6.月光

6-1 地獄へ誘う者

 耳元で響くベートーベンの月光。

 穏やかな、それでいて悲哀を訴えるピアノの旋律。美しい、この血生臭い場に似つかわしい音色。不気味で仕方がない。エイジは開いている口を無理やり閉じて、しかめ面を作るのであった。

 何だかよくわからないが、アランとマックは泣いている。

 大の大人が、しゃくりあげていた。


「あの声は一体――てか、お前らなんで泣いてる?」


 気持ちが悪い。あと、自分たちはどういった状況にあるのかつかめない。

 わかることは、ここが現在はテレビ局のエントランスの2階であること。机やイスを使って作られたバリケードに背を預けていること。他には、所持している弾薬の数とエネルギーパックの残量。そして、ここが地獄のような場所であることだ。


「わからない」ジョンはしゃっくりをすると、「とめどなく、涙があふれているんだ。どうしようもないくらい、辛い。胸が苦しい……まるで誰かに恋をしているみたいだ。二番目の嫁に別れようって言われた時の感じに似ている」

「俺もさっぱりだ」アランは鼻をすすると、「なんだが、なみだがどまらねぇ。悲じぐで悲じぐでだまんねぇぜ」


 ジョンとアランがこう言った後だった。

 今、3人の体に何が起こっているのか。マックが手早く説明を行う。


「気をつけろ。あと、ナノマシン抑制剤を使え。不味いことになっている。今な、2人の体の中にあるナノマシンがハックされている状態だ。だから、感情が不安定になっている」

「お前は?」

「大丈夫だ、エイジ。やっべぇ! ……って、なった時にな。済ませた。ナノマシン抑制剤を打ったんだ。ともあれ、俺がハックされた二人のナノマシンをどうにかする。強化外骨格側から干渉して、うまいことやるよ。てか、している。ちょっと待てよ――よしよし、そろそろ元に戻るはずだ」


 延々と繰り返されるピアノの音色。

 ジョンとアランの号泣が止んだのと同じタイミングだった。月光の音色は消えた。


「シウダー・フアレスにようこそ」


 再び、何者かは同じセリフを繰り返した。

 マックは通信に割り込んできた男の探知中。アランとジョンはナノマシン抑制剤のせいで頭がもうろうとしている。隊長であるジョンはそれが顕著だった。

 だから代わりに、エイジは対応することにした。


「どうも、不本意ながらやって来てしまった。歓迎されていないようだが、これはあんたの差し金なのか?」


 チッ、チッ、チッ……と、顔の見えない男は舌を鳴らした。気取っているようだ。

 それがエイジの癪に障り、左頬が引きつったように微動した。


「君はシウダー・フアレスとこの街を形容した。そのセンス、なかなかのものだ。さすがだよ、褒めてあげよう。君の美的センスは素晴らしい。あぁ、実にすばらしい」


 気色悪い。下唇を少し噛むと、エイジは通信相手との話を進める。


「もう一度聞く。この、シャングリ・ラをめちゃくちゃにしたのはあんたなのか? 宇宙の楽園だか、何だか知らん。とにかくここはいい所だった。だが、今は見る影もなく何もかもが滅茶苦茶だ」


 また、男はエイジが苛立つ行動を取った。チッ、チッ、チッ……と、舌を鳴らす。

 それから、答えにならない見当違いな持論を展開する。


「センスはいいが、君には学が無い。けれども、それは仕方がない。知らないのだから。ならば知っている者が君を賢くしなければならない。賢い君を創り上げる必要があるのだ。よって、私は君に教えよう。外からやって来た君たちに、混沌と秩序とは何なのか」


 無線向こうにいる謎の男は語る。


「野原に岩が転がっていた。それもまばらだ。この状態を混沌と呼ぶ」


 まずは混沌を定義。


「しばし野原はこのままであったが、ここに人間たちがやって来た。野原に転がっていた岩の並びが気に入って、彼らは言った。素晴らしい並び方だ。自然にできたというのに、きちんと等間隔で並んでいると、きちんと序列があると。そして彼らはこの状態をこう名付けた。秩序、とな」


 次に秩序は何たるかを。


「秩序とは――混沌の渦中に序列を見つけ、それを秩序だと言ったに過ぎない」


 そして、最後に秩序の本質をこう穿つ。

 つまるところ、彼が言いたいことというのは、混沌の中に人が秩序を見出した。そういうことなのだろう。

 禅問答を聞いているようだった。幼い頃、実家の近くの寺へ、何かの催し物に行った時に和尚が話してくれた説話なるものに似ていた。そこでエイジは居眠りしまって、頬をつねられた。髪を掴まれ、寺の外に投げ出された。

 そのできことが一瞬、よぎる。

 エイジは瞳をわななかせる。相手が一体、何者なのかわからない。答え、相手がどう出て来るのかわからない。わかったとも、わからないとも言えない。

 自分が痛い目を見るのはいい。

 けれども、3人が酷い目に遭うのは頂けない。

 わかったと言えば、話の本質は何か問われる。エイジはこれに答えられない。

 わからないと言えば、和尚のように暴力という強行手段に出るかもしれない。

 相手の出方がわからない。けれども、決断しなければならない。どうするべきか、どうするべきか……エイジの瞳がわななく。

 永遠とも呼べるような、長い時間だった。


「考え――あぐねているようだね。うん、それでいい。それでいいのだ。賢い人は沈黙を貫く。ならば君にジャッジしてもらいたいものがある。その資格が君に存在する。君にならば人を裁くことができるだろう。いいや、君に裁いてもらわなければならない」


 こう長い前置きをした後、男は言った。


「地球連邦軍特殊部隊第601分隊、舩坂栄士少尉。君は5階に行きたまえ」


 それだけ言うと、男は通信を切った。

 エイジは戦慄していた。どうして、自分が所属している部隊のことを知っているのだと。この恐怖はマックにも伝播した。


「おい、今の――」

「やっこさん。俺のことを知っていたな、ただ者じゃない」


 沈黙する二人の傍らで、エイジは深く息を吸い、そっと息を吐いた。


「おい、アラン! ジョン!」


 そろそろ、起き上がってもいい頃合いだ。エイジは振り返り、二人を呼んだ。

 抑制剤を打ってから、5分が経過する。もう薬が効いているはずだというのに、二人の手足はだらんと垂れている。バリケードにもたれかかり、うんともすんとも言わない。しつこく呼びかけても、体をゆすっても反応がなかった。

 このことをマックに報告するエイジ。

 ウソをつくなと言うマックへ、死人のような2人の姿を見せるため、ヘルメットのモジュールをいじり、カメラを起動する。


「ウソだろ……おい。こっちじゃ――正常だって、なってるが」マックは唸ると、「どうも、あの男はアランとジョンを人質にしたらしい。とにかく、だ。5階に行くしかないな。何が待っているかはわからん。だが、そこに行くしかあるまい」

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