4‐2 悪逆と享楽の街

 スペースコロニー616『シャングリ・ラ』について、だ。

 “シャングリ・ラ”というのは、イギリスの作家ジェームズ・ヒルトンが描いた理想郷である。

 彼が1933年に出版した小説『失われた地平線』では、シャングリ・ラはチベットの奥地、霊峰カラカルふもとにあるらしい。そこには18世紀にペローという宣教師が立てた僧院があり、世界中の知識が蒐集されていた。気候は年中穏やかで、住みやすい場所。この外界から隔絶された楽園の住民たちは、普通の人々よりもはるかに長い生を得ていたという。

 ゆえにこの名は、宇宙の楽園となるよう願いを込め、つけられた。

 中国政府とアメリカ政府が力を入れて創造した宇宙の理想郷。

 それが、スペースコロニー616『シャングリ・ラ』である。

 年に数千億もの収益を出している辺境のリゾート地で、金持ちたちがこぞって立てた宮殿が並んでいる。彼らをもてなすのは人種や民族の垣根を越えた穏やかな人々。貧富の差はそれほどなく、助け合いを基調としていた。

 その認識だったが、今は全然違う。

 街に来て、小隊は目を疑うような惨状を目の当たりにしている。

 これには息を呑むことしか、できなかった。

 碁盤の目のように整然としている街並み。歓楽街なのだろうか? 延々と続く夕闇の中で、ネオンが妖しく光っている。ネオンから発せられる極彩色は、一定の間隔で路面へ朧光(ろうこう)を投げ打つ。人気は感じられない、死んでいる街へと意味もなく、淡々と光っている。

 街は音も何もなく、わびしい。

 この人目を惹く電飾が照らすのは、惨状。

 橋の下には、いくつもの赤いてるてる坊主が吊るされている。一定の間隔で吊るされているのは人間、袋をかぶせられたEFFの兵士たち。虐殺を行っているEFF第66歩兵大隊の隊員らだ。糞尿を垂れ流し、そのまま放置されていた。

 地面には激しい銃撃戦の爪痕が残されている。弾痕や爆風で砕け散ったコンクリートは元より、路面に放置されている人間の、人間だった肉の塊。命という炎が消えた、蝋がいくつも横たわっている。月日が経っているのだろう、腐りウジ虫が湧いている。これらを拾う者は誰もいない。

 とあるマンションの屋上には……、どんな意志が介在したのかはわからない。神か悪魔か、その名において処刑をされた人々が。人を人足らしめる部分が、安置されていた。殺すだけでは飽き足らず、四肢を切断し、切り取った手足を。無論、性器も。顏のパーツも。何の為に? それは聞いてもわからないような、取りとめのない自問自答になった。

 とある店ではショーケースに首を並べている。EFFの兵士たちの苦悶の表情を、売っているようだった。EFFの兵士が、この店に入ったら――だ。店員に奇襲され、店主に死に方を選ぶように言われるだろう。ショーケースの何番目の生首の表情がいいか。気に入った死に顔を選べと。

 神が信じられなかったのだろうか? 破壊された教会ではこんなものがあった。死に絶えた女たちがいくつも横たわっており、祭壇らしき場所にへその緒がついた血だらけの赤子が並べられていた。おそらく、何かしら大いなる存在のために、妊婦の腹を裂いて供物を捧げたようだ。そんな悪魔崇拝者が、ここに横行しているようだ。

 これらの残虐行為に、意味はあるのか?

 敵対組織や一般人に恐怖を植え付ける意味もあるだろうが、遺体をおもちゃのように扱っている。


「まるで――だ」


 エイジの声は上ずっていた。ここまでだとは思っていなかった。まさか、こんなことになっているとは。

 エイジは小さく、身を震わせるように頭を振った。


「まるで、ここは――ひと昔前の、シウダー・フアレスのようだな」


 ひと昔前の、シウダー・フアレス。

 麻薬戦争、真っ只中の。


「シウダー・フアレスね……まぁ、そうだろうなぁ」


 マックがつぶやくと、


「何?」


 エリーがそれは何かと聞いてきた。

 マックは努めて優しく微笑むと、その質問に答えた。


「メキシコとアメリカの国境の街さ。今は世界で一番治安の良い街となっているが、昔は酷い所だった」


 シウダー・フアレス。その場所は、今は世界で一番治安の良い街となっている。

 だが、ほんの100年前までは麻薬戦争で、血で血を洗う凄惨な場所だった。当時、国の国家予算並みに稼いでいた麻薬カルテルは、逆らう者たちを人とは思えぬ諸行を重ねてきた。まさしく、エイジたちが今目の当たりにしているような惨状を振り撒いていた。


「なぁ、ジョン……」

「なんだ? アラン」

「俺は思ってる。深入りするべきじゃなかったって――あの時に帰っておけばとな。そうしておけば、このコロニーの中のテレビ局に情報集めに行かなくて済んだろうに」


 小隊は今、有用な情報を得るためにテレビ局を目指している。

 街に降り、ネットワークが通じているか確かめたが、どこも沈黙していた。しかし、テレビ局だけ、唯一ネットワークが生きていた。と言いつつも、かろうじての状態であるが。


「……そうか」


 ジョンは鼻をすする。唇をかみしめた後、敬愛するコンウェイ大佐とエイジに殺された戦友バーナードに思いを馳せる。

 どうしてこんなことになってしまったのかを?


「どうして、こんなことに――」


 そのジョンの質問に、エイジは答えた。


「仕方がなく、なるべくしてなったのだと思う。EFFは虐殺をしていた。この街で、EFFの兵士が酷いことになっているのはそういうことだろう。家族を殺された腹いせに、民兵どもは残虐行為に走ったんだ。そうとしか、思えん」


 ジョンは難しい顔をした後、エイジの方を向いた。

 それから、こんな質問を。


「ここは地獄か?」

「いいや、ここは憎悪の坩堝(るつぼ)だよ」

「……なるほど」


 このコロニーで核融合炉の事故があった後、EFF第66歩兵大隊の司令官コンウェイ・ハミルトン大佐からこんな通信があった。


『化け物から人類を守る』


 未だ、このメッセージが何を示しているのか分らない。

 これはこのコロニーに住んでいる住民たち。住民たちが結成したシャングリ・ラ市民防衛軍のことを示しているのだろうか?

 小隊はただただ……黙していた。

 誰も、何も言うことができない。宇宙、このスペースコロニーという閉鎖空間は狂気の沙汰に呑まれやすい空間なのだろうか? 人とは思えない、人がやったとは思えない、思いたくない惨状が視界に流れていく。


「人間、どうしたらここまで残酷になれるんだ?」


 ずっと黙していたアランだったが、思う所があるのだろう。

 急に口を開いた。


「人間の残虐性は今に始まったことじゃない。昔からやって来ていることだ。どうしようもない、人間の本能だ。生きるためには何でもやる人間の性じゃないか」


 エイジは答えた。

 マックが舵を取るコマンド・モーフは街の中心へと向かっている。

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