなかったガラスの檻にヒビを入れた。ひと振りのナイフでどうにかできるものではない。

 これから檻を破ってくるであろう化け物に顔を歪めるエイジ。触手はしなやかな鞭となり、水槽にヒビを入れた。

 そして、砕いてみせる手前まで。あと、一撃。鞭が振るわれれば――。

 ナイフ一本でどれだけやれるかはわからない。逃げようにも、退路は完全にふさがれている。この部屋に入った時、分厚い扉は完全にロックされてしまった。帰り道はどこにもない。エリーだったタコの化け物を倒す以外に方法はない。

 死なばもろとも、エイジは覚悟を決めた。


「おい! こっちだ、タコ野郎!」


 その時だった。

 聞きなれた声のち、破裂する音が連なった。狭いからか、それはよく響いた。ここが火気厳禁の毒ガスに満たされていることなど、構う余裕はない。


「こっちだよ! クソバケモン」


 マックだ。ヘルメットが無いからすぐに解った。

 彼は無事だった。あの男が出入りしたところから、助けに来てくれたようだ。


「マック!」


 仲間の無事を知り、エイジはすぐに加勢しようとした。もうすでに決断をしていた。エリーを殺すことを。

 タコの化け物になってしまったエリー……もうどうしようもない。もやは人間ではない。カフカが描いた『変身』という小説のように、突然、変身してしまったエリー。出来れば人間の姿に戻してやりたかった。けれども、こうなってしまった以上――どうしようもなかった。殺すしか、救ってやれる方法はない。

 仕方がなかった。そうするしかない。

 それに、大事な戦友が化け物の歯牙にかかろうとしている。

 助けなければ――その想いで、エイジは透明な檻を破ろうとした。鉄の拳を、日々の入ったガラスの檻にぶつけた。

 さっきはダメだったが、化け物のおかげで檻を破ることができた。


「異常を感知。緊急防御壁、作動します」


 聞きたくない言葉だった。

 ガラスを破って早々、檻のセキュリティーが作動した。けたたましい警報音の後、部屋は赤のランプに染まる。赤の回転灯が点滅しながら回転をし始めた。

 それと同時だった、鉄の壁がエイジとマックを遮ったのは。


「マぁぁぁぁックぅぅぅぅぅぅ!」


 さすがに、この壁はエイジの拳では絶対に破れない。

 それでもエイジは厚い扉を叩き続ける。


「マック! マックゥゥ!」


 断続的に聞こえる銃声と、エリーだったものが上げる奇声。

 助けないといけない。何が何でも、マックが愛している奥さんの元へ帰してやる義務がある。隊長は狂い、自分たちを捨ててしまった。もはや、毒ガスなんぞに構っていられない。ここが大爆発を起こそうが構わなかった。マックさえ、助かればそれでいいとエイジは思った。だから、いとわずに銃を構え、引き金を引いた。


「うおおおおおおおおおおおお! ひらけぇぇぇぇェェ!!」


 中ではマックが化け物と戦っていた。

 この化物がエリーとは知らず、鉛玉やレーザーを浴びせ続ける。化け物と言っても、不死身な訳ではない。触手の鞭をよけながら、的確に相手の体を削っていく。8メートル四方の狭い空間ではあったが、マックは優位に戦闘を進めていった。

 そして、化け物は弱る。動きが鈍くなり、マックは留めの一撃を見舞おうとしたその時である。

 露わになった化け物の核、のぞかせるのは少女の横顔。それからマックはきらりと光る見つけてしまった。渡した銀のロザリオを。


「お、お前!?」


 これに驚き、トリガーにかかる人差し指が硬直してしまった。

 目の前にいるのはエリーではない。エリーの形をしていたケダモノだ。ひるんだ隙を突き、すかさず、マックの手足に触手を撒きつけた。手足の自由を失って、マックは宙に吊るされてしまう。

 あっ、と言う間もなく……マックの手足は引きちぎられた。

 マックの絶叫のち、化け物はマックに覆いかぶさった。やめてくれと言っているのにもかかわらず、達磨にされたマックを貪り始めた。

 生きながら食われるという苦痛。その断末魔は凄まじいものとなった。


「うそっ! ……よせ! やめろ……いやだ、いやだ……いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ……うわああああああああああああ■■■■■■■■■!!!」


 マックの命の叫びを聞いた後、エイジは戦友の死を悟った。


「……マック」


 なにが不死身の舩坂だ。

 仲間の一人も救えやしないなんてと――歯ぎしりをすると、エイジはその場に崩れ落ちた。それから何度も地面に両こぶしを打ちつけた。

 厚い扉の向こう側からは生々しい音と呻くような声が、続いていた。

 もう、エイジにはどうすることもできなかった。何の手の施しようもない。



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